らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

宝くじ

2015-12-31 | 季節

平成27年も今日が大晦日となりました。
皆さまにとって今年はどんな年でしたでしょうか?

昔の庶民には「七味 五悦 三会(しちみ ごえつ さんえ)」と呼ばれる風習があったそうです。
これは、この1年で体験した「七つの美味しい味、五つの喜ばしい話、三つのいい出会い」があったかどうかを、大晦日の夜に家族で披露しあうのだそうです。
一年を振り返ると、ややもすると苦い記憶ばかりが出てくるのが人の常だと思いますが、よい事を合わせて15も言えるというのは、少しでも気持よく新年を迎えるための、昔人の知恵なのかもしれません。

今日は年末ジャンボ宝くじの抽選会があります。
今年は1等賞金が前後賞を合わせて史上最高の10億円となり、話題を呼んでいました。
宝くじを買われた方は夢が叶って、「五つの喜ばしい話」の一つになるといいですね。

ところで、その宝くじですが、一説によると、日本での起源は江戸時代初期の大阪府箕面市にある瀧安寺(りゅうあんじ)のくじだったと言われています。
瀧安寺のくじは、参拝者が正月7日までに名前を木札に書いて箱に入れると、その中から僧侶が3人を選び出し、福運のお守りを授けたそうです。
しかし次第に金銭が絡む「富くじ」が全国に広まり、財産を失う人が続出したことから、1842年の天保の改革で江戸幕府が全面的に禁止しました。

復活したのは昭和20年(1945年)7月で、軍事費調達のために富くじが解禁され、終戦後の10月には「宝くじ」の名称で初めて販売されました。
1等賞金は10万円で、物不足の時代を反映して副賞に布やタバコがついたそうです。
1等賞金は経済成長とともに高額化し、平成元年(1989年)には前後賞を合わせて1億円の大台に到達しました。
更に、平成8年(1996年)には宝くじ発売開始以来、51年目にして初めて1等賞金1億円が誕生し、その後も高額化しながら現在に至っています。

さて、今年一年、拙劣なブログにアクセスいただきありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

来たる年が 皆様方にとって よい年となりますようお祈り申し上げます

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鷹と鷲の違い

2015-12-30 | 雑学

今年も残すところ今日と明日の二日となり、明後日はお正月です。
当ブログは正月3が日を休ませていただきますので、今日は鬼に笑われるかもしれませんが、早々と「初夢」に関する話題を取り上げました。

新年最初に見る初夢はいつ見る夢を言うのでしょうか?
広辞苑では、元日の夜に見る夢。また、正月2日の夜に見る夢。古くは、節分の夜から立春の明け方に見る夢。と説明していますが、現在では元日から2日の夜、または、2日から3日の夜に見る夢とされることが多いようです。

初夢と言えば、見ると縁起が良いとされる諺に「一富士、二鷹、三茄子」があります。
この諺の謂れは、 ・徳川家の縁の地である駿河国での高いものの順に、富士山、愛鷹山、初物のなすの値段とか、
            ・富士山、鷹狩り、初物のなすを徳川家康が好んだことからなど、諸説ありますが、それは兎も角、この諺の二番目の「鷹」に関して調べてみました。

鷹と鷲、この2種類の鳥は、どちらも姿がとっても凛々しくて、とてもよく似た姿・形をしています。
このよく似た鳥の違いを皆さんはご存知でしょうか?

・鷹です。(ウィキペディアより)


鷲と鷹を英語で言えば、鷲はeagle(イーグル)で鷹はhawk(ホーク)です。
このように英語では明確に区別されていることから、全く違う種類の鳥と思われますが、実は鷲も鷹も猛禽類ワシタカ科の鳥で分類上の区別はないそうです。

この二つの違いは大きさだけで、翼長が大体50㎝以上のものを鷲と呼び、それ以下のものを鷹と呼ぶのだそうで、かなり曖昧な基準のようです。
その曖昧さは、例えば英語でeagle(イーグル:鷲)と呼ばれている鳥が、日本では鷹と言う名前だったりするくらい曖昧なのだそうです。
因みに、「ピーヒョロロ」と鳴くトビ(トンビ)は翼長50㎝と区分ぎりぎりの大きさですが、一応鷹の仲間とされています。

但し、例外もあります。
日本で見る種類としては、翼を広げると80cm以上にもなる、「クマタカ」という鷹がいれば、これとは逆に、翼を広げると55cmほどにしかならない「カンムリワシ」という鷲もいます。

・ハクトウワシです。(ウィキペディアより)

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世界のビール消費量

2015-12-29 | 時事

先日、「麒麟麦酒」が、去年の世界のビールの消費量が29年連続で増加したという調査結果を発表していました。
この調査は「キリン」が毎年行っているもので、今回は世界171の国と地域で、現地の業界団体へのアンケート調査などを基にビールの消費量をまとめたものだそうです。

それによると、去年、世界で消費されたビールは、東京ドームをジョッキに見立てるとおよそ152杯分に当たる1億8906万キロリットル(大びん換算で約2,987億本)で、前の年より0.4%増えたということです。

これを市場ごとに見ると、最大のビール消費国である中国市場はおよそ4485万キロリットルで、2位のアメリカに2倍近い差をつけて12年連続のトップとなっていますが、前年からは3.1%減っています。
これは現地の天候の要因や、中国政府が公的部門を中心に倹約を呼びかけたことが大きく影響したとみられるということです。

国別ビール消費量は、
・中国が4485.3万キロリットル、前年比3.1%減ですが、2003年から12 年連続で1位となっています。
・また増加率では、上位25カ国のうち韓国が229.2万キロリットル、前年比11.7%の増加でトップとなっています。
・上位10カ国までは昨年から順位の変動はなく、日本は発泡酒と第3のビールを含めた消費量が1.5%減って、およそ540万キロリットルで10年連続の減少となり、順位は前年と同じ7位でした。

調査したキリンでは「ことしは中国や、第3位の市場・ブラジルで経済が減速しており、世界のビール市場の成長は足踏みする可能性がある」と言うことです。

詳細については麒麟麦酒のホームページにリンクしておきますのでご覧ください。

 

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セアカゴケグモ

2015-12-28 | 地元紹介

昨日は毒ヘビを取り上げ、今日また毒クモと、二日続けて毒の話題となりました。

私の住宅地内では昨日、一斉溝掃除があり、わが家でも側溝の蓋をあけて清掃したところ、今年もセアカゴケグモが南側の蓋の裏から1匹と東側の蓋の裏から1匹の計2匹見つかりました。
2011年以降、毎年2~4匹が見つかっており、その都度駆除していますが、一向に絶滅できません。
招かざる客にほとほと困っています。

・南側の側溝蓋裏にいたセアカゴケグモです。


セアカゴケグモは平成7年(1995年)に大阪府高石市で発見されて以降、生息地域は全国に広がっており、今年9月時点では41都道府県で確認されいるそうです。
確認された都府県は次の通りです。
・北海道
・本州(29都府県:宮城県、岩手県、福島県、群馬県、茨城県、栃木県、埼玉県、東京都、神奈川県、千葉県、愛知県、静岡県、山梨県、岐阜県、
    三重県、京都府、大阪府、滋賀県、石川県、福井県、新潟県、奈良県、和歌山県、兵庫県、広島県、島根県、岡山県、鳥取県、山口県)
・四国(4県:香川県、徳島県、高知県、愛媛県)
・九州(7県:福岡県、佐賀県、大分県、宮崎県、熊本県、鹿児島県、沖縄県)

上記41都道府県民の皆さん、ブロックや溝蓋、墓石の隙間などを触る時は、手袋をするなどして毒グモに咬まれないよう十分注意してください。

・東側の側溝蓋裏にいたセアカゴケグモです。

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毒ヘビ「マムシ」

2015-12-27 | 家庭菜園

冬になると、家庭菜園も一段落し、秋に植えた白菜やキャベツ、大根などの収獲時期となります。
収獲以外に寒くなってよいことは、畑に出かけても蛇に出くわす心配がないことです。
春先から初秋までは蔓性野菜の畝の中からヘビが出てくることが時々ありました。
その殆どは毒ヘビではありませんが、たまにマムシが出てくることがあります。
今年の9月初旬に、菜園仲間のT氏が畑でマムシを仕留めたのを見せてくれましたが、その時、毒ヘビには注意しなければと再認識したものです。

マムシは日本に生息する唯一の毒ヘビと言われています。
強い出血毒を持っていますが、毒の絶対量が少ないため、噛まれても致命傷になることは少ないようです。
それでも死亡例が報告されているので、注意するに越したことはありません。

ところで、そのような猛毒を持ったマムシ同士が喧嘩して、相手に噛みついた場合、噛みつかれたマムシはどうなるのでしょうね。
死亡するのでしょうか?
そうではないようです。
噛みつかれたマムシは一時的にかなり弱るそうですが、他の小動物のように死に至ることはないと言うことです。
マムシの体内にはマムシ毒に対する免疫があるため、暫くすると回復するとそうです。

