らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

ああ新撰組

2016-05-31 | ナツメロ

昨日、浅葱色は、幕末に新撰組のダンダラ模様の羽織の色として使用されたことから有名になったことや、もし、「浅葱色ってどんな色?」と聞かれたら、新撰組の羽織りの色と覚えておきましょうと書きました。

新選組はご存知のように、幕末期に結成された浪士の武力組織です。
1863年正月、将軍上洛警護の浪士組が編成されましたが、その後分裂します。
京都に残った一派が同年三月京都守護職松平容保(まつだいらかたもり)の下で新撰組を名乗り、近藤勇・土方歳三を中心として尊攘・討幕派を弾圧した組織です。

その新撰組を三橋美智也が歌った曲に「ああ新撰組」があります。
昭和30年(1955年)にリリースされた曲ですが、わたしのお気に入りの一曲なのでお聴きいただきたいと思います。
それでは「ああ新撰組」をお聴きください。

  「ああ新撰組」  唄:三橋美智也


   ああ新撰組  作詩:横井弘 作曲:中野忠晴
1. 賀茂の瓦に 千鳥が騒ぐ
  またも血の雨 なみだ雨
  武士と言う名に 命をかけて
  新撰組は 今日も行く

2. 恋も情けも 矢弾(やだま)に捨てて
  戦(いくさ)かさねる 鳥羽伏見
  ともに白刃を 淋しくかざし
  新撰組は 月に泣く

3. 菊の香りに 葵(あおい)が枯れる
  枯れて散る散る 風の中
  変わる時勢に 背中を向けて
  新撰組よ 何処へゆく

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浅葱(あさぎ)色

2016-05-30 | 雑学

「あさぎ色」って、よく聞く色名ですが、一体どのような色なのでしょうね。ご存知でしょうか?
そこで調べてみました。

日本には日本の伝統色と言うものがあります。
これらの色は日本文化特有の色彩感覚に基づいた色、或いは過去の歴史資料において出典がある日本固有の伝統的な色のことで、千百余色あって、浅葱(あさぎ)色はその中の一色です。
薄い葱(ねぎ)の葉のような色という意味で、藍染の薄い青色の代表的な色名の一つです。

江戸時代に浅葱色は一般的な色になり、庶民の間でも広く使われていました。
しかし、その後、丈夫で汚れの目立たない紺木綿が流行してくると、江戸庶民は浅葱木綿をあまり使わなくなってきます。
一方で、地方から江戸にやってくる侍たちは羽織裏などに使い続けていたため、田舎侍の事を「浅葱裏」と呼んで揶揄したといわれています。
また、下級武士が浅葱木綿の羽織裏を愛用していたことから、吉原の遊郭では無粋なことを「浅葱裏(あさぎうら)」と言ってからかったともいわれています。

・これが浅葱色です。(ネットより)


「あさぎ」は『浅葱』、『浅黄』と表記されている古実書もありますが、これは完全に誤用だそうで、『浅黄』は「うすき」と読まれる文字通り薄い黄色の伝統色、『浅葱』は薄い葱(ねぎ)の葉に因んだ色で、平安時代にはその名が見られる古くからの伝統色だそうです。

「浅葱」とは、広辞苑では、①薄い藍色。みずいろ。うすあお。と説明しています。
幕末に新撰組のダンダラ模様の羽織の色として使用されたことから有名となり、伝統色の中でも最も人気の色の一つだということです。

「浅葱色はどんな色?」と聞かれたら、新撰組の羽織りの色と覚えておきましょう。

・新撰組のダンダラ模様の羽織の色(NHK番組案内より)


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殻を割った卵からひよ子誕生

2016-05-29 | 情報

鶏のひよ子は卵から孵化しますよね。
卵の内側から、ひよ子が殻を割って出てくるシーンは、どなたもよくご存知だと思います。
では、殻を割って卵の白身と黄身を容器に移すと、その容器の中からひよ子が誕生するでしょうか?

数週間前の「ためしてガッテン」だったでしょうか?
番組の中で、千葉市の高校教諭が殻を割った卵の中身から、ひよこを孵化させる実験に成功したシーンを紹介していました。

実験に成功したのは3年ほど前ですが、千葉市中央区にある県立生浜高校の田原豊教諭です。
高校の生物の授業では、殻を割ったニワトリの卵を使ってヒヨコが孵化する様子を観察するそうですが、成長の過程で死んでしまうため、田原教諭は命を奪うことなく観察ができないか30年間にわたって実験を続けてきたそうです。

その結果、殻を割った卵の中身を通気性のよいラップフィルムやプラスチック製のコップで作った容器に入れ、温度や湿度をある条件に保つことで孵化させることに成功したというのです。
この方法で、誕生したヒヨコはその後順調に成長し、孵化の成功率も50%を超えるようになったとのことでした。
黄身と白身がヒヨコに成長する様子を観察できれば、発生についての理解が深まりそうですが、学校の授業で生命の誕生までを目にしながら学べるようになるとは驚きですね。

・「殻を割った卵からひよ子が誕生」のニュースです(NHKのニュースから)



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あすなろ

2016-05-28 | 家庭菜園

「翌檜」、この漢字は何と読むでしょうか?
実は、「あすなろ」と読みます。

あすなろはヒノキ科の常緑樹です。葉はヒノキに似て、うろこ状に重なり合い、雌雄同株で、5月頃単性花を開きます。
日本に古来から存在し、「ひば」「しろび」「あて」「あすひ」「あすはひのき」など、多数の異名をもつ植物です。

大きいものは数10メートルを超えることもありますが、基本的に「檜」よりも小さいことが多いため、「檜のように明日なろう」と意思をもっているとされて「あすなろ」と呼ばれ始めたのが名前の由来とされているようです。



「あすは檜(ひのき)になろう、あすは檜になろう」と念願しながら、永遠に檜になれない、悲しい木「翌檜」。
しかし、あきらめや悲しさだけではなく、明日は何ものかになろうと努める気持ち、目標を立ててそれに向かって進んでいくということが大事だと教えてくれている木、それが「翌檜」のような気がします。

私は家庭菜園をしていますが、思うような作物ができません。
「来年こそはいい作物を作ろう」と思いながらも、毎年、悲しい木の「翌檜」で終わります。
「明日は立派は作物を作れるようになろう」と努力を続けながら、いつの日か檜になりたいものです。

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ケリ

2016-05-27 | 地元紹介

「ケリ(鳧)」と言う野鳥をご存知でしょうか?
美しい鳥ですが、「キリッ、キリッ、キリッ、キリッ」と甲高い声で鳴くので、耳障りな鳥でもあります。
毎年、早春から5月頃まで私の畑近くでよく見られます。

当初、甲高い声でうるさく鳴くこの野鳥は何と言う名前なのだろうかと思いながらも、ただ何となく見過ごしていたのですが、先日、4羽が群れをなして飛んでいたとき、運よく、野鳥に詳しい菜園仲間のT氏がいて、「ケリ」であることを教えてくれました。
今日は飛んでいる姿が美しい「ケリ」をご紹介します。

ケリ(鳧)は、チドリ目チドリ科タゲリ属に分類される野鳥で、モンゴル、中国北東部、日本で繁殖しますが、冬には東南アジア、中国南部などに渡るものもいるようです。
日本においては留鳥として、かつては主に東北地方に分布していたそうですが、近年は分布が拡大し、現在では中部地方、関西地方を中心とした近畿以北の本州に分布しているということです。
更に、最近になって中国地方・北部九州など西日本でも繁殖が確認され始めたそうです。

名前の由来は、甲高く鳴く声が「キリッ、キリッ」、「ケリッ」、「ケケッ」というふうに聞こえることから「ケリ」という名がついたといわれています。

日本野鳥の会京都支部のHPにケリの動画図鑑がありますのでご参照下さい。
http://wbsj-kyoto.net/zukan/2013/01/post-40.html

・これがけりです。(ネットより)


ケリは日本で見られる最大のチドリで、体長は36センチくらい、丁度ハトと同じくらいの大きさです。
警戒心が強く、単独でも敵を追い払うが、近くのほかの個体も集まって、共同防衛をすることもあるそうです。
雌雄同色で、くちばしは短く、黄色で先端が黒く、足は長くて黄色。目は赤橙色で黄色のアイリングがあります。
翼の小翼羽付近には爪があり、爪の大きさや色から雌雄の見当をつけることができるそうです。

昨日も畑の上空をけたたましく鳴きながら飛んでいましたが、動きが早くて撮影できなかったので、画像はネットから拝借しています。

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高野街道を歩く(3)

2016-05-26 | 趣味

一昨日から「高野街道を歩く」と題して書いています。
今回は大阪府河内長野市の南海高野線天見駅から和歌山県橋本市までの約11㎞、しかも途中には標高400メートルの紀見峠を越えがあるコースを、足に自信がある11名の仲間が、全員余裕を持って完歩しました。
高野街道は信仰の道と言うことで、沿道にはご紹介する名所旧跡が余りなく、このシリーズは今日の記事をもって終了とさせていただきます。

