今年は不動院で8時15分を迎えた。
祭りの作業も終えており、不動院さんが鳴らされた国宝である鐘楼の音で黙祷をささげた。
今年は53年ぶりに、広島市内でカープの試合も行われる年・・・
この理由はさておき、私の広島での8月6日を述べてみたい。
広島では、この日は特別な日とされている。
市内各地では多数の慰霊祭が行われ、平和とは何か?核兵器廃絶・・・などと議論が語られ、またムードに包まれてきた。
私の家族には被爆者はいないが、親族に被爆者はいる。
母は昭和20年8月6日に、当時の賀茂郡高屋町(東広島市)にて、大きなきのこ雲を見たと語った。
親族は・・・2日後に広島市内に入り、原爆で無残になった町を歩いて被爆者として認定されたらしい。その光景は何とも言えなかったと語った。
いま・・・葬儀業につき、多くの被爆者に接した。
そして8月6日の葬儀を通して、広島の現状もある程度理解できた。
お寺さんによっては、この日は葬儀が行えないほど法要で忙しい所もあれば、前日の5日に原爆供養法要を夕方に行われる所もあり、日程調整が思うように運ばないケースもある。
さて・・・私はこの8月6日に、平和公園で大掛かりな供養公演がが出来ないものか・・・数年前に それなりの有力者に提案してみた。
すると答えは・・・「あんたバカも休み休み言え。そがいな大恐れたこと言ったら大変なことになるでェ・・・」と即答で却下された。
広島・・・長崎では、平和に対しての発言は慎重である。
しかし・・・そろそろ平和の見方を真正面でなく、縦や斜めや横や下から見る議論がされてもいいのではないかと思う。
核兵器廃絶を願い要望しても核実験は多くの他国で行われ続けている。
被爆者援護法も時代と共に議論し、戦争の経験がない我々にも参画させてほしい。
8月6日の原爆の日・・・
この慰霊は継続するべきだが、革新系の市長から民主的な市長に変革したヒロシマ・・・
将来のために、多くの市民が参加できる議論の場を構築してほしいものである。