らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

奈良・日帰りの旅(その5)三月堂

2013-09-30 | 旅行

先日から奈良市の「東大寺」をご紹介していますが、5回目の今日で東大寺の伽藍は最終となります。

「法華堂(三月堂)(国宝)」
東大寺法華堂(とうだいじほっけどう)は、奈良時代(8世紀)建立の仏堂で、一般に三月堂(さんがつどう)として知られています。
東大寺に現存する数少ない奈良時代建築の1つであり、堂内に安置する10体の仏像も奈良時代の作だそうです。
旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われることから、法華堂、また三月堂とも呼ばれるようになりました。
白い漆喰塗りの土の壇(亀腹)上に建てられている「法華堂」は、丈六(4.85m)の本尊「不空羅索観音(ふくうけんじゃくかんのん)立像」に因んで「羅索(けんじゃく)堂」とも呼ばれ、「羅」は狩猟の網、「索」は魚釣りの糸の事で、それらを持って、人々の苦難を摘み取る観音様だそうです。



「四月堂(三昧堂)(重文)」
東大寺の三昧堂(さんまいどう)は、「法華三昧会」が旧暦の4月に行われるため、一般に四月堂と呼ばれています。
法華三昧とは、天台宗における四種三昧の一つである「半行半坐三昧」のうち、法華経に基づいて行われる行のことです。

三昧堂は1021年に創建され、その後、鎌倉時代に再建されています。更にその後、鎌倉・室町期の古材を用いて1681年に改築されました。
現在は、1903年に法華堂(三月堂)から移された千手観音立像が本尊となっていますが、かつては普賢菩薩像を本尊としたため、普賢堂(ふげんどう)とも呼ばれたそうです。



「手向山八幡宮」
「手向山(たむけやま)八幡宮」は、大仏鋳造の時に、その守護神として豊前(大分県)の宇佐八幡神を勧請され、東大寺の鎮守社でしたが、明治維新直後の神仏分離に際し東大寺から独立しました。
1691年(元禄4年)公慶再建の本殿に祀られていた快慶作で国宝「木造僧形八幡座像」は、今は東大寺勧進所の八幡殿に秘仏として安置され、毎年10月5日に開扉されるようです。




・手向け山八幡宮の本殿です。


菅原道真の「腰掛石」と「歌碑」です
「手向山八幡宮」の本殿に向かって右(南)へ行くと、菅原道真が腰を掛けたと言われる石があります。
彼は898年(昌泰元年)10月朱雀院(宇多上皇)が吉野の宮滝から、竜田山を越えて河内に入り、住吉神社に詣でて御幸された時に随行し、「手向山」にも立ち寄って、「百人一首24」に載った「古今集」の和歌を詠みました。

 「此のたびは幣(ぬさ)も取りあえず手向山 紅葉の錦(にしき)神のまにまに」 菅家(菅原道真)

意訳:このたびの旅は急なお出掛けのため、お供えの幣帛(へいはく)の用意もできていません。
    とりあえず、この手向山の美しい紅葉の錦を幣帛として神よ、御心のままにお受け取りください

 この時、彼は54歳、右大臣に昇格する前年で、それから3年後、筑前の大宰府へ左遷されました。



「若草山」
奈良公園の東、東大寺の裏手に広がる標高342メートルの草山で、3つの頂があるため別名「三笠山」とも呼ばれています。
広さが33haあり、山内のあちらこちらで鹿を見ることができ、春には桜、秋の紅葉、ススキと四季折々の自然を楽しむことができます。
若草山の入山料は150円。



「昼食」
昼食は若草山の前にある大和風料理の菊一文殊包永・永楽レストランで「茶がゆ」と「三輪そうめん」を頂きました。
このレストラン「菊一文珠四郎包永(きくいちもんじゅしろうかねなが)」は、古く鎌倉時代より刀剣の匠(たくみ)として銘を受けた刀鍛冶だそうで、現在ではその秘伝の技を包丁等の刃物に生かして今日に伝えているそうです。

