シルディの人々が、ババが小麦をひくという出来事にどのような意味を見出したかは別にして、私たちはそこに哲学的な意味があると考える。ババはシルディに60年程住んでおり、この長きに亘ってほぼ毎日彼は粉ひきをしていたのである。
- 小麦だけでなく、罪や、精神的、肉体的な苦悩、彼の数え切れないほどの信者たちの悩みを。彼のひき臼の2つの石は、カルマとバクティでできていた。前者は下にあり、後者は上にあった。ババがひき臼を動かす柄はディヤーナでできていた。
ババは、私たちの衝動や欲求、罪を粉砕しない限り、知識や自己認識を得るのは不可能だと強く確信している。3つのグナ、すなわちサットヴァ、ラジャス、タマスそしてアハンカラ(エゴ)は非常にとらえにくく、取り除くのがとても難しいのである。
この出来事はカビールの同じような物語を思い起こさせる。彼はとうもろこしを轢く女性を見ていて、彼のグル、ニパトニランヤンに向かってこう言った。
「このひき臼の中のとうもろこしのように、俗世という車輪の下で押しつぶされる激しい苦悩を感じて、涙が出てしまいます」するとニパトニランヤンは答えて言った。「恐れるな。私がやったようにこのひき臼の知識という柄をしっかりと握り、そこから離れて彷徨ったりせずに、内側に向かっていけば君は必ず救われるのだ」
スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように
神々へ敬意を表する - 小麦をひく物語とその哲学的な意味
古来の慣習に従い、ヘマドパントは様々な言葉で敬意を表して、著書スリ・サイ・サッチャリタの巻頭を飾っている。
(1) まず、彼はガネーシャ神1に敬意を表して、あらゆる障害を取り除き、執筆がうまくいくよう祈り、スリ・サイがガネーシャ神自身であると述べている。
(2) 次に、女神サラスヴァティ2に敬意を表して、彼の本書執筆を鼓舞してくれるよう祈り、スリ・サイが女神と同一であり、自らの人生を歌っているのはサイ自身であると述べている。
(3) 次に、それぞれに創造、維持、破壊の神々であるブラフマン、ヴィシュヌ、シャンカールに敬意を表して、サイナスがこうした神々と同一であり、偉大な師である彼が私たちを世俗の生活の河の向こう側へ連れて行ってくれる存在であると述べている。
(4) 次に、パラシュラーマ3(ヒンドゥーにおけるラーマ神)が海を干拓してできた土地、コンカンに自身を顕現させた守護神ナラヤナ・アディナスと、家族のアディ(最初の) ・プルシュ4にも敬意を表する。
(5) 次に、ゴートラ(氏族)に生まれたバラドワジ・ムニに敬意を表し、様々なリシ、ヤグニャヴァルキャ、ブルグ、パラシャール、ヴィシュワミトラ、ヴァシシュタ、ヴァルミキ、ジャイミニ、ヴァイシャンパヤン、ナヴァ ヨギンドラ等、またニヴルッティ、ドゥニヤナデヴ、ソパン、ムクタバイ、ジャナルダン、エクナス、ナンデヴ、ツカラム、カナー、ナラハシといった現代の聖者たちにも敬意を表する。
(6) 次に、彼の祖父サダシヴ、父ラグナス、幼少期に先立った母、彼を育てた父方の叔母と彼の愛する兄に敬意を表する。
(7) 次に、読者に敬意を表し、彼の著書に完全に専心してくれるよう祈念する。
(8) 最後に、彼のたった一つの避難所であり、ブラフマンが真実でこの世界は幻想であることを彼に気づかせてくれるスリ・ダッタトレヤの化身、彼のグル、スリ・サイナスに敬意を表し、ついでながら神が住まう万物に敬意を表する。
パラシャール、ヴィヤサ、シャンディリヤ等に習い、様々な帰依の仕方について簡単に説明したのち、筆者は下記の物語を記している。
「1910年より後のある晴れた朝、私はシルディのマスジッドへサイババのダルシャンを受けに出かけた。私は次のような出来事に遭遇して驚いた。サイババが口と顔を洗った後、小麦をうすでひく準備を始めたのだ。彼は床に大袋を広げ、それから手動のひき臼を出した。
