幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

吉田松陰密航未遂、寒冷渦による雷の時 嘉永七年三月二十七日夜(西暦1854年4月24日)

2010-02-06 17:53:25 | Weblog
 今日は、私の住んでいる宮城県栗原市若柳でも吹雪いています。珍しい寒波で、すっかり雪国に様変わりいたしました。

すこし明るさが出て来ましたので、改装中のくりでん若柳駅を撮ってみました。
其のうち鉄道公園になるとのことで、日々変わってゆく様子を楽しんでおります。

寒冷渦と言われる、強い寒気が上空に来ると、冬では、大荒れとともに冷蔵庫に入ったような寒さがやって来ます。夏には、雷や大雨などのあとに寒気がやって来ます。
「八十八夜の別れ霜」なども寒冷渦の中で起きることが多いようです。

ともあれ、ペリーが二度目に来日したのが嘉永七年の一月十六日(西暦1854年2月13日)です。
その70日後、吉田松陰は密航計画を実行に移します。何時から機会を窺っていたのかは分かりませんが、幕府や諸藩の警備の網を潜って、アメリカ船までたどり着くのは大変なことだったろうと思います。
もちろん気象条件も十分に考えていたに違いありません。

それでは、松陰がアメリカ船に密航した嘉永七年三月二十七日(西暦1854年4月24日)夜の天気を見てみましょう。

青森県三戸町の日記によりますと「今日、雪降積もること、弐尺程、松杉沢山雪折有之」とあります。5月近くにもなって60cmもの雪が降ったことが書かれています。


静岡県沼津市の日記にも「朝より快晴無風、昼頃より追々黒雲出、、八ツ時分大雷大雨ヒヨ交リニて降リ、愛鷹山上えは、余程之積雪白ク相見江大に寒、七ツ頃より雷鳴相やみ、追々晴来、、夜快晴無風」とあり、山には雪が降ったことがわかります。

外に下田近くの天気を見てみますと。 

曇、午時大雨霰雷夏冬一時至【江戸】
               
朝雨南ノ方雷八ツ時止【栃木県佐野市】

今暁雷雨、六時過より晴、昼頃又雷雨、八時頃より晴【埼玉県、越谷市】

西風天気【東京都、新島】

朝雨降、五ツ前より晴、四ツ比小雨昼頃雨氷降、五ツ前より晴、八ツ比より晴【千葉県、流山市】

天気北風午時後雷鳴雨雹交り暫時晴【千葉県、銚子市】

微晴、午後雷鳴雨降暫時止陰リ【横浜市、生麦】

雨天【神奈川県、藤沢市】

とあります。四国の丸亀市でも大霰、新潟県巻町でも大雨など、この日は全国的に、「夏冬、一時にに至る」寒冷渦にともなったシビアウェザーとなった模様です。
関東では昼後、雷が激しかった様子ですが午後2時頃には上がり、晴れてきたところが多かったようです。
ペリー来航記によりますと、松陰たちの小船が寄ってきたときには、うねりが高かったとありますが、北西方向の風が吹いていたことと思われます。
何れ、寒さと風とうねりで、異国船に近づくのは大変だったでしょう。

松陰たちは、日中の激しい雷や雨、雹などで夜も油断していた、番兵の虚を衝いて、小船を漕ぎ出したものと思われます。

書き込んでいて、思い出したのですが、松陰が異国船に近づいた時は雷が鳴っていたと書いていた調書があったように記憶しています。
とすれば、下田辺に雷があったのでしょうか、ただ関東では夜の雷は記録されていません。
もしかすると、雷がおきた方が都合の良い人がいたのでしょうか。
雷が鳴っていなかったとすると、英雄ぶるため松陰が嘘をついたのか、それとも幕吏が松陰たちを阻止できなかった理由にしたのか、どちらかでしょう。

嘘を最もつかなさそうな松陰、保身のために狡猾な幕吏、まばらな天気資料。
そのうちに、真実を掴み御披露したいと思います。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする