らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「ビリケン」さん生誕100年

2008-03-31 | 雑学
大阪の人はよくご存知ですが、大阪・新世界の通天閣に「ビリケン」さんが鎮座しておられます。
                   

今年は「ビリケン」さんが生まれて100年になるそうです。

この「ビリケン(BILLIKEN)」さんは、1908年(明治41年)アメリカの女流芸術家のE.I.ホースマンという人が、夢の中で見たユニークな神様をモデルに制作したものと伝えられています。

とんがり頭につり上がった目という、ユーモラスな姿はたちまち「幸福のマスコット」「福の神」としてアメリカを始め世界中に大流行したそうです。

世界的な流行を受けて、日本でも1912年(明治45年)「新世界」にオープンした遊園地「ルナパーク(月の園)」で「ビリケン堂」を造り、「ビリケン」さんを安置されたそうです。  

        

ビリケンさんの足の裏を掻いて願いごとをすると、合格祈願、縁結びなどあらゆる願い事を叶えてくれるといわれています。

悩みをお持ちの方は、一度お願いしてみてはいかがでしょうか?
          
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春眠暁を覚えず

2008-03-30 | 雑学

春の到来と共に、寝床から起きるのがつらいですね。
布団の温もりが誠に心地よく、外は明るくなってもまだ眠っていたい今日この頃です。

春眠暁を覚えず
 孟浩然(もうこうねん 689~740)は正にこのような状態を詠んだのでしょうね。

   漢詩     現代語訳 
 春眠不覺暁 (春眠暁を覚えず)
 處處聞啼鳥 (処処啼鳥を聞く)
 夜来風雨聲 (夜来風雨の声)
 花落知多少 (花落つること知りぬ多少ぞ)

  意味は次のようです。
     春の夜は誠に眠り心地がいいので夜が明けるのも気がつかなかった
     あちらこちらで鳥のさえずる声が聞こえる
     そういえば、昨夜は一晩中風雨の音がしていたが
     折角咲いた花はどれほど散ってしまっただろうか

みなさんも春の眠たさは既に体験済みですよね。
では春はなぜ眠いのでしょうか?

人間には体内時計と言う機能があることはよくご存知ですよね。
体内時計は日の光に影響を受けると言われています。
日が昇ると体を活動的な状態に切り替え、日が沈むと体を安静的な状態に切り替えます。

夜の長い冬は、体内時計はそれに対応して冬用に切り替わっていましたが、春の到来と共に夜明けが早くなっても、体内時計はまだ春への切り替えができていないため、いまだ睡眠時間中の状態が続いているようです。
このため、目覚めが悪く、眠気が残るといわれています。

これを改善するには、朝のウォーキングやジョギングなど、朝日を浴びながらリズミカルな運動をすることが推奨されています。
また、規則正しい食生活は体内時計を正常な状態へと切り替えてくれるようです。

体内時計を冬から春に切り替えて、すっきり目覚め、元気いっぱい活動をしましょう。

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中高年の運動と健康

2008-03-29 | 趣味

皆さんが住んでいる町でも、年配者のウォーキング姿をよく見かけられるのではないでしょうか。                          
私がいる住宅地内でも、散歩をする高齢者の人をたくさん見かけます。
一人で散歩をする人、夫婦でウォーキングしている人、数人のグループで話をしながら楽しそうに歩いている人などさまざまです。
若い人は余り見かけませんが、その人達は会社の帰りにスポーツジムなどに通って、汗を流しているのでしょうね。               

私の住んでいる町では、町営体育館の中に、町民のためのスポーツ施設(ジム)があります。
昨日そこに行って汗を流してきましたので、そのことについて書きたいと思います。

ジムには自転車のペダル踏みやウォーキング、ジョギングマシーン、背筋、腹筋などを鍛える十数種類の運動機具が30~40基揃っています。

事前に講習を受けておけば、いつでも自由に、時間制限なく利用できます。
一日中利用している人もいるようです。
昨日は平日とあって年配の人が10人ほど利用していましたが、みんな気持ち良さそうに汗を流していました。               

