レンレンのひとりごと…

毎日のお弁当・手作り料理・手しごと・おでかけ。そして、ひとりよがりな日常のプチエコと黒猫万君との日々…。

悲劇の武将上杉景虎 終焉の鮫ヶ尾城【妙高市】

2019-08-23 |   ├ 新潟・石川

「城と古刹をめぐる上越の旅」、最後に訪れた城は「御館の乱」で上杉景虎が自刃した鮫ヶ尾城です。

鮫ヶ尾城は、上杉謙信と武田信玄による信越国境をめぐる攻防の中、整備拡充された山城です。
北は日本海、南は長野県との県境をなす関田山脈を見渡すことが出来ます。
続日本100名城に入ってます。

 

 

斐太歴史の里駐車場に車を停めました。
真夏の太陽さんさん…木陰なしです。
しっかりサンシェードをセットしてから車を降りました。

駐車場から山を上ります。
わずか300m足らずですが、地味に勾配があり強い日差しの中ハーハー言いながら登りました。
山城めぐりは真夏を避けた方が無難です^^;

 

 

お城のことばかり気にして下調べしていませんでしたが、鮫ヶ尾城は斐太遺跡群の中にありました。
斐太遺跡は、弥生時代後期(約1800年前)に存在した東北日本最大規模の集落遺跡です。

 

 

斐太遺跡地内にある「斐太歴史の里」には、広場やアスレチック遊具、バーベキュー炉がありました。
いきなり現れた竪穴式住居のレプリカにも驚きました。
城跡を観光しに来ただけなのに遺跡までとは一石二鳥ですヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪

 

 

天正6年(1578)、上杉謙信死後に起こった養子景勝と景虎の後継者争い「御館の乱」で景虎が鮫ヶ尾城に立て籠もり、景虎は妻子共々自刃したと伝えられています。

鮫ヶ尾城の城主であった堀江宗親は、御館の乱では上杉景虎方に付きながら、景勝側の安田顕元にも内通し寝返り、形勢不利となり鮫ヶ尾城に逃れてきた景虎を見限って二の丸に火を放って自分は城から退去。
その後、鮫ヶ尾城は落城し、景虎は自害を余儀なくされました。
まさに悲劇の武将上杉景虎 終焉の鮫ヶ尾城です。

 

 

斐太歴史の里の総合案内所に続日本100名城のスタンプが設置されています。
案内所に貼られた「クマ出没注意」にチョッとビビる。
伺うと、この山に出没したのではなく、数日前に街中にある高田城に出没しそうだ。
街中に出没するくらいだからと、ここでも注意喚起のため貼り紙をしたとの事。
そういえば、北海道の親戚の庭先にもクマが出たと大騒ぎしていたのを思い出しました(+o+)

 

 

案内所はサービス満点!
お茶やコーヒー、漬物や梅干しのサービスがありました。

タクシーで乗り付けていた年配のご婦人グループや男性グループ数組、単独男性といろんな方々のお話を伺っておったまげ!
皆さん、日本100名城は制覇し、現在は続日本100名城のスタンプ巡りに来られてらっしゃるそう。
私なんぞ自分が住んでる関東辺りをボチボチ巡りっている程度。
コンプリートなんぞ100%無理と自覚しているので、そのパワーに押されっ放しでした。
しかし日本の老人はお金と時間とパワーがあるものだと感心です。

 

 

鮫ヶ尾城
新潟県妙高市神宮寺
http://www.city.myoko.niigata.jp/intropark/535.html(妙高市HP)
TEL : 0255-74-0035(妙高市教育委員会 生涯学習課 文化振興係)
斐太歴史の里 : 4~9月9:00~17:00、10月9:00~16:00、11月9:00~15:00
休業 : 冬季(11月下旬~4月中旬)
備考 : 続日本100名城スタンプ(冬季は「神の宮温泉 かわら亭」フロント)
アクセス : 上信越道 中郷ICから15分、上越高田ICから15分

別名 : 宮内古城
縄張 : 連郭式山城
天守 : ---
築城主 : 不明
城主 : 堀江宗親
築城年 : 16世紀後半
遺構 : 堀切、郭、虎口、水場
文化財 : 国の史跡

 

 

 

城と古刹をめぐる上越の旅(2019年8月11日)

 

 

ランキングに参加中♪ クリックしていただると励みになります!
にほんブログ村 料理ブログ 家庭料理へ にほんブログ村 料理ブログ 保存食へ 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。