但し、他の毒ヘビにかまれた場合はその免疫は効かないので、他の小動物と同じように絶命してしまいます。
毒ヘビが毒ヘビに噛まれても大丈夫なのは同種の毒ヘビだけということです。

ところが、同種の毒ヘビにかまれても死んでしまう毒ヘビもいます。
それはコブラだそうです。
勿論、コブラも体内に免疫は持っていますが、余りにもコブラ毒の毒性が強いため、免疫だけでは太刀打ちできないそうです。

ところで、俳優でタレントの毒蝮三太夫さんも毒がありそうですが、テレビをご覧の皆さんは免疫ができていますか。

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質屋

2015-12-26 | 雑学

現在は余り見かけませんが、昔は「質屋」の暖簾や看板をよく見かけました。
個人的にお世話になったことはありませんが、30年ほど前に仕事ではよく訪ねました。
当時、主が話すには、電化製品をクレジットで購入し、梱包されたまま質屋に持ってくる人も居たということです。
クレジットの決済はどのようにしたのかは知りませんが、それはさておき、この質屋さん、いつ頃から存在していたのでしょうか?

調べてみると、日本の質屋の起源は鎌倉時代といわれ、1960年代頃まで庶民金融の主力となっていたようです。
しかし、1970年代頃から、無担保・無保証人で一般市民に融資を行う「団地金融」(消費者金融、サラ金の前身)が起こり始めると、廃業する質屋が多くなったようです。

質屋とは、広辞苑によると、質物を担保として質入れ主に金銭を貸し付けることを業とする者。また、その店。江戸時代の重要な庶民金融機関。中世には土倉と呼んだ。と説明しています。

辞書が示すように、質屋の仕組みは「モノを担保にお金を貸すこと」で、これは、古来より変わっていません。
江戸時代の質物台帳には古着(着物)、反物、大工道具類、鍋等の記述があることから、当時はこれらが質草となっていたということです。

質屋は物々交換社会では必要がありません。
お金が必要だからこそ、モノを担保にお金を借りるのであって、この事は質屋という職業は貨幣経済がないと成り立たない職業ということになります。

貨幣制度が庶民の生活まで浸透してきたのは鎌倉時代の中期頃といわれており、この頃に「庫倉」という動産金融が行われたようです。
これ が室町時代になると「土蔵」「土倉」となり、江戸時代に「質屋」という名称になって現代まで発展してきましたが、近代質屋となったのは明治以降です。
中央集権国家として全国統一の法律が作られ、その際に制定されたのが「質屋営業法」で、この法に基づく質屋という商売が近代質屋として発展してきたということです。

なお、昔は「人質」もあったようです。
文武天皇の大宝元年(701 年)に制定された大宝律令の中に「質制及び出挙(すいきょ)の制」という規定があるそうで、そこには「年貢米やそれに見合う絹布などが納められないときは、その家の男衆が人質となり寺の造築や河川の修復などに人夫となって働かねばならない」と記してあります。
ここから「人質」という言葉が発生したと言われています。

現在では、金銭目当ての人質事件が発生すると、人命が脅かされることがありますが、人質の原点は年貢米に代わる強制労働だったようですね。

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僧侶の符丁

2015-12-25 | 雑学

「吾亦紅(われもこう)」はご存知ですよね。日本列島や朝鮮半島、中国大陸に分布するバラ科・ワレモコウ属の植物です。
では、「吾無口(われむこう)」をご存知でしょうか?
今日は僧侶の世界で用いられていた数字の符丁をご紹介します。

符丁とは、合図の隠語、合言葉、記号、符号等のことで、数字の符丁の基本は、数字と一対一に対応する言葉を定めることです。
一番簡単なのは、いろは歌や五十音表の一文字を一つの数字に対応させるもので、例えば、質屋さんの符丁は「あかさたなはまやらわ」で、「あ」が一、「か」が二、と進んで、「わ」が十となり、たばこ商の符丁は「いろはにほへとちりぬ」で、「い」が一、「ろ」が二、「は」が三と続くようです。

そして、僧侶の符丁は、漢字を分解して一から十の数字を作る「字謎」と呼ばれるもので、例えば、「大無人・だいむじん」と言えば、「大」から「人」を取る(無くす)と、「一」になるので、数字の「一」表す符丁と言う訳です。
そこで冒頭の「吾無口(われむこう)」ですが、「吾」から「口」を無くすと「五」になることから、僧侶の隠語では数字の「5」を表すということです。