「紀見トンネル和歌山県側出口」
国道371号線紀見トンネルの和歌山県側の出口です。
私たちは大阪側のトンネルの手前から右に分かれて旧国道を歩き、この山の峠を越えてきましたが、左側の国道を通るとここに出てきます。



橋本へと続く高野街道です。


橋本駅が近づきました。紀見トンネルからここまで約2時間かかりました。
これは南海高野線のガードです。


こちらはJR和歌山線のガードです。
ガード側面には「高野街道」の表示がされています。


今回の終点である南海高野線、JR和歌山線の橋本駅です。


「橋本の万葉歌碑」
駅前には「橋本の万葉歌碑」が建てられていました。
この万葉歌碑は平成12年(2000年)11月に第8回万葉まつりと併せてJR和歌山線全線開通百周年を記念して建立されたのだそうです。

  「白栲(しろたへ)に にほふ信土(まつち)の 山川(やまがは)に わが馬なづむ 家恋ふらしも」 作者不詳(万葉集 巻七-119)
  意訳:信土山の川(落合川)で 私の乗る馬が難渋している。家人が私を心配しているらしい。



駅構内には大河ドラマ「真田丸」に因んで、真田幸村の鎧が展示されていました。
関ヶ原の敗戦後、父真田昌幸とともに蟄居を命じられた地が和歌山県の九度山です。
次回はその九度山の真田幸村記念館を訪れる予定です。


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高野街道を歩く(2)

2016-05-25 | 趣味

大阪府河内長野市の南海高野線天見駅を午前10時に歩き始めて1時間15分後に、高野街道は和歌山県に入りました。
メンバー11名のうち60歳代後半が3名、8名が70歳代という年齢構成ですが、雑談を交わしながら歩いている皆さんは元気そのもので、標高400mの紀見峠も何のそのと言う感じで上りきりました。



「紀見峠」
紀見峠(きみとうげ)は、和歌山県橋本市と大阪府河内長野市の境にある標高400mの峠です。
紀伊国と河内国の境で、高野街道の中継地であり、「紀伊見峠」とも表記されるそうです。

・大阪府と和歌山県の県境にある紀見峠です。


「番所跡」
慶安元年(1648年)には和歌山藩が峠に番所を設置していました。
峠は高野山への参詣者で賑わい、紀伊側には宿駅が設けられていたそうです。

「高野山女人堂へ六里石柱」
峠には「高野山女人堂へ六里」の石柱、六里石が建っています。
女人堂とは、高野山に入れない女性がお堂に籠(こ)もり一晩中真言を唱える場所で、女性はここから山内に入る事が許されなかったのです。
高野山の北西の入り口にある不動口にいまだ残る女人堂は、一千年余りの間女人禁制であった高野山の七つの入り口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一の残存建造物です。



「岡潔 生誕の地」
岡潔博士は世界的な数学者で、橋本市名誉市民です。
岡潔博士は数学に情熱を注ぎ、世界の誰もが手に負えなかった難問を一人で解明し、世界の名だたる数学者を「Okaとは、団体名でなく、個人の名前なのか」と驚愕させるぐらい偉大な業績を持ち、今日においてもなお数学界に影響を与えている人物なのだそうです。

・ここがその「岡潔博士の生誕の地」です。


紀見峠を下るメンバー一行です。


「葛城神社」
紀見峠を30分ほど下ると葛城神社が鎮座しています。
ここに掲げられている説明によれば、葛城神社の主祭神は素盞鳴命ですが、勧請の時期などは不明。
古老の言い伝えによれば正平4年(1349年)頃、戦火により旧記などことごとく焼失したそうです。
当地は紀見峠の山麓にあって高野山に至る街道として古くから知られています。
当神社は、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも称し、除疫神としての京都祇園社(八坂神社)が総社です。
牛頭天王は元はインドの釈迦や弟子の僧坊である祇園精舎の守護神であった。


「ムクロジ」
神社の境内にそびえるムクロジの大木です。
ここに掲げられている案内によれば、ムクロジは通常高さは10~15m、直径0.3~0.4mですが、葛城神社のムクロジは高さ29.7m、胸高幹囲4.2mであり、通常のものに比べはるかに大きく珍しい存在だそうです。
この株は高知県須崎市大谷の勢井白王神社境内のものに次いで全国2番目の規模とされています。



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高野街道を歩く(1)