彼は籾殻を吹き分ける唐箕の中へ小麦を入れ、カフニ(ローブ)の袖をたくしあげて、ひき臼の柄を握り、ひき臼の上にある注ぎ口に一握りの小麦を入れて臼を回転させ、小麦をひき始めたのである。私は思った。「ババは持ち物も備蓄も全くないのに、なぜ小麦をひいているんだろう。彼は施しで暮らしているというのに!」ババの所へ来た人々の中にも同じようなことを思う人がいたが、ババが何をしているのかと尋ねる勇気は誰にもなかった。
ババが小麦をひいているというニュースは瞬く間に村中に広まり、すぐに村の男女がマスジッドに押し寄せてきて、ババが何をしているのかを見ようと群がった。4人の勇敢な女性たちが群集を掻き分けて出て、ババを脇に置いて、無理矢理に柄を握ると、ババのリーラの歌を歌いながら、粉ひきを始めたのである。最初、ババはこれにひどく怒ったが、女性たちの愛情と信仰心を見て喜び、微笑み始めた。
彼らは粉ひきをしながら、ババには家も土地も子供も面倒を見る家族もなく、施しで暮らしており、小麦粉でパンやロティを作るわけでもないのに、こんな大量の小麦粉を一体どうするつもりなのだろうと考え始めた。恐らくババはとても親切だから、小麦粉を私たちに分けてくれるのだろう。
こんな風に思いながら、歌を歌って、彼女らは粉ひきを終え、ひき臼を脇に置くと、小麦粉を四等分し一人一つずつ取り始めた。ここまで静かで穏やかだったババは、怒って彼女らをののしりはじめた。「ご婦人方、頭がおかしくなったのか?父親の財産を奪い去ろうというのかね?私があなた方から小麦を借りているから、この小麦粉はあなた方が持ち去っていいというのか?よろしい、そのようにするがいい!小麦粉を持っていって、村境に捨てるがよい!」これを聞いて女性たちは困惑し互いにヒソヒソ話をした後、ババが指示したとおりに村はずれに行って小麦粉を撒いたのだった。
私がシルディの人々に「ババは何をしていたんですか?」と尋ねると、彼らは村ではコレラの伝染が広まっているから、これはそれを止めるためのババの処方だったのだと答えた。細かく粉砕されていたのは小麦ではなく、コレラそのものであり、村の外へ出されたのだった。この後、コレラの伝染は収まり、村の人々は喜んだ。私はこれを知って非常に嬉しかったが、同時に好奇心もまた高まっていた。
私は自分自身に尋ねた。「小麦粉とコレラの間に一体どんな関係があるというのか?両者の間にはどんな因果関係があって、どうやって2つを調和させたのか?」この出来事は不可解に思えた。私はこの出来事について記し、心ゆくまでババの甘いリーラを歌うべきだと思った。こんな風にこのリーラについて考えていると、私の心は喜びで満たされ、ババの生涯を記すべきだという直感を得て、サイ・サッチャリタを執筆するに至ったのである。
そして我々の知っている通り、ババの恩寵と恵みのお陰で本書は完成したのである。
1.ガネーシャ神:主シヴァの息子であり、象の頭と人間の身体を持っている。事業などを始める際に、ヒンドゥー教徒は彼を礼拝する。
2.サラスヴァティ:学問の女神
3.パラシュラム:神(主ラーマ以前)の化身の一つ
4.プルシュ:人間
スリ・N.V.グナジの生涯(1876-1963)
スリ・N.V.グナジは、様々な人々や事柄を扱った28を超える書物を著述した高名な学者であった。彼はサイババやスリ・ラマナ・マハリシ、スリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサらの霊的な教えに大変興味を持っていた。
彼はバガヴァッド・ギータやバグワットなどを翻訳した。スリ・パラマハンサ・ラーマクリシュナの生涯や、スリ・ラマナ・マハリシの生涯をマラティ語で著述し、またスワミ・ラムティルスの教えについてもいくつかの著書を執筆した。彼はまた”Atmoddhar”と呼んだT.ワシントンの伝記を翻訳した。
彼は1873年にベルガウムでサラスヴァット・ヴラーミンの家庭に生まれ、ベルガウムで学校教育を受けた。サルダール高校を卒業し、その後ムンバイのウィルソン・カレッジを卒業。ムンバイのカレッジでは法律を専攻し、法学学士の試験に合格。その後、ベルガウムに戻り法律事務所を開業する。数年後、彼はベルガウム自治体の行政長官となる。