私たち夫婦も既に利用資格を持っていますので、ジムの初体験をして来ました。
私はジョギングを4kmほど、自転車のペダル踏みを15~6分、背筋運動、腹筋運動、などを、家内はウォーキングを中心に行い、共に1時間30分くらい汗を流してきました。                    

私の知人で毎日2時間くらいウォーキングしている人がいます。
その人はウォーキングの効果として、体重が減少したこと、血圧や血糖値が下がった事などを自慢げに教えてくれます。
その人の顔を見ていると、確かにその効果を見て取れます。

中高年者が継続的に行う運動ではウォーキングが一番だと思います。
自分のペースで無理なく、楽しく、余裕を持ってできます。

しかし中高年のスポーツでは次の事に気をつけなければいけないと思います。
準備運動を十分してから行いましょう。         
・息を吐きながらゆっくり筋や関節を伸ばすストレチ運動は、柔軟体操に最適です。
・決して無理をしないことです。体力に自信があっても過信しないことが大切です。
目的は健康を維持することです。休憩を取りながら楽しく行いましょう。
・長続きできるように、いきなり強い運動をして体に痛みが残らないようにしましょう。
・汗をかいたら適当に水分補給をしましょう。
・できれば週に3~4日以上を継続的に行いたいものですね。
・終わるときにはクールダウンを行いましょう。

私も健康維持のためにジョギングを主体に続けるつもりです。   
皆さんは既に運動を継続的に行っていますか?
まだの方は始めてみては如何でしょうか?

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春の花

2008-03-28 | 
昨日まで堅い話が続きましたので、今日は気分転換の意味を込めて、春の花を紹介します。
我が家では、狭い庭に鉢植えの花が所狭しと並んでいます。
春本番を迎え、これらの花たちが自己主張するかのように競って咲き出しました。
柔らかな春の日差しを浴びながら、これらの可憐な花を見ていると、それだけで心が和みます。
心身のリフレッシュには、花は本当に良いものですね。

「ヒアシンス(紫)」です。
  「花言葉」は 悲哀・競技
  原産地は地中海沿岸で、名前の由来はギリシャ神話の美少年「ヒュアキントス」
  からといわれています。


下の画像は色違いの「ヒヤシンス」です


「スノーフレーク」です。
  「花言葉」は 純粋、汚れなき心
  ヨーロッパ中南部が原産地です。
  葉がスイセンに、花が鈴蘭に似ていることから名づけられたと言われています。
  花は1.5cm前後の鐘形で花弁は白く、先端に緑の斑点があるのが特徴です。


「オンシジューム」です。
  アメリカ原産で主に熱帯から亜熱帯に生息し、その種類は300~500種あるとい
  われています。
  1花茎に数十の花が咲きます。軽やかでリズミカルな雰囲気から「ダンスレディ」
  とも言われているようです。

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「利休忌」について

2008-03-27 | 伝統行事
今日3月27日は京都表千家「利休忌」です。
そして明日28日は京都裏千家「利休忌」です。

「利休忌」とは、千利休が天正19年(1591年)2月28日に秀吉の命により70歳で自刃されたのを偲んで、お茶をお供えする催しのことです。

命日が陰暦の2月28日であるため、表千家、裏千家共に1ヶ月遅らせて3月にこの行事を行っているそうです。

「侘び茶」を完成させた千利休は、織田信長に茶道の指南役として仕えました。
信長の死後は豊臣秀吉に仕え、厚く信任を受けていましたが、1591年、突然秀吉の勘気に触れ、堺に蟄居の後、切腹を命ぜられ自刃しました。

利休の死後、千家は一時取り潰し状態でしたが、子供の「少庵」が千家を再興し、孫の「乞食宗旦(こじきそうたん)」が3代目として受け継ぎました。

3代目宗旦の三男「宗左」が表千家(不審庵)を、四男「宗室」が裏千家(今日庵)を、次男「宗守」が武者小路千家(官休庵)を興し、三千家となりました。

今日、茶道は日本の文化として世界に広まっています。
その礎を築き、「侘び茶」を完成させた千利休を偲び、茶道の心である「心を込めたおもてなし」それに対する「心からの感謝」「礼を尽くす」「互いを思いやり」
「敬う心」
など、現在忘れ去られようとしているこれらの精神を今一度思い興そうではありませんか。


(一言メモ)
 茶道は奈良時代に遣唐使の留学僧が薬用として持ち帰り、平安時代に臨済宗の
 僧である栄西が茶の種、道具一式、点(た)て方を伝えたと言われています。

 表千家と言う名前は、表千家を象徴する茶室の「不審庵」が、裏千家の茶室の
 「今日庵」に比して、通りの表にあることに由来しているそうです。

 「侘茶」 書院における豪華な茶の湯に対し、四畳半以下の茶室を用いた簡素な
       茶の湯を言うのだそうです。
       何も削るものがないところまで無駄を省いて緊張感を作り出すのが特徴
       と言われています。
       また広義には、千利休系統の茶道全体を言っているようです。
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鳴かず飛ばず

2008-03-26 | 雑学

都合で3日間お休みをいただきました。
今日から再開します。引き続き宜しくお願いいたします。

早速ですが、このブログをお読み頂いている賢明な皆さんは「鳴かず飛ばず」の意味、由来は既にご存知だと思いますが、浅学菲才で、未だにそして将来も「鳴かず飛ばず」の小生はこの故事について間違った理解をしていましたので、少し調べてみました。

小生はこの故事の意味を「これといった仕事や活躍もなく、パットしない様」と理解していましたが、本来の意味とは少し違っていました。

この故事は中国の「史記」から出ているそうです。

中国春秋時代の紀元前613年、楚(そ)の国の「荘王(そうおう)」と言う人が父の死後、第6代の王様に即位しました。
この王様は「わしに向かって意見する者は死刑にする」と言って三年間めちゃくちゃに遊んだそうです。
この間一切の政治に見向きもせず、家臣たちは諫言もできず、ただ見守っているだけでした。
三年後に、「伍挙」と言う家臣が現れ、このような状態を見かねて、王様に意見を申し出ました。

王様は「諫言は法度としているのになぜお前はわしを諌めるのだ」
    と不機嫌になりましたが、
伍挙は「諌めるのではありません。王様が好きな謎かけをしたいと思っています。」
    と言って次のように「荘王」に問いかけました。

    「丘の上に鳥がいます。三年間鳴きも飛びもしません。これはどういう鳥なの
     でしょうか?」
    と王様のことをあてこするように言いました。

すると王様は直ちにこの謎に答えて曰く、
 「その鳥が丘に止まったまま三年動かないのは意思を固めようとしているからだ。 
  三年飛ばないのは羽や翼が十分生え揃うのを待っているからだ。」
 「この鳥は飛ばぬと言いながらも、一旦飛べば天の果てまで飛ぶだろう。
  三年鳴かなくても一旦鳴けば天下を驚かすであろう。」
と言ったそうです。

実は王様は伍挙のような忠義の家臣が現れるのを待っていたのです。そしてこのような人物を多数重用して政治の改革を実行し、楚の国は大発展したと言い伝えられています。

このように「将来に備えて、じっと機会の来るのを待っている」、「将来の活躍を期待してじっと待っている」のが本来の意味となります。

また単に「鳴かず飛ばず」と言っていますが、出典からもお分かりの通り、正しくは「三年、飛ばず鳴かず」のようです。

もし会社で上司から「お前は鳴かず飛ばずだなあ」と言われたら、期待されていることと自覚し、期待にこたえられるように頑張ってください。



(一言メモ)
 「史記」 司馬遷によって書かれた、伝説時代(紀元前2000年~前漢(紀元前206
       ~紀元後8年)の初期までの歴史書です。

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精進料理

2008-03-22 | 雑学

今日も仏教に関連している言葉を調べました。
それは「精進料理」です。この料理は仏教から生まれました。

仏教では、僧は「戒律五戒」で殺生が禁じられ、肉食もまた殺生に通じていることから禁じられていたため、僧へのお布施としての「精進物」のみを用いて料理を作りました。「精進物」で作った料理、それが「精進料理」といわれています
「精進物」とは、肉や魚介類を用いない植物性の食物で、野菜類、穀類、豆類、
木の実、果実などをいいます。