2016-05-24 | 趣味

一昨日、現役時代の趣味の会である「歴史探訪同好会」のメンバー11名と高野街道を歩いてきました。
今回は南海電鉄高野線の天見駅(大阪府河内長野市)から和歌山県橋本市のJR和歌山線・南海高野線の橋本駅までの約11㎞のコースです。
当日は快晴でしたが、最高気温が28度と、歩くには少し暑い一日でした。
今日から数回に分けて街道筋の旧跡などをご紹介します。

「南海高野線・天見駅」
今回は南海高野線・天見駅からスタートします。
天見駅は大正4年(1915年)3月に開業した無人駅です。
駅の西側には河内長野市内最古の温泉と言われる天見温泉が湧き、古くから温泉郷として栄えていましたが、寛延3年(1750年)の頃に大火にあって廃湯となりました。
1935年(昭和10年)になって当時の天見温泉の見取り図が発見されたことから地元では天見温泉再興の気運が高まり、復活して現在に至っているようです。
この地は「南天の里」と呼ばれるほど南天の多いところであり、家々の周りや石垣、畑などで数多く栽培されているそうです。

・集合場所の南海高野線・天見駅です。


「岩湧山」
天見駅の正面には岩湧山が望めます。
岩湧山(いわわきさん)とは、大阪府河内長野市にある山で、標高は897.7m、河内長野市を代表する山です。
岩崎元郎選の「新日本百名山」の1つで、山頂からは大阪平野、大阪湾を臨むことができるそうです。
また山頂付近の約8haは茅場になっており、秋にススキの穂が広がる様は美しく、新河内長野八景に岩湧山頂の花すすきとして登録されています。

・正面奥の山が新日本百名山の1つに数えられている岩湧山です。


天見駅から南西方向に行くと国道371号線に出ますが、この辺りを「出合ノ辻」と呼んでいます。
交通量が多いことから今回は「出会いの辻」を通らず、山沿いの道を歩くことにしました。
しかし、「出会いの辻」は嘗て合戦があったところなので特記しておきます。

「出会いの辻合戦」
「出会いの辻」の地名はいかにもロマンチックな名称ですが、じつは南北朝時代の古戦場があったところなのです。
正慶2年(1333年)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍の紀州の御家人とが、この辻で出くわして、「安満見(あまみ)合戦」と呼ばれる激しい合戦が行われたことからこの地名となったものです。
信仰の道であるはずの高野街道も、南北朝時代には、兵馬が行き交う軍用道路として使用されるという時代もあったようです。

・出会いの辻を迂回して歩いた山沿いの道です。


・国道371号線と旧国道との分岐点です。高野街道は右側の旧国道なので、こちらへと進みました。



上記の分岐点から30分ほど進むと大阪府選定の自然歩道ダイヤモンド・トレールや金剛山、紀見峠などの案内板が立っている場所にたどり着きました。
ここから紀見峠まではあと少しです。間もなく大阪府と別れて和歌山県に入ります。



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大観覧車

2016-05-23 | 雑学

各地の遊園地やレジャー施設には、大きな観覧車が設置されているところがあります。
この観覧車、建設された当初の経緯は、フランスのエッフェル塔に対抗してなのだそうですが、ご存知でしたか?
そこで今日は大観覧車について調べました。

観覧車が世界で初めてできたのは、今から123年前の1893年のアメリカ・シカゴで、そのきっかけはフランスに対抗したアメリカ対フランスの技術力バトルだったようです。
その経緯は、観覧車が登場する4年前の1889年、フランスで「パリ万国博覧会」が開催されましたが、このときに目玉となったのが、当時世界一高い鉄塔「エッフェル塔」の建設でした。
当時の高さが312mで、「鉄鋼時代の幕開けの記念碑的存在となるだろう」と言われたそうです。

そして4年後の1893年にアメリカで「シカゴ万国博覧会」が開催される年に、エッフェル塔を超える、鉄鋼の展望室を造れないかと検討されました。そこでジョージ・フェリスが考え出したのが観覧車だったのです。
高さ75m、ゴンドラ数が36、各ゴンドラには40の座席と20人の立ち席があり、1周20分で、全ゴンドラに安全確保のため係員が同乗していたそうです。
なお、英語で観覧車を「フェリス・ホイール」と言いますが、これは発案者フェリスの名前をとっているのだそうです。

