私は、毎日部屋を出るとババの足元にひれ伏して、そこの椅子に座る許可をもらいます。仮に私が思い上がり「この私には、何千人もの生徒がいます。あの像、あのババにひれ伏す必要などありません。なぜここに座らなければならないのでしょうか?なぜ必要もないのに、私はババにひれ伏すのでしょうか?」と思うなら、私にはまったく価値がなくなります。ババがいなければ、スワミもいません。ババがいてこそ、スワミがいるのです。
要はどこが出発点かということです。ジーザスは自分の出発点を見つけました。それはどこでしょうか?シルディ・ババの出発点、それはどこでしょうか?クリシュナの出発点、それはどこでしょうか?彼はどこで学び、誰に学んだのでしょうか?クリシュナの伝記を見れば彼がマスターの元へ行き、そのマスターについて何年も学んだことが分かります。
彼は実に多くの事を学びました。しかし、クリシュナは自分の人生をマスターには捧げはしませんでした。クリシュナはマスターと仲の良い友人としての関係を保ちました。クリシュナはクリシュナであり、アヴァター(人類に奉仕するために生まれて来た神の化身)でした。彼のマスターは彼のマスターであり、先生でした。クリシュナは真理を手中にし、それを広めました。彼はこう言いました。「このエネルギーのすばらしさを教え、与えてくれたマスターに、私は心から感謝しています」
■地のマントラ2(解説ブログ)