生涯を通じて、彼は熱心な読書家であり、数冊の著書を英語やマラティ語に翻訳している。スリ・グナジはまた自然療法に興味を持ち、”Scientific and Efficient Breathing(科学的、効率的な呼吸法)”と”Anti T.B. & Anti Heart Failure(抗結核菌と抗心不全)”の二冊を出版した。彼はマハトマ・ガンジーが数度ベルガウムを訪れた際に、科学的なマッサージ療法で、ガンジーを治療するという幸運にも恵まれた。スリ・グナジはまたスリ・ラマナ・マハリシがアルナチャラムのスピリチュアル・リーダーを訪れた際に、彼を治療した。
スリ・グナジはスリ・ヘマンド・パント・ダボルカールの”Sri Sai Satcharita”を英語に翻訳及び改作し、その全収益をSai Sansthan Trustへ寄付した。本書は過去45年間に数千人の帰依者らの元に届き、彼らの信仰やババへのシュラッダを一層強力にした。多くの帰依者たちが本書を’サプタ(7日間昼夜朗読をする行)’として活用している。1963年、スリ・グナジは90歳になる数ヶ月前に他界した。
スリ・サイババのお陰で、シルディは重要な土地へと成長した。ここでは、サイババはどのような人物だったのかを見てみよう。彼は、渡るのが非常に難しいこのサンサール(この世)を征服した。平和と心の平静が彼の装飾品であり、彼は智慧の宝庫であった。彼は(カルナのように)最も寛大なヴァイシュナヴ(ヴィシュヌ派)の帰依者たちの家であり、全ての元素の真髄であった。
彼は腐敗しやすい物に愛着を持たず、常に自己認識に集中し、それが彼の唯一の関心事であった。彼はこの世やその向こうにある世界の物事には喜びを感じなかった。彼のアンタラング(心)は鏡のように透き通り、彼の言葉は常に甘露のように降り注いだ。富める人も貧しい人も彼にとっては同じだった。
彼は名誉、不名誉を知りもしなければ気にもかけなかった。彼は万物の主であった。彼は自由に話して全ての人々と交わり、ノーチガールズのダンスを見たり、ガザールの歌を聴いたりもした。だが彼はサマディ(心の平静)から1インチもそれることはなかった。
彼の口は常にアラーの名を唱えていた。世界が起きている間彼は眠り、世界が眠っている間彼は警戒を怠らなかった。彼の内なる自己は深い海のごとく穏やかで、彼のアシュラムが決められることもなければ、彼の行動も全く限定されなかった。彼は一つ処に住んでいたにもかかわらず、世界中のあらゆる出来事について知っていた。彼のダルバール(サイババの居る平安と祈りの場所と思われる)は開かれていた。
彼は毎日数百もの話をしたが、彼は自分の静寂の誓いから1インチもそれることがなかった。彼はいつもマスジッドの壁によりかかり、朝、昼、晩にはレンディ(ナラ)やチャヴァディに向かって歩いたが、常に彼は自己の中に留まっていた。シッダであったのに、彼はサダカのように振舞った。彼は柔和で控えめでエゴがなく、みんなを喜ばせた。
サイババはこのようであり、シルディの地はサイババの足に踏まれたことで途方もない重要性を持つことになった。ドニャネシュワールがアランディを高め、エクナスがパイサンを高めたように、サイババはシルディを引き上げたのである。シルディの草の葉や石までもが、サイババの聖なる御足に口付けをし、彼の塵を頭に戴いたことで祝福を受けた。
シルディは私たち帰依者のためにあり、もう一つのパンダルプールであり、ジャガネス、ドゥワルカ、ベナラス(カシ)、ラーメシュワール、バドリケダール、ナシク、トリヤンバケシュワール、ウルジャイン、マハ・カレシュワール、マハバレシュワール・ゴカーンであった。シルディのサイババに会うということは、ヴェーダやタントラを学ぶに等しかった。
それにより私たちのサンサール(俗世の意識)は静まり、自己認識に至ることができる。スリ・サイのダルシャンを受けるということは、私たちにとってヨガ・サーダナであり、彼と話すことで私たちの罪は取り除かれた。彼の御足を洗うということは、私たちがトリヴェニ・プラヤグで沐浴するに等しく、彼の御足を洗った聖なる水を飲むことで私たちの罪は滅ぼされた。
私たちにとって、彼の命令はヴェーダであり、彼のウディ(聖なる灰)やプラサドを受け入れる(口にする)ことは全てを浄化することであった。彼は私たちに慰めを与えるスリ・クリシュナ、スリ・ラーマであり、彼は私たちのパラ・ブラフマン(絶対の真実)であった。
彼はドワンドワス(両極)を超えた存在であり、落胆したり得意になったりすることはなかった。彼は常に“存在、知識、至福”である自己の中に集中していた。シルディは彼のセンターであったが、彼の行動の場はそれを越えて、パンジャブやカルカッタ、北インド、グジャラート、ダッカ(現在のバングラデシュ)やコンカンにまで広がっていた。
従ってサイババの名声はあまねく広がり、あらゆる場所から人々はやってきて彼のダルシャンを受けて祝福されたのだ。ただダルシャンを受けるだけで、純粋であろうとなかろうとその人の心は、すぐに静かになった。彼らはここで、帰依者がパンダルプ-ルでヴィッタル・ラクーマイにまみえたのと同様の喜びを得たのである。これは誇張ではない。この点について、帰依者たちの声を聴いてみよう。
ババが皆からダクシナを取って、集めたその中から彼が慈善をしたり燃料を買ったりしていたことは良く知られている。この燃料で、彼はドゥーニ、聖なる火をずっと燃やし続けていた。この炎の後にできる灰がウディと呼ばれ、帰依者たちがシルディを去る際に自由に配られた。
ババはウディによって何を教えたかったのだろうか?ババがこのウディによって教えたことは、この宇宙で目に見える現象は灰のごとくはかないものであるということだ。私たちの身体は5つの元素によって作られており、お楽しみが終われば崩れて、灰になってしまう。彼らの肉体は灰に帰してしまうのだという事実を帰依者たちに思い出させるために、ババは彼らにウディを配ったのである。
またババはウディによって、ブラフマンが唯一の真実であり、宇宙はつかのまであり、この世で息子も父も妻も、誰一人本当の私たちではないということを教えたのである。私たちはここへ一人でやってきて、一人で去ってゆかねばならない。ウディは数多くの身体的、精神的な病を治してきたが、ババは繰り返し帰依者の耳に、真実でないことと真実との区別の原理について教えたかったのだった。
彼はウディとダクシナによって、真実でないことへの無執着を教えた。前者(ウディ)は区別を私たちに教え、後者(ダクシナ)は私たちに無執着を教えた。私たちがその2つを捨てない限り、世俗の海を渡っていくことは不可能である。だからババはダクシナを求め、一方で帰依者たちがいとまごいをする際にはプラサドとしてウディを与え、そのうちの少量を彼らの額に塗り、彼の恩恵を授ける手を彼らの上に置いたのである。
ババが朗らかな気分のときは、嬉しそうに歌を歌った。一つはウディの歌であった。この歌の意味は、”おお、陽気なラーマ、来て、来てウディを持ってやってきて”というもので、ババはとてもはっきりと優しい調子で歌っていた。
次に記載するババの言葉は一般的な幸福についてのものであり、非常に貴重なものだ。これを心に留めて行動するなら、常にあなたは善き事を為すだろう。「なにかしらの関係やつながりがない限り、誰もどこにも行かないものだ。
もし人や生き物があなたの元にやってきたら、無碍に跳ね除けたりせず、きちんと受け入れて、相応の敬意を持って扱いなさい。あなたが渇いている者に水を、空腹の者にパンを、裸の者に服を、休息を求める見知らぬ者にベランダを差し出すことで、スリ・ハリはお喜びになるだろう。
もし誰かがあなたに金銭を求めた時、あなたの気が進まないようなら与えなくてもよいが、犬のように相手に吠え掛かったりしてはいけない。誰かがあなたに反対する意見を山ほど言うかもしれないが、それに対して痛烈な受け答えをしてはいけない。そうした事柄に耐えると、あなたは間違いなく幸せになれる。
世界がしっちゃかめっちゃかになっても、あなたは自分のいる場所に留まりなさい。自分自身の場所に立って、あなたの前で全てが通り過ぎていくのを静かに見ていなさい。わたしからあなたを引き離し異ならしめている壁を打ち壊しなさい。
