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小説・・・広島カープ再生への未知

2010年10月26日 08時35分47秒 | カープ

何回続くか知りませんが・・・やってみましょう。

カープへの夢を込めて・・・ブラックジョークと受け止めて下さいね…


平成22年10月某日

広島市南区のマツダスタジアムの球団事務所では、

あと数日に迫った、ドラフト会議に向けて最終選考に入っていた。

集まったメンバーは、松田オーナー・川端編成部長・全スカウトであった。

午前10時から始まった会議は、2時間を経過し、時計の針は12時を回った。

しかし…1位を誰にするか、決まりかねている様子で、このまま今日も無意味な会議に終わろうとしていた。

そこへ突然、職員がオーナーに伝言のメモを持参した。

オーナーはメモを持参した職員に、「なんや・・・この会議には入って来たらいけんのじゃ言うてゆうたろうが・・・」と、広島弁で不機嫌さを現した。

すると職員は・・・「すいません。わかってはいたのですが、どうしても急を要すると感じたものですから・・・」と恐縮した。

オーナーは仕方なくメモに目を通した。

(広島東洋銀行 頭取 橋本様 来社)と書かれていた。

オーナーは、会議中のスカウトたちに

「ちょっと席を外すけん・・・沢村はほんまにダメなんか連絡してみてくれ・・・」と言い残し、席をたった。

オーナー室で待つ、橋本頭取に会う前・・・オーナーは洗面所に向かった。

さっきまでの会議で、部下たちを前に威張り散らした自身の身を整えるためであった。

内心・・・「橋本さんがアポなしで出向くとは、いったい何の用事かいの~・・・」と腑に落ちないものが去来したが、どうせ・・・頭取もカープ大好き人間だから、誰かのサインでもねだりにきたのだろう・・・と いつもの軽い調子でオーナー室に向かった。

部屋に入る前・・・2回ノックしたが、(アッ・・・2回はトイレじゃ・・・部屋は3回じゃった・・・)と、遅れて1回追加した。

橋本頭取は上座に座っていて、オーナーの顔を見ると、やんわりと立ち上がり笑顔を見せた。

「やあ・・・松田さん、突然にお邪魔してすいません。お忙しい会議中とお聞きしましたのに、無理を言いまして、本当に申し訳ない・・・」

オーナーは・・・「いやいや・・・とんでもない。私こそ、弊社がいつも大変お世話になりまして、ありがとうございます。」と言葉を返した。

「今年は野村監督初年度、残念でしたね…」

「本当にそうです。もう少し期待したんですが、監督一年目だから仕方ないと言えば仕方ないんですがね…」

「しかし…敗因の分析はされたんですか?」

「ええ しました。」

「どのように?」

「やはり投手力の整備ですね。野球は投手ですから・・・」

「なるほど・・・日本シリーズに出る中日やロッテ、投手を含めた守りが確かに良かったですね」

「そうです。うちも大竹と永川やシュルツが復帰すれば、戦えます」

「そうですか・・・ところで黒田はどうなりますか?」

「さあ・・・現時点では何とも言えません。黒田については本部長の鈴木に任せています」

「一説には黒田獲得資金は複数年契約で、20億とか噂されてますが、どうですか?」

「それは何とも言えません。ただ自宅は市内にありますし、日本に帰るのであれば広島と言ってくれてますので・・・」

「そうなれば、来季のカープは明るいですね。」

「はい・・・そう思います」


その様なたわいもない会話を終えると、橋本頭取は出されたお茶に口をつけた。

そして一呼吸おき、オーナーの目を見つめ言葉を切りだした。

「実はオーナー・・・今日お邪魔したのは、今後のカープのあり方です。もっと詳しく言えば、球団の存続問題です。いま色々とお話をお聞きする中で、今後のカープ・・・球団の進むべき道といいましょうか、あなたが多くの支援して下さるファンの皆さんに、独立採算の球団として明確なビジョンを示してほしい。

わが行としても支援している限り、今後の事業計画と言いましょうか、チーム強化策を具体的に示して頂けるのであれば、潤沢な資金をカープ球団に斡旋できる。

株主総会でも、融資先として広島カープに多額な資金を投入する理由として、広島の活力を創出し、市民に希望と喜びを還元するという意味であれば、文句は出ないと思います。

広島には、カープを始め・・・サンフレッチェ、広島交響楽団と、スポーツと文化で市民や県民の潤いなるもの全てに活力を与える。それが広島が元気になる源でなかろうかと思うのですが、いかがですか・・・?」

オーナーは、恐縮するばかりで、声が出なかった。


「いかがですか・・・オーナー・・・いや 松田さん・・・」

オーナーは困惑した。

ナゼなら・・・自分一人で、この様な大局的な決断をしたことがなかったから・・・

つづく


働くということ

2010年10月26日 08時09分08秒 | Weblog
私が社会に出たのは16歳の時・・・

学業と社会人の2足のワラジであった。

当時の世の中は右肩上がりの成長期。

最初に勤めた電気通信の社長は・・・

「少しお客さんを絞り込まないといけないな…」

と言うほど、仕事があった。



現在は・・・絞り込むほどの余裕などなく、

明日の仕事に見通しの立たない

時代に入っている。

最近は目立った倒産が少なくなったが、

これは ごく一部の表の顔にしかすぎない。


広島を例に例えるなら、経済が復活していれば

次期商工会議所の会頭人選もすんなり決まっているであろう。


何年か前の会頭人選で、色々な賛否があった影響で

慎重な配慮がなされているのかもしれないが

やはり経済が回復していな現状から、大役を引き受けるまで

すんなりといかないのであろう。

(最終的には、御三家と呼ばれる企業から選ばれるのか?)


さて・・・話が横にそれたが、今の時代・・・働くことの重要さを

わかっている人が、どのくらいいるのだろうか?

先日・・・職にたどりつけない10代の子に接した。

アパレル関係の職に就きたいと、毎日求人誌や職安にと必死になっているのだが

採用基準や勤務先までの距離で、職を絶たれるらしい。


数年前であれば、即採用的な雰囲気であるが、いまは企業側も

採用するにあたり、じっくりと品定めをしているようである。


私が16歳で社会に出たときとは、えらい違いである。

当時は・・・やれ 「仕事が面白くない」・「給料が安い」・「休みが少ない」などの

不平不満で職を転々としていたが、いまは辞めれば次がない・・・


大きなことは言えないが、職があることに感謝し、働ける喜びを感じる・・・

そして会社の期待を背負い、家庭を守る・・・

その様な人であれば、企業は見捨てないであろう。