この事は、先日の某新聞のコラム欄に載っていました。
その記事とは、
「切無刀(せつむとう)」さて、何のことでしょうか?
刀なしに切るのは秘剣の極意かと思えば、さにあらず。「切」の「刀」がなくて「七」。ものの本によれば、僧侶の世界で用いられた数字の符丁だという。
「一」が<大無人・だいむじん>(大から人を取る)、「二」」が<天無人・てんむじん>(天から人を取る)・・・と続く。
年の暮れに残りの日数が少なくなることを「数え日」という。駆け足で去りゆく時を惜しむ方は、足取りの重々しい<切無刀>式で数えてみるのもよろしかろう。
指を折って数えてみると、今年も残すところ9日になった。九は<鳩無鳥・はとむちょう>と数えるらしい。
内には振り込めサギが後を絶たず、外にはガン(銃)の悲劇が続き、自然災害のキジ(記事)も記憶に生々しい。
地球儀を回してテロの傷痕を辿ってみれば、出会った鳥の中に平和を告げるハトの姿はまだない。(中略)
そして、数え日の「五」も味わいが深い。<吾無口(われむこう)>。年の瀬はときに人を無口にする。
で結んでいます。

このコラムを読んで、何故僧侶の世界で符丁ができたのか?
考えてみるに、お札を数える時の人の顔は、その人の地顔がでるといわれています。
「数える」という行為には、何か人間の本質をむき出しにしてしまう力があるようであり、僧侶の場合、お布施にほころぶ顔を見せないために、符丁が作られたのではないだろうか。

その僧侶の1~10までの符丁をご紹介します。
・一は<大無人・だいむじん> (大から人を取る)
・二は<天無人・てんむじん> (天から人を取る)
・三は<王無中・おうむちゅう> (王の字の中の棒を取ると三になる) <王無棒・おうむぼう>とも言う。
・四は<罪無非・ざいむひ>   (「罪」から「非」を取る)          <置無直(ちむちょく)>とも言う。 
・五は<吾無口・われむこう>  (「吾」の字から「口」を取ると五になる)
・六は<交無人・こうむじん)> (交の字から人をを取ると六になる)  <立無一(りつむいち)>とも言う。
・七は<切無刀・せつむとう)> (切の字から刀を取ると七になる)
・八は<分無刀・ぶんむとう)> (分の字から刀を取ると八になる)   <木無十(もくむじゅう)>とも言う。
九・は<丸無点・がんむてん)> (丸の字から点をを取ると九になる)  <鳩無鳥(はとむちょう)>とも言う。
・十は<千無点・せんむてん)> (千の字から点を取ると十になる)   <針無金(しんむきん)>とも言う。

流石お坊さんの符丁(隠語)、何となくお経の言葉のように読めるから不思議です。

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注連縄作り

2015-12-24 | 地元紹介

昨日、地元のNPO法人“グリーンパーク熊取”が主催する注連縄作りの講習会に行ってきました。
この注連縄作りは、“グリーンパーク熊取”の人たちが材料一式を揃え、完成まで個別に指導していただけるということで人気があり、今年も予定人員を超える参加者があって大盛況でした。
私は今年が4回目の参加ですが、1年経つと作り方の手順をすっかり忘れています。

・講習会開始に先立つ“グリーンパーク熊取”代表者の挨拶です。


・これが注連縄作りの材料一式です。綯(な)い上げる稲藁は外においています。


講習に先立ち、グリーンパークのメンバーが作り方のデモンストレーションをしてくれました。

1.袴を取り除いて束ねた稲藁を用意し、それを上から吊るされたロープに結んでいるところです。


2.吊るされた稲藁を三等分し、その中にアンコと呼ばれる稲藁の袴クズを包み込みます。


3.三等分した藁は各々右に堅く回して絞り上げ、左隣の人に渡しながら綯(な)い上げていきます。


4.藁の先端まで綯(な)い上げ、解けないようにビニタイで止めます。


各テーブルで各人がデモンストレーションのように綯(な)い上げていきました。
これが出来上がった私の注連縄です。
この後、藁のはみ出し部分を鋏で綺麗に刈り上げていきます。



ここから注連縄のお飾りの作業に移ります。
用意したお下がり(稲藁5本を半分に折る)を、竹串を用いて注連縄に突き刺して取りつけます。

・これが取りつける前のお下がりです。


半紙で紙垂(しで)を作り、ユズリハを取りつけます。
紙垂(しで)の作り方・・・1.半紙の表を外側にして半分に折る
               2.建てに8等分の折り目を入れる
               3.折り目に沿って交互に四分の三まで切ります。
               4.切ったところまで折って紙垂(しで)にします。


裏白と紙垂、それに橙を注連縄に取りつけます。



最後に紅白の水引を結んで出来上がりです。(右が紅、左が白になるように結びます)
参加者の皆さんは、立派に出来上がった自分の注連縄を眺めて、満足の笑みがこぼれた講習会でした。

・これが完成した注連縄です。


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牛乳

2015-12-23 | 雑学

以前、某テレビの番組で、“運動の後に牛乳を飲むと癌になりにくい”と放送していたのを記憶しています。
放送の中で、「運動後にコップ一杯(200ml)の牛乳を飲むとリンパ球が増殖して癌細胞の繁殖を防ぐ」と説明していました。

そこで調べてみると、牛乳のタンパク質には、病原体を体に侵入させないだけでなく、病原菌と戦う抗体をつくり出す他、リンパ球などの免疫細胞を増殖させたり、病原菌に感染した細胞の繁殖を防ぐなど、免疫系を強化する働きがあると言うことです。
そして、免疫力をアップさせるには、牛乳摂取などによるバランスのよい食事、適度な運動、十分な睡眠、ストレスや疲労を残さないなど、生活のリズムを守ることも大切と解説していました。

さて、その牛乳は、ご存知のように乳牛から搾乳(さくにゅう)しますが、では1頭の乳牛からは、いつからいつまで搾乳できるのでしょうか?

乳牛も人間の女性と同じく、子牛を生まなくてはお乳が出ません。
牛の妊娠期間はおよそ280日だそうです。
生まれた子牛は成長のために欠かせない初乳を一週間ほど飲んだ後、すぐに母親から引き離されてしまい、代用乳で育てられます。
その後の10ヶ月間に限って乳牛から搾ることができるのだそうです。
この間、乳牛は一日に25リットル、10ヶ月でおよそ7500リットルのお乳を出せてくれるということです。

お乳を出しきった乳牛は、2ヶ月ほど休んだ後、再び妊娠させられ、280日後の出産を待つことになります。
つまり、私たちが口にしている牛乳は子牛に与えられるべきものを横取りしていることになります。
乳牛はこの出産~搾乳を5~6回繰り返してその役目を終えるのだそうです。

このように、子牛に与える筈であったお乳を横取りしてまで、私たちに提供してくれている牛乳を嫌いだという人も多いと聞きますが、牛乳には、便秘解消や高血圧予防の効果もあるそうです。
健康維持のためにも、毎日コップ一杯の牛乳を飲む習慣をつけては如何でしょうか。

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道頓堀人情

2015-12-22 | ナツメロ

先日、NHKの歌番組“わが心の大阪メロディ”で、私の好きな曲、天童よしみの「道頓堀人情(とんぼりにんじょう)」が歌われていました。
今日はこの曲をご紹介したいと思います。

天童よしみは少女時代、何にもまして歌うことが大好きな女の子で、天才少女演歌歌手と騒がれたそうです。
昭和46年(1971年)には「ちびっこのど自慢」に出場して優勝し、その実力が認められて、フジTV系の「いなかっぺ大将」の挿入歌、「大ちゃん数え唄」をレコーディングするなど、当時は、さまざまなのど自慢大会に出場しては、優勝をさらってしまうほどの実力派だったと言われています。

読売テレビの「全日本歌謡選手権」で10週を勝ち抜き、最年少で7代目チャンピオンとなり、昭和47年(1972年)11月にキャニオンレコードより『風が吹く』でデビューしました。
しかし、ヒット曲には恵まれず苦労したようです。

その後、テイチクレコードに移籍し、昭和60年(1985年)12月に移籍第一弾となるシングル「道頓堀人情(とんぼりにんじょう)」を発売するにあたり、北は北海道から南は福岡県まで1か月で300件もの営業をこなしたことから、有線でじわじわと人気が出てくるようになりました。
結果、この曲はヒット作となり、翌年7月には『道頓堀人情』で第19回全日本有線放送大賞上半期特別賞を受賞しました。

「道頓堀人情」が大ブレークしたことで人気歌手の仲間入りを果たし、平成9年(1997年)にリリースした「珍島物語」は100万枚の大ヒットを記録、そして、20世紀最後の年となる平成12年(2000年)には、「NHK紅白歌合戦」で紅組のトリを務めるまでになりました。
天童よしみは歌のうまさでは間違いなくトップ・クラスの演歌歌手です。

それでは、その天童よしみの最初のヒット曲「道頓堀人情」をお聴きください。


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