「精進料理」は鎌倉時代の禅宗で確立され、調理方法から食事の作法に至るまで、細かいルールがあるそうです。
そのルールは、
 ・五つの調理法(生、煮る、焼く、揚げる、蒸す)を用いなければいけない
 ・五つの味付け(甘い、辛い、すっぱい、苦い、塩辛い)をしなければいけない
 ・五つの色(赤、白、緑、黄、黒)を使った献立を作らなければいけない
 素材は余すところなく使用しなければいけない
 などです。
このため僧侶には「精進料理」を作る事も「行」の一つとして重要視されました。

「精進」の意味は「物事に精魂を込めて一心に進むこと」であり、仏教においては
「仏様の教えを一生懸命守ること」の意味を持っているそうです。

このことから仏教の教え、特に「殺生」や「命」について考え直すための料理と言われているそうです。

子が親を殺し、親がまた子を殺すなど、余りにも「命」が軽視されているこの時に、「精進料理」の意味するところに思いを致し、「命」の大切さについて考えて見ようではありませんか


(一言メモ)
「五戒」とは次の五つの戒めを言います。
・不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物を殺してはいけない
・不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 他人のものを盗んではいけない
・不邪淫戒(ふじゃいんかい)  自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない
・不妄語戒(ふもうごかい)   嘘をついてはいけない
・不飲酒戒(ふおんじゅかい)  酒を飲んではいけない

「精進料理」は「精進物」だけを使用するため、いろいろ工夫しなければならず、結果として味噌、醤油、豆腐、湯葉、豆乳、納豆、油揚げなどが生み出されました。
そしてこれらは、その後の「日本料理」に不可欠な材料となりました。

    勝手ながら明日23日から3日程休ませていただきます。

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他力本願

2008-03-21 | 雑学
23日までは彼岸の期間中なので、今日も仏教に関連した言葉について書きます。

「他力本願」、この言葉を皆さんはどのように捉えますか?
一般的に、「ひと任せ」「他人依存」「成り行き任せ」など、消極的なイメージとして捉えるのではないでしょうか?
ところがそのイメージは本来の意味と大きくかけ離れています。

この言葉は親鸞によって広められた仏教語のようです。
親鸞を宗祖とする浄土真宗では「他力本願」は阿弥陀仏の「本願」を言います。

「他力」とは、自分以外のものの働き、即ち、阿弥陀仏の働きを言い、「本願」とは、阿弥陀仏が衆生を救うと誓った「誓願」を言います。
親鸞は「教行信証」で、「他力というは如来の本願力なり」と説いています。

私たちは何かを成し遂げようとするときに、自分の力を精一杯出して努力をします。しかし努力しても人間には限界があります。
その「自力」の限界に気づいたときに開かれるのが「他力の世界」です。
そして、これこそが「他力本願」であり、「自力」の有限性を知った人に開かれる境地のことのようです。

自分が精一杯努力して限界を感じた人に開かれる境地、これが「他力本願」の本来の意味と言われています

仏教語から広まった「他力本願」という言葉、私たちが日頃理解していた意味と大きくかけ離れていますね。

ですから冒頭に書いた「ひと任せ」「他人依存」「成り行きまかせ」などの意味と違う事にお気づきいただきましたでしょうか?
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春分の日

2008-03-20 | 季節
今日は二十四節気の「春分」です。
暦便覧には「日天の中を行て昼夜等分の時也」とあります。

天文学では太陽の黄経が0度、即ち太陽が春分点を通過する日で、昼夜の時間が等分になる日とされていますが、実際は日本付近では昼の方が14分長いようです
このことは皆さんご存知なかったのではないでしょうか?

