幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

江戸大雷 ありがたい 鳴神御下り ありがたい

2009-06-12 16:22:33 | Weblog
前回ご紹介しました「慶雲斎日記」によりますと、嘉永三年八月八日(1850年9月13日)江戸では大雷がありまして、「夕七ツ時過より遠雷漸次振、黄昏大雨雷声益強大、七ケ処へ落雷、日本橋、茅場丁、逆井両処ニ雷火有り珍事」とありまして、雷火により火事も出来いたしました。夜の雷だった事と雷の激しさから寒冷前線に伴った界雷だったと想像しましたが、、江戸の日記に寒冷前線通過時の風の変化(南風から西風)や気温(暖から寒へ)の記録がありません。ただ、前日から当日にかけて西日本を通過した台風の影響で、毎日東南の風が吹いていることから、対流不安定による雷の発生かと考えられます。八日は江戸を始め、丸亀、池田、沼津、日光などで雷が発生いたしました。
 ところで、噺は変わりますが、この頃時々「雷除の御札」を見かけます。雷は怖いので当然と思っていましたが、江戸時代人にとっては、そうでもないようです。
この日記に「雷後評判記」と言うものが書かれています。引用しますと、

  夫、天地不時の変動ハ陰陽混してげきするなり、地にいれハ動いて地震をな  す、天にある時ハ雷声をはつすとかや、頃ハ嘉永三年戌の八月八日の夜江戸表  国々ともに雷のなることおひたたしく、いなひかり大地にも入べくかがやきわた り、げに出来秋のミ入よしとぞおもわれける。又雷ハよう気のはつくる所にして 陰気をはらひ邪気をさんするかゆえに田畑に生する五こくハさら也。もろもろの やさい物又ハなりくた物にいたるまてよく熟してミのるよしとかや、されハ天幸 ひを万民に下し玉ふ所なれハ幸ひの下りし場処を小細にしるす。    
  鳴神御下り場所
 一、日本はしくぎ店 一、もと大工丁 一、芝口三丁目 一、くた川長表通   一、つき地 一、神明丁海手 一、西くほ尻丁 一、西くほ木林本 一、あたこ した 一、青山寺山 一、本処かまや堀(此処ニてらい獣生取て今ニ有り)   一、芝松本丁 一、赤はね 一、七まかり 一、白かねこい丁 一、ふなほり  一、柴井丁海手 一、麻ふ広尾ニケ所 一、品川沖三ケ処 一、青山三ケ処   一、ゆしま 一、妻こひ坂上 一、本郷本丁 一、こちんか原ニケ処 一、番丁 九ケ処 一、小石川二ケ処 一、いいたまち 一、青山くほ町 一、本所竪川三 ケ処 一、植田はら 一、?かん橋茅場丁 一、ふか川小川丁 一、同六けん堀 柳川丁   惣〆五十四ケ処      
 右之通ニ候、人々ニけがなきハ全く神国の御いとく
、万々歳目出度可仰候

と、ありまして、要約しますと、雷は陽気のはじける所ですから、五穀、野菜、果物にいたるまでよく実る、今回の雷は人にも怪我なく大変御目出度い、となります。

嘉永三年八月八日、江戸に五十四ケ所も鳴神様の御下りがあり、「ありがたい」
実は、昨年私の家の近くの六畝と言うところに、鳴神様の御下りがあり、店の蛍光灯が一列破損いたしました。だめもとで、火災保険に出して見ましたら十五万円頂きました。直して見ますと、十三万円ですみ蛍光灯も新品になりました。
差額の弐万円「ありがたい」

コメント
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