・昼食の茶がゆと三輪そうめんです。


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奈良・日帰りの旅(その4)二月堂

2013-09-29 | 旅行

「奈良・日帰りの旅」シリーズで奈良市の「東大寺」をご紹介していますが、今日も伽藍の一部をご紹介します。

「東大寺二月堂(国宝)」

東大寺二月堂は、東大寺にある奈良時代(8世紀)創建の仏堂で、旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名があります。
二月堂の現在の建物は、寛文7年(1667年)のお水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたものです。
このお堂は2005年12月に国宝に指定されています。
本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏となっているそうです。

・お水取りで知られている二月堂です。


「閼伽井屋(あかいや)(重文)」:鎌倉時代初期
案内板によれば次のようにと書かれています。
この閼伽井屋は、修二会に際し、毎年3月12日(13日午前1時すぎ)にこの屋内にある井戸より、本尊「十一面観世音菩薩」にお供えする『御香水(おこうずい:閼伽水(あかみず)』を汲む儀式を行うところです。
天平勝宝4年(752年)、実忠じっちゅう)和尚が二月堂で初めて修二会を行い、諸神を勧請した際、若狭国の遠敷(おにう)明神が献じたものであるところから「若狭井(わかさい)」とも呼ばれています。
現在の建物は13世紀初期に再建されたものであろう。



「鐘楼(国宝)」:鎌倉時代、
13世紀初頭の建築で国宝に指定されています。。
吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の製作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385㎝、口径271㎝)で、重量は26.3トンもあるそうです。



「梵鐘(国宝)」
東大寺の鐘は、重さ26.364トンもある大鐘で、擬人化して「奈良太郎(奈良の大鐘、或いは奈良時代の大鐘)」と呼ばれて来ました。
直径は2.708m、高さは3.853mで、音色は豪壮、長く響き渡ることで知られ、「日本三名鐘」の一つとされています。
現在の鐘楼は、鎌倉時代(1207~10年)に、栄西によって再建されたもので、梵鐘も、鐘楼も、国宝に指定されています。
この鐘楼には中に入ってその梵鐘を下から覗くことができますが、過去に数度落下したことがあるようです。



「俊乗堂」
鎌倉時代に大仏と大仏殿を再興した中興の祖・俊乗房 重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)を祀る堂です。
現在の堂は宝永元年(1704年)の再建です。
本尊の俊乗上人坐像(国宝)は、上人が86歳で没した直後の製作と思われ、鎌倉時代肖像彫刻の傑作と言われています。



「俊乗房重源上人坐像」
「俊乗堂」は鐘楼の北側に、公慶上人(こうけいしょうにん)が重源上人(ちょうげんしょうにん)の遺徳を讃えて建立しました。
堂内中央に国宝「重源上人坐像」が安置されているそうです。
1180年(治承4年)平重衡によって大仏殿が焼かれるなど、東大寺の多くの伽藍が焼失しましたが、翌年60歳を過ぎた彼が造東大寺の大勧進職に任ぜられ、10数年の歳月をかけて東大寺の再興を成し遂げました。
再建に当って、大仏様(だいぶつよう)と呼ぶ宋風建築様式を取り入れ、再建の功により大和尚の号を受け、1206年(健永元年)86歳で入滅しました。

・俊乗房重源上人坐像のレプリカです(ウィキペディアより)


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奈良・日帰りの旅(その3)東大寺ミュージアム

2013-09-28 | 旅行

南大門を入るとすぐ左手に東大寺ミュージアムがあります。
このミュージアムは平成23年(2011年)10月10日、寺宝収蔵の新施設として開館しました。
5室からなる展示室のうち、第2室は法華堂(三月堂)の内陣をイメージして設計されているのだそうです。
館内は撮影禁止のため、パンフレットの画像をスキャニングしてその一部をご紹介します。

