のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
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眼が不自由 古代に生きた 道探る  平安時代から江戸へ 盲僧たちの歴史

2019年11月01日 08時08分49秒 | うたごえ

小倉百人一首 に蝉丸と言う琵琶法師の歌がある

『 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関 』 

私たちは百人一首に飽きた時に坊主捲りをし この歌を捲った時 あっ 蝉丸 と嫌がった

 

謎多き人物で 逢坂に住んでいたと言う 京都の手前 今の滋賀県西にある

盲目であるが 光孝天皇の皇子説もあるが定かでは無い

管弦の名人で 源博雅が蝉丸が琵琶の名人であることを聞き 3年も通い続け遂に聴いたと言う

 

 

この琵琶が日本には行って来たのは奈良・平安時代 主に奏でる方と歌う・語る方とに分かれる

このうち 盲僧は後者の方であり 生きる手段の一つとして 江戸時代へと続く

琵琶法師の多くは天台宗に属し 低級の宗教者であり 仏説座頭 地神経座頭と呼ばれた

 

 

あの座頭市の座頭である 地鎮祭や竈(かまど)払いの儀式を行った

私たちが知っている 京都・比叡山 最澄が開山の折り この座頭がいわゆる地鎮祭を行う

この人物は 鹿児島の カトクドン カドザッツ と関連する

 

島津忠久が守護に任命された際 逢坂山にあった 妙音時常楽院(現在廃寺)

この僧侶・宝山検校(ほうざんけんぎょう)を伴って 鹿児島に下向 中島常楽院を建てた

視覚障碍者の僧侶しか入れない 「盲僧寺」 であり歴代の住職は楽器の達人だった

 

 

戦国時代 15代当主 島津貴久によって 薩摩 大隅 日向の監督寺となった

そして歴代薩摩藩主の帰依も高かったと言う

その寺も 明治の廃仏毀釈によって 現在は 宮崎県日南市にある

 

さて カトクドン 薩摩藩は門割り制度で檀家を割り振った

盲僧たちは 年に数回 村々の檀家を廻り お祓いをして 布施米を貰い収入源とした

これに属さない僧がカドザッツ カトクドンと違って収入保証は無く 自分の芸で門付けに廻る

 

村に一人づつ居たカトクドンは 頭の上に 布施米の詰まったザッツブクロ(座頭袋)を乗せて

高下駄を履き 杖に鈴を鳴らしながら 一家の安穏五穀豊穣を祈って廻る

琵琶は 盲僧用の笹琵琶である 因みに 日本には5つの形態の琵琶がある

 

 

こうした薩摩藩の恩恵と違い 各地の盲僧は 門割り制度も無く 流浪の日を送る

遊芸琵琶法師も多く居たそうだ 盲僧たちはお祓いが終わると 囲炉裏端で焼酎も飲んだか

遊興などは 「崩れ」 滑稽物はチャリと呼ぶ 肥後琵琶では余興で笑い話もしたと言われる

 

 

昨日のてんがらもんラジオ ゲストは地元 歴史研究会の池田会長

この方の話を中心として まとめてみた 写真や記事はネットからの借用 引用でもある

中島常楽院の妙音十二楽は 今年で最後の年となるようだ 盲人僧は今は絶えた

 

YouTube 下町のうたごえ 君恋し バンド コーヒーブレーク

https://youtu.be/DOzbG3hv3IY  私はキーボード

昨年5月のもの 新しいブロ友さんへ 再登場させます 参加の皆さん綺麗な歌声です

 

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