そうすれば私たちが出会う道はくっきりと開かれたものになるだろう。あなたと私が異なるものだという感覚は、マスターから弟子を引き離す障壁であり、これが壊されない限り融合は不可能なのだ。
。”アッラー・マリク”すなわち神が唯一の所有者であり、他の誰も私たちの所有者ではない。彼の作用する様は驚くべきもので、計り知れないほど貴重で、不可解である。彼の意志が為され、彼が私たちに道を示し、私たちの心の願いを満たしてくれる。
私たちが一緒にいるのはリナヌバンド(前世の関係)のお陰であり、互いに愛し奉仕しあい、幸せになろうではないか。人生の最高の目的地に到達している主は不滅で幸福であり、他の者は息のある限りただ生きるのみである」
雌牛が自分の子牛をどれほど愛しているかは誰もが知っている。その乳房は常に満タンで、子牛がミルクを欲しがって乳房に駆け寄ると、乳は止むことなく流れ出る。同様に、人間の母親も自分の子供の欲求を事前に知っており、ちょうどいい時におっぱいを与え子供を満たす。
子供に服を着せ飾り付けるときにも、母親がきちんと世話を焼くのでうまく仕上がるのだ。子供はこうしたことを何も知らず気にもかけないが、子供がきちんと着飾るのを見るときの母親の喜びはたとえようも無い。母親の愛は特有で、並外れていて、私心がなく、これに匹敵するものはない。サドグルはこのような母親の愛情を弟子に感じるのだ。サイババは同様の愛情を私に抱いていた。下記のその例を挙げる。
1916年、私は行政機関の仕事を退職した。私に支払われる恩給は、家族が生活していくには充分な額ではなかった。その年のグルプルニマの日(インド太陰暦4月15日)に、私は他の帰依者らとシルディに行った。
そこでアンナ・チンチャニカール氏が私のためにババに次のように祈ってくれた。「どうぞ彼を見てください。彼が受け取っている恩給は非常に少ないのに、彼の家族は増えていきます。彼に何か別の職を与えて、不安を取り除き、彼を幸せにしてやってください!」ババは答えた。「彼は他に職を得るだろう。だが今は彼は私に仕え、心安くしていなさい!彼の皿はいつも満杯で、空になることはないだろう。
彼は私に専心し、無心論者の仲間や、信仰心のない不道徳な人々を避けなさい。彼は誰に対しても謙虚で慎み深くありなさい。またハートと魂で私を礼拝しなさい。このようにすれば、彼は永遠の幸福を手に入れることができるだろう」
この「彼」が誰であり、誰を礼拝することが唱道されているのかは、既にこの著書の巻頭にある序章「サイババとは誰か」で述べている通りである。
「誰であれ、愛と信仰を持って、私に葉や花や果物や水を捧げる者は、その純粋な愛と自己統御された彼の捧げ物ゆえに、私は彼を喜んで受け入れる。 -主スリ・クリシュナ
バガヴァッド・ギータ、9章26節
マラティ語原本SHRI SAI SATCHARITAより翻案。
原作:ゴーヴィンド・ラグナス・ダボルカール、別名ヘマドパント著
英語版:ナゲシュ・ヴァースデヴ・グナジ、文学士、法学学士著
出版元:Shri J.M.Sasane, Chairman
Shri Sai Baba Sansthan Trust, Shirdi
P.O. Shirdi, Dist.Ahmednagar.
本書は下記の場所でも購入可能:
(1)Shri Sai Baba Sansthan Trust, Shirdi
P.O. Shirdi – 423 109, Tal. Rhahata, Dist. Ahmednagar.
(2)Shri Sai Baba Sansthan Trust, Shirdi,
‘Sai Niketan’, 804-B, Dr.Ambedkar Road,
Dadar, Mumbai – 800 014.
Copyright reserved by the Sansthan
2009年第22版 150,000部発行 35ルピー
印刷:Cherry Offset Pvt.Ltd.