*国宝 東大寺金堂鎮壇具のうち、金銀荘大刀、 奈良時代(8世紀)
東大寺の大仏足元から明治時代に出土した国宝の「金銀荘太刀」(きんぎんそうのたち)二本は、平成22年に修理のためのX線調査を行ったところ、刀身にそれぞれ「陽剣」「陰剣」の象嵌銘(ぞうがんめい)が見つかり、約1250年間にわたり行方不明だった宝剣「陽宝剣」(ようのほうけん)「陰宝剣」(いんのほうけん)と分かりました。
光明皇后が天皇の遺品として東大寺に献納後、正倉院から取り出し、埋納したとみられているそうです。
皇后からの献納品目録「国家珍宝帳」の武器リスト筆頭に記した貴重な宝剣ということです。

・金銀荘大刀(その1)(その2)。上が「陰剣」、下が「陽剣」です。


*国宝 東大寺金堂鎮壇具のうち、銀製蟬形鏁子、奈良時代(8世紀)
鏁子(さす)とは、錠の一部分のことです。
蝉の形をした錠で、蝉の目の間にある鍵穴に、鍵を差し込み開閉します。
銀製の錠は非常に珍しいと言われています。

*国宝 瑞花六花鏡、奈良時代(8世紀)
白銅鋳造で、中央に鈕と蓮弁を据え、周囲には唐草でつないだ四弁の瑞花と蕾を、流麗な線でもって描きだしています。
意匠自体は瀟洒(しょうしゃ:あかぬけているさま)であるが、文様の鎬が甘いところから、唐鏡を型取りして鋳造した、いわゆる踏み返しの技法をもって製作された鏡と考えられています。



*日光菩薩(国宝)
日光菩薩は日光遍照菩薩とも呼ばれ、太陽の如く光を照らして苦しみの闇を消すといわれます。
基本は薬師如来の脇侍で、左を日光菩薩・右を月光菩薩で三尊で並び、独尊で祀られたり信仰されることはないそうです。

日光菩薩と月光菩薩は鏡を見ているようにそれぞれ左右対照的に造られることが多く、決まった形というのはないようで、立っていたり座っていたりするようです。
手にはそれぞれ月輪と日輪を持っています。
健康長寿、病気治癒、災難除去のご利益があるとされる。

・日光菩薩です。


*月光菩薩(国宝)
月光菩薩は月光遍照菩薩とも呼ばれ、月の光のようなやさしい慈しみの心で煩悩を消すといわれます。
薬師三尊のひとつで、釈迦の生前の姿ともされています。


*金鈿荘大刀(きんでんそうのたち)(その3)
鞘に繊細な金平脱唐草文様がほどこされた金鈿荘大刀です。下はX線写真です。


以上、パンフレットに載っている宝物の一部をスキャニングしてご紹介しましたが、ミュージアムには他にも、
第1室に国宝誕生釈迦仏立像および灌仏盤(奈良時代)など大仏開眼頃の彫刻と工芸が、
第2室に重文地蔵菩薩坐像(鎌倉時代)重文不動明王及び二童子像(南北朝時代)天平写経、
第3室に重文塑造弁才天立像及び吉祥天立像(奈良時代)のほか、彫刻や工芸、
第4室に東大寺の聖教・記録・古文書・絵画、
第5室に東大寺の考古などが展示されています。
 いずれも、東大寺の歴史を語る貴重なものばかりです。
興味のある方は一度お訪ねしてみては如何でしょうか?
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奈良・日帰りの旅(その2)東大寺(2)

2013-09-27 | 旅行

昨日に続き、東大寺をご紹介します。

「中門(重文」
金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造りの楼門(2階建ての門)です。
享保元年(1716年)ころの再建で、中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂の左右に至っています。



・中門の右側に位置する東回廊です。


「虚空蔵菩薩像(重要文化財)」
大仏の左右には脇侍として木造の如意輪観音坐像と虚空蔵菩薩坐像が安置されています。
これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造で、京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて製作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻だそうです。

虚空蔵(こくうぞう)とは宇宙のような無限の知恵と慈悲が収まっている蔵を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して知恵や記憶力、知識を与えてくれるとされています。
成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があり、丑・寅年の守り本尊です。



