のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

悲喜こもごも秘めて乗り超え情深く

2017年01月06日 10時29分59秒 | うたごえ

FM銀河のタイトルが 劇場の幕のように画面に映し出されている

いきなり録画のスタジオ放送が開始された わらべ歌が先に流れてきた

♪ホンホンしょうがつ~心地良い数え歌のようなメロディと歌詞 そこには私たちの郷愁があった

 

 

いつものパーソナリティの方が素敵な着物姿である スタジオ内に花が咲いたようだ

この方たちがオープニングにそのわらべうたを歌っていたのだ 心憎い演出である

でもそれぞれの忘れられない過去を語り出すと 涙がぽろぽろ溢れ泣かされた 

 

正月早々 こんなに泣かすなよ ブログに書き始めた今でも涙が出そうだ

上床さんの哀しい話は いのち に触れる過去であり 秘めて乗り超えた今がある

誰にでも波乱万丈の悲喜こもごもがあるが いのち だけは切なくて哀しいものだ

 

妊娠 それはそろそろ出産の時期 いつものように検診に行く 胎児の順調な心音があった

自宅に帰ってきていきなり異常事態が発生した 大量の出血である 助産婦でもある姉にも電話した

救急車で病院に連れ込まれた やがて医師の診断は 思いもかけない言葉が伝えられる

 

お子さんは助かる可能性は99%無い 但し1%の可能性に掛けて手術をしてみよう

あまりにも残酷な現実が迫る その頃は姉やご主人も駆けつけてきた

気が動転している暇はない その準備をしている時 何のことか自然分娩が始まり出産した

 

泣き声も起こらない 静かな冷酷な時間 何が起きたか分からない

やがて みんながゆっくり休んでねと声をかける これ以上に言葉がなかっただろう

医師が言う せめて顔を見てあげてください 可愛い女の子ですよ

 

むごいことである 10カ月のいのちは 声も出さずに終わった

小さい遺体 どんなにか哀しく厳しい現実だったろうか

時にはお腹の中では動いていた我が子である ごめんねと泣きながら声をかけた

 

せめて あの世では幸せに生きて欲しい 名前は 幸子 と命名した

私も聴いていて涙が止まらない 幸子ちゃん お母さんを見守ってね と心から祈る

月命日を祈る 命日も 何十年経っても それは忘れられない いのち であろう

 

今の世は 自分が産んでも邪魔だと捨てたり 虐待する母親を良く聞く

子どもが可哀想で仕方がない 子どもは親を選べないのだ

大人たちも簡単に人を傷つけたり殺したりする事件が絶えない いのちは地球より重いとは遠い

 

 

3人のパーソナリティの方の想い出を綴り それを違う方が代読する

読んでいる方も本人も 涙を流し続ける このような事はかなり聴く

cihidoriさんも お子様を一週間のいのちで亡くされていた 

 

今は明るく振る舞っているが 心のうちは哀しみを秘めていることをブログで知る

私の母は3歳で亡くなった姉のこと ただ一回も私たちには話さなかった

昔は幼児の生存率が低かったから そんなことは話せない環境もそうさせたのかも知れない

 

私の子ども 長男と長女の二人だが その間にこの世で見なかった いのち があった

4カ月で流産である 胎児の姿も見ないままの わずかな時間を生きていた

旅先で 水子地蔵を見ると 多くの哀しみが そこにある

 

エプロンであったり 悲しい音を立てる風車が廻ったりしていた

手向けるお線香が あの世とこの世を結び付ける

いのちと平仮名で書くと生きていること 漢字で命と書くと これは主に亡くなったものと言う

 

向井さんの話された神話のこと イザナギ イザナミの話も興味が尽きないが長くなってしまい書けない

ここにも 生命の誕生 亡くなった人への想いなど 命にかかわる話が秘められている

神武天皇以前の歴史は 神話の時代であり 神秘的な現実が宮崎 信州 など各地に残る

 

cihidoriさんの よい子の家 転地して鹿児島に行き 保育園を誕生させた活動

うたごえの活動に携わった期間 コーラス団体の指導 民生委員の仕事 淡々と語るがその努力は尊い

一週間のいのちの我が子のこと 胸に秘めて明るく振る舞う背景に生きている

 

前迫さんの故郷 大隅半島での祖父時代からの茶畑 開墾の話が私に共通する

藁屋根の家 ランプでの生活 水は井戸水 スカンポやイタドリを食べ ウサギもタヌキも食糧になった

いろりを囲んで ソバガキを食べながら祖父が話をする どこか唱歌の 冬の夜 を思い出す

 

私の同じ時代 食べるものも無く やせ細ってお腹だけが膨らんでいたと言う

親父が出稼ぎに出るたび 私とはもう会えないだろうと言っていたくらいだ

それでも こうして生き残り 皆さんと楽しい時を過ごす 命を大切に その有難さを感謝する日々である

 

ここからは余談 昨夜の私のマンションの火事 夕方 下の階が燃えた

度が燃えているか確認のために廊下に出たら 煙がもうもうと上がってくる

外へ出ればとエレベーター脇の階段へ向かったら ここも煙で視界が分からないほどだ

 

もっと火災が拡がれば 地上へ逃げられないことを身を持って悟った

この煙で喉を痛めた 風邪でせき込んだ時のように 喉が痛くイガイガ感がある

火事の煙で呼吸器がやられる話を痛感する 寝るまで取れなかった

 

今朝になって ようやくイガイガ感は無くなったが 風邪の時の喉の痛み それと同じように痛い

しかし それを言っている場合では無い 他人のことが心配するのは 自分が何も無かったからだ

まだ現場を見ていない 下の住民は無事だったのか 家が焼けてしまって 今後どうするのだろう

 

ようやく朝になってそんなことを思うなんてと反省をする

焼け出された人のこと それに想いを遣るのが人としての生き方であろう

これから下町のうたごえ 私を待っている方が大勢集まる みんな歌が好き 人情の深い方たちでもある

 

てんがらもんラジオ 録画風景を見られます 下のアドレスをクリックして下さい

http://www.ustream.tv/recorded/98637765

 

     最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m

 

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