A-75, Cjhincholi MIDC, Solapur
Tel : (0217)2357716, 3290886
献呈の辞
「誰であれ、愛と信仰を持って、私に葉や花や果物や水を捧げる者は、その純粋な愛と自己統御された彼の捧げ物ゆえに、私は彼を喜んで受け入れる」
-主スリ・クリシュナ
バガヴァッド・ギータ、9章26節
スリ・サイババ、
アンタリャミに捧ぐ
本書は私自身と共にある
スリ・N.V.グナジの生涯(1876-1963)
スリ・N.V.グナジは、様々な人々や事柄を扱った28を超える書物を著述した高名な学者であった。彼はサイババやスリ・ラマナ・マハリシ、スリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサらの霊的な教えに大変興味を持っていた。
彼はバガヴァッド・ギータやバグワットなどを翻訳した。スリ・パラマハンサ・ラーマクリシュナの生涯や、スリ・ラマナ・マハリシの生涯をマラティ語で著述し、またスワミ・ラムティルスの教えについてもいくつかの著書を執筆した。彼はまた”Atmoddhar”と呼んだT.ワシントンの伝記を翻訳した。
彼は1873年にベルガウムでサラスヴァット・ヴラーミンの家庭に生まれ、ベルガウムで学校教育を受けた。サルダール高校を卒業し、その後ムンバイのウィルソン・カレッジを卒業。ムンバイのカレッジでは法律を専攻し、法学学士の試験に合格。その後、ベルガウムに戻り法律事務所を開業する。数年後、彼はベルガウム自治体の行政長官となる。
生涯を通じて、彼は熱心な読書家であり、数冊の著書を英語やマラティ語に翻訳している。スリ・グナジはまた自然療法に興味を持ち、”Scientific and Efficient Breathing(科学的、効率的な呼吸法)”と”Anti T.B. & Anti Heart Failure(抗結核菌と抗心不全)”の二冊を出版した。彼はマハトマ・ガンジーが数度ベルガウムを訪れた際に、科学的なマッサージ療法で、ガンジーを治療するという幸運にも恵まれた。スリ・グナジはまたスリ・ラマナ・マハリシがアルナチャラムのスピリチュアル・リーダーを訪れた際に、彼を治療した。
スリ・グナジはスリ・ヘマンド・パント・ダボルカールの”Sri Sai Satcharita”を英語に翻訳及び改作し、その全収益をSai Sansthan Trustへ寄付した。本書は過去45年間に数千人の帰依者らの元に届き、彼らの信仰やババへのシュラッダを一層強力にした。多くの帰依者たちが本書を’サプタ(7日間昼夜朗読をする行)’として活用している。1963年、スリ・グナジは90歳になる数ヶ月前に他界した。
スリ・サイ・サッチャリタ
目次
章
1. 小麦を轢く驚くべき聖者 - 神々へ敬意を表する - 小麦をひく物語とその
哲学的な意味
2. 本書執筆の目的 - 本書を執筆するには著者は不適格で厚かましいこと -
熱い議論 - 意義深く預言的な”ヘマドパント”という称号を授ける - グル
の必要性
3. サイババの承認と約束 - 帰依者たちへの仕事の割り当て - 灯台としての
ババの物語 - 母親のような彼の愛 - ロヒラの物語 - 彼の甘露のよう
な言葉
4. 聖者の使命 - 聖地シルディ - サイババの人物像 - ゴウリブアの意見
- ヴィッタルの出現 - クシルサガールの物語 - プラヤグにあるダース・ガヌの沐浴場 - サイババの無原罪懐胎とシルディへの最初の出現 -
3つのワダ
5. チャンド・パティルの結婚式の一団に混じってババが戻る - 歓迎を受け“サ
イ”と呼ばれる - 他の聖者との交わり - 彼の服装と毎日の仕事 - パ
ドゥカの物語 - モヒディンとのレスリング勝負と人生の変容 - 水を油に変える- 偽者グル、 ジャヴハール・アリ
6. グルの一触れの効能 - ラーム・ナヴァミ祭 - 源泉と変容 - マスジッ
ドの修復
7. 素晴らしい化身 - サイババの振る舞い - 彼のヨガの実践 - 彼の遍在
性と慈悲 - らい病の帰依者の奉仕 - マスター・カパルドのペストの場合
- パンダルプールに出かける
8. 人の誕生の重要性 - 食べ物を乞い求めるサイババ - バイジャバイの奉仕
- サイババの寄宿舎 - クシュルチャンドに対する彼の愛情
9. いとまごいの際のババの命令に従った場合と従わない場合 - いくつかの事例
- 托鉢とその必要性 - 帰依者(タルカッド家)の体験 - ババが豪華な食
物を与えられる