「如意輪観音菩薩像(重要文化財)」
如意輪観音像は元文3年(1738年)ごろの完成だそうです。
「如意」とは意のままに智慧や財宝、福徳をもたらす如意宝珠という宝の珠のことであり、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指しており、その二つを手に持った観音菩薩ということで如意輪観音といいます。
六観音の一つに数えられ、天界道に迷う人々を救うとされていますが、6本の手で六道すべてに救いの手を差し伸べるともいわれています。
智慧、財福、福徳授与、安産、延命のご利益があると言われています。



「光背の化仏(けぶつ)」
大仏様の光背に配されているのが小さな仏、「化仏(けぶつ)」で、簡単にいえば、本体の大仏さまの代行者です。
仏は体がひとつでも、その慈悲の作用は世の中の隅々にまで及びますが、その様子をあらわすのが化仏なのです。
光背は仏から発せられる光を表わしており、光が速やかに四方を照らすように、仏の慈悲は広がっています。
化仏は光のように四方へ飛んでいって、そこで仏本体の代行者として衆生を救済するという働きをします。



「鼻の穴」
柱の穴は大仏様の鼻の穴の大きさと言われており、大きさは、縦37cm 横30cm 奥行き108cm(東大寺調べ)だそうです。
この柱の穴の本来の意味は一種の「鬼門遁甲(きもんとんこう)」で、解り易く言えば”鬼門封じ”だそうです。

東大寺大仏殿の穴のあいた柱は、大仏殿の中でも、丑寅、つまりちょうど北東、”鬼門”のど真ん中に立っているそうです。
この為”鬼門”から堂内に”邪気”が流れ込むと、その柱に邪気当たって堂内に蔓延するので、わざわざ穴を開けて、”邪気”の流れを穴を通して逃がすようにしているのだそうです。



「賓頭盧(びんづる)尊者」
釈迦仏の弟子で如来・菩薩以前の修行過程にある十六羅漢の内、第一の聖者です。
説法に優れ、獅子吼(ししく)第一」と称されましたが、釈迦にとがめられたほど神通力の持ち主でもあったと言われています。
この尊者には種々の伝説があり、中国ではそれをもとに、聖僧として食堂(じきどう)に彼の像が安置され、日本ではその像を伽藍の前に安置されます。
病人が患っている個所と同じ部分を撫でると治ると言う信仰があって、撫仏(なでぼとけ)とも呼ばれています。

なお、「獅子吼」とは仏が説法するのを獅子が吠えて百獣を恐れさせる威力に例えて言う言葉で、真理・正道を説いて発揚することです。

・大仏殿の前に安置されている「賓頭盧(びんづる)尊者」です。


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奈良・日帰りの旅(その1)東大寺(1)

2013-09-26 | 旅行

先日、熊取町文化振興連絡協議会(以下、熊取町文振連)の社会見学会で奈良市の「東大寺」と「奈良まち地区」を見学してきました。
今日から数回に分けてご紹介します。

熊取町文振連は、公民館等において定期的に自主的な学習や文化活動を行っているクラブで組織している協議会です。
各クラブ間の連絡調整やクラブ運営の研究を深め、研修会の開催や町民文化祭などに参加しています。
毎年この時期には社会見学会を企画しているもので、今年は130名ほどが参加しました。

早速、東大寺からご紹介していきます。

「東大寺南大門(国宝)」
天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊し、現在の門は鎌倉時代に東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したものです。
正治元年(1199年)に上棟し、建仁3年(1203年)には門内に安置する仁王像とともに竣工しました。
入母屋造、五間三戸二重門で、下層は天井がなく腰屋根構造となっています。
また屋根裏まで達している大円柱18本は21m、門の高さは基壇上25.46mで、わが国最大の山門だそうです。


「仁王像(国宝)」
この向かい合っている二体の金剛力士立像は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われましたが、天平創建期から向かい会って立っているそうです。
この金剛力士立像は8.4mの巨大な木像で、国宝に指定されています。