その理由は、大気による屈折で太陽の位置が実際より上に見える「大気差」のためだそうですが、詳細は省略します。

この後は一日におよそ2分間ずつ昼間の時間が長くなっていきます

17日の「彼岸の入り」のときに書きましたが、今日は「彼岸の中日」です。
この中日をはさんだ前後3日の1週間に「彼岸会」の仏事を行います。

この仏事は浄土思想に由来しているそうです。

浄土思想では、阿弥陀如来が治める極楽浄土が、西方の遥か彼方にあると信じられています。
この思想では、人は死後、阿弥陀如来の導きで「彼岸(悟りの世界)」に渡ることができると考えられています。
そして彼岸にいる人たちを供養するとともに、まだ辿り着いていない人に早く辿り着けるように祈るのがこの仏事の趣旨のようです。

彼岸の迎え方は、彼岸の入りまでに仏壇や仏具をきれいにし、季節の花や旬の果物などを供えます。
お墓もきれいに掃除をしておきます。
彼岸の期間中は仏前に花や五目寿司、彼岸団子(春は「ぼた餅」)等をお供えします。
灯明や線香なども絶やさないようにしましょう。


(一言メモ)

 「ぼた餅」 春の彼岸に供える物で、春に咲く「牡丹」に由来し、
 「おはぎ」 秋の彼岸に供える物で、秋に咲く「萩」に由来している
        と言われています。

 また一説には、「餡」をまぶしたものを「ぼた餅」
 黄な粉」をまぶしたものが「おはぎ」との説もあるそうです。
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阿吽(あうん)の呼吸

2008-03-19 | 雑学

皆さんは「阿吽の呼吸」と言う言葉の意味をよくご存知ですよね。
この言葉は皆さんご自身もよく使われているのではないでしょうか。

念のため書きますと、その意味は、「共にひとつの事をする時などの相互の微妙な呼吸や気持ち。特にそれが一致すること」と広辞苑に説明しています。

お寺の山門には、左右一対の仁王様(金剛力士)が怖い顔をして立っていますね。
この仁王様が「阿吽」と言うこともご存知だと思います。

では「阿吽」はいったいどこから来た言葉で、何を表しているのでしょうか?
今日はこのことについて少し調べてみました。

「阿吽」とはサンスクリット語の、「a-hum」の音を写したものと言われています。
「ア(a)」は口を開けて最初に発する音、「フーン(hum)」は口を閉じて発する最後の音。
そこから、「阿」は宇宙の始まり、「吽」は宇宙の終わりを表し、仏教では「阿吽」を物事の初めと終わり、つまりありとあらゆる物事を象徴的に表す言葉と考えてきたそうです。
また、前者を真実や求道心に、後者を智慧や涅槃(ねはん)に例える場合もあります。

お寺の仁王様(金剛力士)は、一体は「阿形」で口を開き、対する一体は「吽形」で口を閉じており、一対で「阿吽」を表しています。
また神社の狛犬も同じように「阿吽」として一対で構成されており、一体は口を開け、他方は口を閉ざして左右にいます。

この「阿形」と「吽形」は見た目には怖い憤怒の形相をしていますが、これは境内に魔物が侵入するのを防ぐ役割を担っていると言われています。

この「阿吽」は一方が口を開き、もう一方が口を閉じて音を発する語源から「呼気」と「吸気」という意味に転じました。
そこから二人が息をぴたりと合わせて行動している様を「阿吽の呼吸」と呼ぶようになったと言われています。

日頃何気なく使っている言葉も、その謂れを調べてみると、新しい発見につながり、楽しくなりますね。
これからも、疑問を感じたものについて書いていきたいと思います。

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