10. サイババの生活 - 寝床の厚板 - シルディでの滞在 - 彼の教え -
謙虚な態度 - ナナヴァリ - 最も簡単な道
11. サグン(顕現した)・ブラフマンとしてのサイ - ドクター・パンディットの礼拝
- ハッジのシディク・ファルケ - 元素を制御する
12. サイのリーラ - (1)カカ・マハジャニの体験、(2)ドゥマル・プレアデルの体験、
(3)ニモンカール夫人の他見、(4)ムル・シャストリの体験、(5)医師の体験
13. さらなるサイのリーラ - 病気が治る (1)ビマジ・パティル (2)バラ・シンピ
(3)バプサヘブ・ブティ (4)アランディ・スワミ (5) カカ・マハジャニ (6) ハ
ルダのダットパント
14. ナンデッドのラタンジ・ワディア - 聖者モウリサヘブ - ダクシナ
15. ナラディヤ・キルタン・パッドハティ1 - コルカール氏の砂糖抜き紅茶 -
二匹のトカゲ
16-17. すぐ手に入るブラフマン・ジュニヤーナ
18-19. ヘマドパントが受け入れられて祝福された様子 - サテ氏とデシュムク夫人の
物語 - 善い考えが実現するのを鼓舞する - 様々なウパデシュ - 中傷
に対する指導と労働の報酬
20. カカの女中によって解決されたダース・ガヌの問題
21. (1)V.H.タクールの物語、(2)アナントラオ・パタンカールの物語、(3)パンダルプー
ルの弁護
22. 蛇の噛み傷から救われた者たち(1)バラサヘブ・ミリカル(2)バプサヘブ・ブティ(3)
アミル・シャッカール(4)ヘマドパント - 蛇を殺すことについてのババの見解
23. ヨガと玉ねぎ - 蛇の噛み傷から治癒したシャマ - コレラ条例 - グ
ル・バクティの厳しい試練
24. ババの機知とユーモア - チャナのリーラ(1)ヘマドパント、(2)スダマ、(3)アン
ナ・チンチャニカール対マウシバイ
25. アーメドナガールのダム・アンナ・カサール (1)思索、(2)アムラリーラ
26. (1)バクタ、パントの物語、(2)ハリシュチャンドラ・ピタレの物語、(3)ゴーパル・
アムバデカールの物語
27. バグワットとヴィシュヌ・サハスラ・ナームを渡して恩恵を与える - ディク
シットのヴィッタルのヴィジョン - ギータ・ラハシャ - カパルデス
28. シルディに引き寄せられたスズメたち
(1)ラクシュミチャンド、(2)ブルハンポールの女性、(3)メガ
29. (1)チェンナイのバジャニ・メラの物語、(2)テンドゥルカール(父と息子)、(3)ハテ
大佐、(4)ワマン・ヴァルヴェカール
30. シルディに引き寄せられる
(1)ヴァニのカカジ・ヴァイディヤ、(2)ムンバイのラムラル・プンジャビ
31. ババの前で亡くなった(1)サニヤシ・ヴィジャヤナンド、(2)バララーム・マンカー
ル、(3)ヌールカール、(4)メガ、(5)トラ
32. グルと神を捜し求めて - 許可されなかった断食
33. ウディの素晴らしさ
蠍の刺し傷とペストの治癒 - ジャムネールの奇跡 - ナラヤン・ラオの病
気 - バラブア・スタール - アッパサヘブ・クルカルニ - ハリバウ・
カルニク
34. ウディの素晴らしさ(続き)
(1)医師の甥、(2)ドクター・ピレイ、(3)シャマの義理の妹、(4)イラン人の少女、(5)
ハルダの紳士、(6)ムンバイの女性
35. ババを試した者は確信する
カカ・マハジャニの友人と雇い主 - バンドラの不眠症の事例 - バラ・パ
ティル・ニューアスカール
36. 素晴らしい物語
(1)2人のゴアの紳士、(2)アウランガバドカール夫人
37. チャヴァディへの行進
38. ババのハンディ - 寺院の無礼 - カラ、ごった混ぜ - カップ一杯のバ
ターミルク
39. ババのサンスクリット語の知識
ギータの詩篇の解説 - サマディ・マンディールの建設
40. ババの物語
(1)Dev氏のウディヤパンの式典に他の二人と共にサニヤーシとして出席する
(2)写真がヘマドパントの家を訪問する
41. サイババの写真にまつわる物語 - ボロ布を盗んでドニィネシュワリを読む
42. ババ逝去
前触れ - ラムチャンドラ・ダダ・パティルとタティヤ・コテ・パティルの死
を防ぐ - ラクシュミバイ・シンドへの思いやり - 最後の瞬間
43-44. ババ逝去(続き)
準備 - サマディ・マンディール - レンガが壊れる - 72時間のサマデ
ィ - ヨグ、サニヤスになる - ババの甘露のような言葉
45. カカサヘブの疑念とアナンドラオのヴィジョン - 木製の厚板 - ババの寝
