幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

村の陰陽師の見た、開国経済の功罪

2009-01-09 20:25:45 | Weblog
 実は私、商人でして昨今の不景気大変気になります。
それはともかく、先日、武蔵村山市の陰陽師 指田摂津がかいた日記に開国後の世間の景気について書いた記事がありました。
教科書などでは、物価騰貴など悪い面を強調している傾向がありますが、指田氏は天保の飢饉の時と比較する事によって、むしろ開国後の経済を評価しています。
洞察の深さは、この頃の評論家、解説委員に引けを取りません。
では、指田日記、元治2年の大晦日12月29日の記事を、引用いたしましょう。

 異国人の交易始まりてより物の直い次第に高直に成り行き、古金一両は三両になり、諸色直段以前の三倍となり、米穀は天保酉と死の凶年と同じけれども、金銭の流通よろしく、世上普請、造作多くして、諸工賃の仕賃、漸々引上げけれども普請猶多し。天保の凶年には諸工人の手間をさげけれども、一人として頼む者なく、下々には屋根の漏るるのも葺かざるほどの事なり。又奉公人は山方より来る女は、無給金にて、食扶持、衣類計りにて先より連れ来る。当年此の辺の給金は男十二両諸色共、給金取り払いは十八、九両なり。女とても七、八両から十両の給金なり、、
 
 とあります。
この資料によりますと、幕末社会は活気に満ちたインフレーションの世界で、懐かしき昭和の高度成長期にも匹敵する時代だったのかも知れません。そういえは、岩波新書の「幕末・維新」(井上勝生著)にもそのようなことが書いてあったような気がします。
ちなみに、当日の武蔵村山市の天気は
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