日本初の観覧車も博覧会から始まりました。
即ち、1906年(明治39年)3月15日に大阪の天王寺公園で戦捷記念博覧会が開催されましたが、これは1904年~1905年に勃発した日露戦争において日本が勝利をおさめたのを記念して開催されたイベントですが、この時に日本初の観覧車が設置されたのです。
蒸気機関を使って回転し、14個のゴンドラがついていて5分程度で一周したそうです。

東京に登場したのは明治40年(1907年)、上野で開催された東京勧業博覧会の時です。
空中回転車とよばれ、高さは30メートルほどですが、当時の新聞によると顔面蒼白になってめまいを訴えた人もいたということです。

昭和30年代に入ると各地に観覧車が設置されてきました。
そして1989年から2000年までは東京江東区のパレットタウン大観覧車(115m)を始めとして、日本が観覧車の大きさで世界一の記録を更新していたようですが、現在ではその地位は海外に譲っています。

参考までに、現在の世界の大観覧ビッグ3は次の通りです。

1位.シンガポールフライヤー 165メート (シンガポール)


2位.南昌之星(なんちょうのほし) 160メートル (中国江西省)


3位.ロンドンアイ 135メートル (イギリス)


一方、日本で一高い観覧車は、東京の葛西臨海公園にある高さ117mの「ダイヤと花の大観覧車」だそうですが、今年7月1日に大阪エキスポシティに(万博記念公園付近)にグランドオープンする「レッドホースオオサカホイール」が123mで、日本一の高さは受け渡すことになります。

・日本一高い葛西臨海公園にある高さ117mの「ダイヤと花の大観覧車」です。


世界も日本も一番を目指して果てしなき観覧車の戦いが続きそうですね。

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エシカル消費

2016-05-22 | 時事

エシカル消費と言う言葉を聞いたことがありますか?
最近カタカナ言葉がよく出てくるので年寄りはついて行けません。
今日は、耳慣れないこの言葉について調べました。

「エシカル消費」とは、環境や社会に配慮した製品やサービスを選んで消費することだそうで、「エシカル(ethical)」は倫理的・道徳的の意味です。
エシカルは「人・社会や地球のことを考えた『倫理的に正しい』消費行動やライフスタイルを指して使われる言葉であり、日本で「エシカル」が聞かれるようになったのは2009年ごろからのようです。

エシカル消費はエコだけでなく、フェアトレードや社会貢献等も含んだ考え方と定義しています。
フェアトレードとは、「開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す『貿易のしくみ』」で、購入が児童労働や貧困の撲滅につながると期待されているものです。

これは、安くて良いものをたくさん欲しいという従来型の利己的な消費ではなく、気候変動問題や生物多様性問題、拡大する貧富の差が生み出す人権問題などのグローバルな課題にも目線を向けた、サステナブル(持続可能)な消費スタイルのことのようです。

これと似たようなコンセプト(概念、発想)にエコ消費やグリーンコンシューマー(環境にやさしいライフスタイルを実践する消費者)があります。
これは、食品や日用品などの製品ごとにそのメーカーの環境や社会的な対応をランク付けしたガイドブックで、スーパーではこれを参考に買い物をしようというものです。 
このグリーンコンシューマーは日本でも90年代になると環境保全対策の一環として注目された時期がありました。
しかしグリーンコンシューマーは省エネ商品などエネルギー費用の節約やオーガニック食品など自分の健康につながるものは買うが、森を保全する森林認証製品など自分に直接メリットがない商品は買わない、エコではなくエゴなコンシューマーだと言われました。

これに対してエシカル消費は、アパレルやアクセサリーなどのファッションアイテムやオーガニック(有機栽培)、フェアトレードの食品などが主流で、環境だけでなく人権にも配慮している点が特徴となっています。

「エシカル消費の例」
日々の暮らしの中で、以下の事例をひとつでも実践している方はエシカルな消費行動だそうです。
・長寿命でエネルギー効率の良いLED電球を選ぶ
・燃費の良いエコカーを購入する
・太陽光パネルの付いた省エネ住宅に住む
・風評被害にあっている地域の農産物を購入する
・地元の農家さんから、直接オーガニック野菜を購入する
・フェアトレードと呼ばれる公正な貿易によって適正価格で輸入されたバナナやコーヒー、チョコレート、紅茶などを購入する
・オーガニックコットンで作られた洋服を着る
 ひとつでも当てはまれば、皆さんがそれと気付かずに実践されているエシカルな消費行動だそうです。

カタカナ言葉の難しいことを長々と書きましたが、エシカル消費とは、要は、買うことで環境や社会問題の解決に貢献できる商品を買い、そうでない商品は買わない消費活動だそうです。

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