のびたとブレイク

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母が作ってくれたお弁当

2015年07月05日 08時50分20秒 | うたごえ

ブログの中を巡っていると お弁当を載せている記事が目立つ

それは 主婦が自身の子どもに持たせたり ご主人へのものである

さすがに工夫されたものと感心したり 愛情の深さが伝わってくる

 

毎日 お弁当を考える これだって大変なものであろう

同じものを続けていては食べる方が飽きが来る

今日はこれ 明日はこれと 考えるのも面倒な時もあろう

 

現在の私だって 自分の食べるものなのに 直前まで何にしようかと迷っている

外食にしたり 買ってきたり 買い置きの有り合わせで間に合わせたり様々だ

スーパーに行くと主婦がいっぱい 食料品を買っている 毎日の献立もご苦労様と思う

 

 

私が中学を卒業すると すぐ町工場に就職した

そこから定時制高校に通う為である 学校へ行くのには町工場しか行かせて貰えない

毎日 母が弁当を持たせてくれた 

 

当時は乾物屋 八百屋くらいはあるが スーパーやコンビニは無い

だから 大概 弁当のおかずは 小女子とか佃煮などが主流である

そしてご飯の上は海苔か でんぶと呼ばれる甘く煮たふりかけのようなものがあった

 

お弁当はアルマイト 当時のスタイルは 風呂敷に包んで腰にベルトのように巻く

これで電車に乗ったり 歩いたり 時には遅刻しないように駆ける

昼時 お弁当を開けると 中は片側によって 大きく空間があったりした

 

 

若い食欲もあり 母にはご飯はぎゅうぎゅうに詰めてもらい 片側に寄るのを防止した

職工は始業前より早く着く 天井近くまで登って 毎日 油やグリースを塗布する

全部終わって 始業を迎えるのが普通で 現在なら労基法違反と騒ぐだろう

 

頭には手ぬぐいを被る 寅さんの映画のとなりの印刷工場のスタイルである

休日は月に2回しかない 毎週休めるなんて夢の世界だ

16時に退社して 学校へ向かう 途中でコッペパンと牛乳を買う

 

18時から21までが勉強の時間だ これを4年間続けると卒業できる

得意先の事情で納期を急がれることはたびたびある そんな時は徹夜となる

学校から家に戻るのではなく また町工場へ行き 夜中の仕事だ

 

朝方 2時間くらい 工場の床に寝ころび 次の日も仕事である

翌日の夕方まで仕事をして また 学校へ行く

睡眠時間も無いし 疲労で こんな時は机で寝てしまう 事情は知っているので誰も起さない

 

こんな苦労が 現在の強靭な身体 健康をもたらせてくれたと私は思う

縁があって22歳の時に結婚した その直前に 弁当の作り主は交替した

母に もうお弁当は良いよと伝えると それは哀しそうな顔に見えたことを今でも覚えている

 

 

信州の山奥で 極貧の生活を送る小学生時代のこと 多分3年生くらいか

遠足は歩いて 数キロもある街まで行く その途中に天竜川に注ぐ支流がある

この川原で 皆が座って お弁当を食べていた

 

私はお弁当を持って居ないし 家庭の事情から 母にも言えなかった

何気なく 皆から離れて川の流れを見ているだけだった

先生が近付いてきた 一緒に食べようと 私にも分けてくれた それはそれは美味しかった

 

 

     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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コメント (10)
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