・右側に安置されている吽形(うんぎょう)です。


左側に安置されている金剛力士像(阿形)も国宝に指定されています。

・左側に安置されている阿形(あぎょう)です。


「東大寺金堂(大仏殿)(国宝)」
現存の大仏殿は正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートルです。
高さと奥行は創建当時とほぼ同じですが、幅は創建当時(約86メートル)の約3分の2になっているそうです。

大仏殿はしばしば「世界最大の木造建築」と紹介されていますが、20世紀以降の近代建築物の中には、大仏殿を上回る規模のものが存在することから、「世界最大の木造軸組建築」とするのが正しいようです。



「大仏殿の正面唐破風」
毎年、大晦日から元旦に正面唐破風(からはふ)下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から拝しながら新年を迎えることができるようです。


「大仏(盧舎那仏像)(国宝)」
奈良の大仏として知られる大仏様は、正式には東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)で、東大寺大仏殿(金堂)のご本尊です。
大仏は、像の高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルで、頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修ですが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部建立当時の天平時代の部分も残っているそうです。
大仏は昭和33年(1958年)に「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」として国宝に指定されています。

東大寺の大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に造像が発願されました。
実際の造像は天平17年(745年)から準備が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施されています。
この工事に関わった人は、延260万人とされており、創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出されるそうです。

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弓取り式

2013-09-25 | 雑学

今、大相撲秋場所が行われていますが、大相撲では毎日結びの一番の後に「弓取り式」が行われます。
弓取式(ゆみとりしき)とは、ご存知のように大相撲の本場所で結びの一番の勝者に代わり、作法を心得た力士が土俵上で弓を受け、勝者の舞を演じる儀式で、全取組終了後、打ち出し前に行われるものですが、今日はその由来について調べました。

弓取り式は、現在は伊勢ケ濱部屋の聡ノ富士 (さとのふじ )と言う力士だと思いますが、毎日見事に演じています。
先日、相撲解説で、“聡ノ富士の弓回しは早くて切れがいい”と評していました。

この弓取り式は平安時代に行われた相撲節会で左近衛府と右近衛府に分かれ相撲を取り、勝った方の立会役が矢を背負って勝者の舞を演じたことが始まりといわれています。
今日の原型は1791年7月11日(寛政3年6月11日)に横綱である2代谷風梶之助が徳川家斉の上覧相撲で、土俵上で弓を受け「敬い奉げて四方に振り回した」ときにできあがったとされています。

弓取り式は、元々は千秋楽にのみ行われ、この場所最後の勝者を称えてのものだったそうです。
そのため、千秋楽結びの一番が引き分けや痛み分けの場合は中止されたようですが、1952年(昭和27年)5月場所からは、毎日行われるようになりました。

弓取を行う力士は基本的に横綱がいる部屋の力士で、横綱不在の場合は大関のいる部屋から選出されます。
また原則として幕下力士だそうで、この地位では本来は結えない大銀杏を特別に結い、化粧廻しも協会所有のものを締めて土俵に上がるようです。

なお、弓を落とした場合は、足で拾いますが、これは、手を土俵につくと負けとなり縁起が悪いことからのようで、拾い方は足の甲に弓を乗せ、足で弓を上に跳ね上げたところを掴み取ります。
また、弓を土俵の外に飛ばした場合は、呼出が拾って手渡すことになっているそうです。

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おもてなし

2013-09-24 | 時事

半月前のあの興奮。覚えていますよね。
そうです。2020年東京オリンピック決定の瞬間です。

今回、東京がオリンピック招致に成功した要因の1つに、滝川クリステルさんのプレゼンを挙げる人も少なくないようです。
フランス語でのプレゼン中に、日本語で「おもてなし」と表現して話題になりました。

マスコミに語られた関西大学の乾善彦氏によれば、この「おもてなし」という言葉は「そのように扱う」、「そのようにする」などの意味の「なす(成)」に、接頭語「もて」がついたものだそうで、「もて」の付く語には他にも「もてさわぐ」等があって、動詞に付属して「意識的に物事を行う、特に強調する意味を添える」のだそうです。
つまり「もてなす」は「扱う」ことを強調する場合に使う言葉ということになるようです。

