癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO1369・最初の数年をやり過ごす2

2024-05-30 | カレシュワーラ、スワミ

 ・今後の満月行のお知らせ

7月20日・8月24日・9月21日・10月19日・11月16日・12月14日です。

 

 彼は「分かりました。ボス」と言い、また切ってくれました。そして鏡を片側に持って来て「これでどうですか?」と聞きました。それから反対側に鏡をもってきました。私は言いました。「良いですね。完璧です。はい、2ルピーどうぞ」お金を払うことに関しては、私は最低の客でした。

 

 でも彼はとても優しくしてくれました。※仙人注釈:当時の散髪の相場は20~50ルピーでした。外の木の下で椅子に掛けて行うローカルな散髪は10~20ルピー(20円~40円)で店の中で髭剃り、耳垢取りまでするのは50ルピー(100円)くらいで、これは外人を含む富裕層の値段でした。

 

 彼は「食べる為にお金が要るでしょう。お金はとって置いて下さい。大丈夫ですから」と言いました。「やめて下さい。あなたのお金ですよ。2ルピーもらって下さい」と私は言いました。実際には彼に散髪してもらうのには10ルピーかかります。私は2ルピーしか払いませんでした。

 

 それでも髪を切ってくれるのです。今は彼に、2000ルピー払っています! 実際食べていくことは問題でした。私は学校の食堂の人と月一回支払うか、お金がない時は2か月にまたは3か月に1度の支払いをするという取り決めをしていました。その食堂を運営しているおじいさんとおばあさんは今でもこのアシュラムにやって来ます。

 

 彼らは純粋な信者です私は彼らに言いました。「3か月後でないと支払いが出来ません。どうか私の面倒を見て下さい」老夫婦は言いました。「もちろん良いですよ」しかし、彼らの息子たちは彼らに向かってこう言い続けました。「学生たちは皆この調子だ。こんな風にただで食べさせていたら、商売が成り立たないよ」私は彼らに「将来利子をつけて払いますから」と言いました。

 

 しかし、彼らの息子たちは彼らに向かってこう言い続けました。「そうですか、利子をつけて払ってくれるのですね。いったいどうやって払うのですか?もういいですから今すぐ払って下さい。話はそれからしましょう」

 

 彼らがそういっている間、私はビッグ・ボスの写真を見て言いました。「ああ、イリュージョンを私に仕掛けているのですね。何故?私にイリュージョンを仕掛けるのですか?」

 ちょっと見えにくいのですが、白いチョウチョが沢山飛んでいます。先日まで木の葉に沢山の小さな毛虫が付いていたのが、ふ化したようです。醜い毛虫が蝶に変身しました。犬も生まれ立ちは芋虫みたいですが2週間経つと可愛い天使のように変身します。それから2か月過ぎると親元から離れ、縁がある人に飼育されるようになります。この時は、良い人に巡り合えるようと祈りながらお別れするので、寂しさも少ないのですが、一年一緒に生活した犬とのお別れは悲しいものです。

 

 酪農家の人は耐えることが出来るのでしょうか?牛や豚などの家畜とのお別れの時、耐えることが出来るのでしょうか?私には絶対出来ないでしょう。人間に食べらる為に生まれ、ほんの一時可愛がられ、車に乗せられ屠殺場に送らる光景をどうして耐えるのでしょうか?食べる為に仕方ないのでしょうか?インドでは食べる人がいるから、屠殺する人がいると言います。食べる人は、この光景が自分だったらと想像しないのでしょうか?中には自分が飼育した肉を自慢しながら食べる人がいますが、この人の魂はいったいどこで育ったのでしょうか?

・杉本彩さん「市民感情と乖離した量刑」

 これに関連した記事を見る度に思います。この人は動物愛護と言うが、牛や豚は動物ではないのでしょうか?家畜と勝手に人間が決めて正当化しているが、殺され食べられる為に生まれる。これほど残酷な事はないでしょう。これを無視して語っても解決しないし,重い判決は出来ないのは当然でしょう。常につけ焼きで、その場しのぎの話にうんざりです。動物愛護を唱えるなら、牛・豚も動物である事を認識して頂きたい物であります。私のように愛情一杯で育て、別れを悲しんでいるブリーダーが99%なのです。その99%の人も悪人のような目で見られているのです。高級レストランで和牛のステーキをジューシーで柔らかくて美味しいと頬張っている人が、1%を見て全てだと吹聴する事が正しいのでしょうか?その人の心は偏っているのか?売名行為なのか?偽善者なのかと思うのです。近隣の国々ではいまだに犬は食用なのです。

 そして日本ではクジラが食べられているのです。これを無視して語られても説得力はないように感じています。法律って人間の都合によって作られ、自然界や神の世界は無視しているのですね。杉本さんが、言わんとしていることは分かるのですが、運動をするなら牛や豚の屠殺は犯罪行為である事も並行して運動して欲しいものです。そして犬を飼育して癒されている人がいるのも事実なのです。他の人に懐く前の生後60日がベターである事を理解して欲しいものです。あの天使の顔をした生後60日があるからこそ、自分の家族として受け入れられているのです。牛や豚も愛情一杯で育てられているでしょう。そして涙を流しながら送り出しているでしょう。それを食っている人間が動物愛護などと言えるのでしょうか?その思考回路が麻痺しているのではないかと疑います。いくら法律を厳しくしても根本は変わりません。変えるには動物の生命について啓蒙活動をしなければ、片手落ちだと思います。先ずは自分が率先して動物を食べていなことをアピールする事から始めて欲しいと思います。

 


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