台とバガト(帰依者)
46. ババのガヤへの旅 - 羊の物語
47. ババの追憶
ベールバドラッパとチェンバサッパの物語(蛇とカエル)
48. 帰依者の大惨事を防ぐ
(1)シェヴァデの物語、(2)サパトネカールの物語
49. (1)ハリ・カノバの物語、(2)ソマデヴ・スワミの物語、(3)ナナサヘブ・チャンドルカールの物語
50. (1)カカサヘブ・ディクシットの物語、(2)スリ・テンベ・スワミの物語、(3)バララーム・ドュランダールの物語
結び
アーティ
シルディの人々が、ババが小麦をひくという出来事にどのような意味を見出したかは別にして、私たちはそこに哲学的な意味があると考える。ババはシルディに60年程住んでおり、この長きに亘ってほぼ毎日彼は粉ひきをしていたのである
- 小麦だけでなく、罪や、精神的、肉体的な苦悩、彼の数え切れないほどの信者たちの悩みを。彼のひき臼の2つの石は、カルマとバクティでできていた。前者は下にあり、後者は上にあった。ババがひき臼を動かす柄はディヤーナでできていた。ババは、私たちの衝動や欲求、罪を粉砕しない限り、知識や自己認識を得るのは不可能だと強く確信している。3つのグナ、すなわちサットヴァ、ラジャス、タマスそしてアハンカラ(エゴ)は非常にとらえにくく、取り除くのがとても難しいのである。
この出来事はカビールの同じような物語を思い起こさせる。彼はとうもろこしを轢く女性を見ていて、彼のグル、ニパトニランヤンに向かってこう言った。「このひき臼の中のとうもろこしのように、俗世という車輪の下で押しつぶされる激しい苦悩を感じて、涙が出てしまいます」するとニパトニランヤンは答えて言った。「恐れるな。私がやったようにこのひき臼の知識という柄をしっかりと握り、そこから離れて彷徨ったりせずに、内側に向かっていけば君は必ず救われるのだ」
スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように
「誰であれ、愛と信仰を持って、私に葉や花や果物や水を捧げる者は、その純粋な愛と自己統御された彼の捧げ物ゆえに、私は彼を喜んで受け入れる」
-主スリ・クリシュナ
バガヴァッド・ギータ、9章26節
スリ・サイババ、
アンタリャミに捧ぐ
本書は私自身と共にある
スリ・N.V.グナジの生涯(1876-1963)
スリ・N.V.グナジは、様々な人々や事柄を扱った28を超える書物を著述した高名な学者であった。彼はサイババやスリ・ラマナ・マハリシ、スリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサらの霊的な教えに大変興味を持っていた。彼はバガヴァッド・ギータやバグワットなどを翻訳した。スリ・パラマハンサ・ラーマクリシュナの生涯や、スリ・ラマナ・マハリシの生涯をマラティ語で著述し、またスワミ・ラムティルスの教えについてもいくつかの著書を執筆した。彼はまた”Atmoddhar”と呼んだT.ワシントンの伝記を翻訳した。
彼は1873年にベルガウムでサラスヴァット・ヴラーミンの家庭に生まれ、ベルガウムで学校教育を受けた。サルダール高校を卒業し、その後ムンバイのウィルソン・カレッジを卒業。ムンバイのカレッジでは法律を専攻し、法学学士の試験に合格。その後、ベルガウムに戻り法律事務所を開業する。数年後、彼はベルガウム自治体の行政長官となる。生涯を通じて、彼は熱心な読書家であり、数冊の著書を英語やマラティ語に翻訳している。スリ・グナジはまた自然療法に興味を持ち、”Scientific and Efficient Breathing(科学的、効率的な呼吸法)”と”Anti T.B. & Anti Heart Failure(抗結核菌と抗心不全)”の二冊を出版した。彼はマハトマ・ガンジーが数度ベルガウムを訪れた際に、科学的なマッサージ療法で、ガンジーを治療するという幸運にも恵まれた。スリ・グナジはまたスリ・ラマナ・マハリシがアルナチャラムのスピリチュアル・リーダーを訪れた際に、彼を治療した。
スリ・グナジはスリ・ヘマンド・パント・ダボルカールの”Sri Sai Satcharita”を英語に翻訳及び改作し、その全収益をSai Sansthan Trustへ寄付した。本書は過去45年間に数千人の帰依者らの元に届き、彼らの信仰やババへのシュラッダを一層強力にした。多くの帰依者たちが本書を’サプタ(7日間昼夜朗読をする行)’として活用している。1963年、スリ・グナジは90歳になる数ヶ月前に他界した。