広辞苑では、「とりなす」「待遇する」「歓待する」「御馳走する」「面倒をみる」「世話をする」等と説明していますが、そもそもの意味は「とりなす、処置する」、「取り扱う、待遇する」というもので、現代のように接待に関して用いられるのは中世以降になってからだそうです。

因みに、英語では、「hospitality」、フランス語では「accueil」などが、「おもてなし」にあたる言葉と考えられているようですが、語源はラテン語のhospesで、ホスピタリティは病院(Hospital)と語源を共にしています。
かつて交通機関や宿が整備されていない時代、危険と隣り合わせに巡礼する異邦人を歓待することを意味し、家族と接するように、表裏の無い心で見返りを求めない対応と言われています。

今回、滝川クリステルさんが、フランス語のプレゼンで、あえて日本語で表現したのは、「日本独特の接待の仕方を強調するために、外国語に翻訳すると失われかねない、何かがあることを意識したのではないか」と言われています。

・滝川クリステルさんです。(ネットより)


(参考)
滝川クリステルさんのプレゼン全文をご紹介します。(日本語訳)

東京は皆様を、ユニークにお迎えします。
日本語ではそれを「おもてなし」という一語で表現できます。
それは、見返りを求めないホスピタリティの精神、それは先祖代々受け継がれながら、日本の超現代的な文化にも深く根付いています。「おもてなし」という言葉は、なぜ日本人が互いに助け合い、お迎えするお客様のことを大切にするかを示しています。

ひとつ簡単な例をご紹介しましょう。
もし皆様が東京で何かを失くしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。たとえ現金でも。実際に昨年、現金3,000万ドル以上が、落し物として、東京の警察署に届けられました。

世界を旅する75,000人の旅行者を対象として行った最近の調査によると、東京は世界で最も安全な都市です。
この調査ではまた、東京は次の項目においても第1位の評価を受けました。
・公共交通機関
・街中の清潔さ
そして、タクシーの運転手の親切さ、においてもです。

あらゆる界隈で、これらの資産を目にするでしょう。
東洋の伝統的な文化、そして最高級の西洋的なショッピングやレストランが、世界で最もミシュランの星が多い街にあり、全てが、未来的な都市の景観に組み込まれています。

私が働いているお台場は、史上初の“ダウンタウン”ゲームズを目指す我々のビジョンの中心地でもあります。
それは都心に完全に融合し、文化、生活、スポーツがユニークに一体化します。
ファントレイル、ライブサイト、チケットを必要としないイベントが、共有スペースにおいて、多くの競技会場を結び、素晴らしい雰囲気を創り出します。

来訪者全てに、生涯忘れ得ぬ想い出をお約束します。

以上ネットより


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セロリ栽培

2013-09-23 | 家庭菜園

今日は、セロリ栽培についてご紹介します。

セロリはパセリとともに、セリ科の代表的な野菜のひとつとされており、和名をオランダミツバと言います。
原産地は地中海沿岸地域で、日本へは16世紀末、朝鮮出兵の際に加藤清正が持ち帰ったと言われており、清正人参の別名もあるそうです。

日本では、セロリには強い香りがあることから苦手な人が多いようですが、アメリカではその強い香りが大変好まれており、現在ではアメリカが世界一の消費国となっているそうです。
我が家では、私も子供の家族も喜んで食べるので数年前から2~3株植えるようにしています。

・今年も先日3株を買ってきて植え付けました。


セロリの植え付けには、有機質に富んだよく肥えた土が向いていると言うことなので、私は元肥えに発酵鶏ふん、バーク堆肥などを入れて植え付けています。
この後、根がしっかり張ってくると追肥として堆肥や化成肥料を多めに施す予定です。
しかし、昨年までは市販されているような太くて大きな茎に育てたことが無いので、今年は更に多めに肥料を与えて見たいと思っているところです。



これより先の8月に、菜園仲間からセロリの苗を頂いたので植え付けていましたが、連日続いた猛暑日と、雨が降らなかったことから畝の土が固まり、根が伸びずにまったく成長しませんでした。
秋の気配が感じられるようになった先日、株を抜いて根の土を落とし、畝も耕し直して再度植え付けてみたところ、少しずつ新芽が出始めたようです。
植物には植える時期があるのでしょうね。

・これが8月に植えた株です。




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コットンボール

2013-09-22 | 家庭菜園

7月30日にご紹介したワタの花です。
この時、「花が咲いた後、5週間くらいすると実が熟し(卵形)、はじけて綿毛に包まれた種子を外に吹き出しますが、これがコットンボールと言われるもので、一般に綿花と呼ばれているものです。」とご紹介しました。
今日はそのコットンボールをご紹介します。

・7月30日にご紹介した綿の花です。


ワタの花の開花後には、成熟した「さく」と呼ばれるボールができます。
その中に種子を包む綿毛(白色の繊維)ができますが、それがコットンボールと呼ばれているものです。

・この丸いボールが「さく」と呼ばれるものです。


ワタとはアオイ科ワタ属の多年草の総称で、コットン(cotton)、即ち木綿(もめん)はワタの種子からとれる繊維の事です。

・「さく」がはじけて現れた綿毛がコットンボールです。


綿の花が落ちると子房がふくらみ始め「さく」と呼ばれる丸いボールができ、その後6~7週間でその皮が破れると,コットンボールと呼ばれる白い柔らかい繊維があふれてきます。
コットンボールにはそれぞれ数粒の種子の入った室が3~5に分かれており,綿繊維はその種子にくっついています。



4個の部屋に分かれているコットンボールを摘み取りました。
この摘み取った状態までのものが棉(めん)で、種子を取り除いた後の状態のものが綿(わた)と呼ばれますが、区別しないことが多いようです。
 
・摘み取ったコットンボールです。


各々の部屋には数個の種子が入っていますが、取りだした一つの部屋には6個の種子がありました。
この種子を取り除いた繊維が綿(わた)と呼ばれているものです。

・一つの部屋には6個の種子がありました。(黒く見えるものが種子です)


今年植えたワタの木1本に、十数個の丸い「さく」と呼ばれるボールがつきました。

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秋の全国交通安全運動

2013-09-21 | 時事

今日から「秋の全国交通安全運動」が行われます。
運転者の皆さん、今日から月末までの運動期間中は厳しい交通取り締まりが実施されると思います。
違反切符を切られないように十分ご注意ください。

今日は大阪府警察本部のHPからその実施内容をご紹介します。

【運動の目的】
この運動は、広く府民に交通安全思想の普及・浸透を図り、交通ルールの遵守と正しい交通マナーの実践を習慣付けるとともに、府民自身による道路交通環境の改善に向けた取組を推進することにより、交通事故防止の徹底を図ることを目的とする。
となっています。

【運動の期間】
 ・平成25年9月21日(土曜日)から9月30日(月曜日)までの10日間
 ・交通事故死ゼロを目指す日 9月30日(月曜日)



【全国重点】
  ・子どもと高齢者の交通事故防止
  ・夕暮れ時と夜間の歩行中・自転車乗用中の交通事故防止
  ・全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
  ・飲酒運転の根絶

【大阪重点】
  ・交差点における交通事故防止

【スローガン】
  ・
しっかりと ルール守って 事故防止
  ・気をつけて! あおになっても 右左

今年の秋の交通安全運動では「子どもと高齢者の交通事故防止」が運動の基本に掲げられています
少子化が進む中、次代を担う子どものかけがえのない命を社会全体で交通事故から守ることが重要であるにも拘らず、通学中の児童が死傷する交通事故が発生するなど、依然として道路において子どもが危険にさらされていること。
また、高齢者の交通事故死者数が交通事故死者数全体の約半数を占め、その減少が強く求められていることから、これらの交通事故情勢に的確に対処するため「子どもと高齢者の交通事故防止」を運動の基本とされています。

運転者の皆さん、子供と高齢者を見たら赤信号と思って安全運転を心掛けましょうね!

コメント (4)
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