結婚式の一団がシルディに来たとき、カンドバ寺院の近くにあるバガット・マールサパティの敷地内のバンヤンの木の根元で一団は偶然足を止めた。軽馬車の手綱はカンドバ寺院の中庭で緩められ、一団のメンバーは一人ずつ降りてきた。
ファーキルもまた降りた。バガット・マールサパティは降りてきた若いファーキルを見ると近寄って声を掛けた。「ヤ・サイ(ようこそ、サイ)!」他の人々も彼のことを“サイ”と呼び、それ以来彼は“サイババ”と呼ばれるようになったのである。
11月開催のヒマラヤ行のお申し込みは締め切らせて頂きました。今後年に2~3回計画しますので、次回お申し込み頂ければ幸いです。
注意事項
〇インドはビザが必要ですので出発の10日前頃までに手続きを終わらせてください。
〇インド霊性修行の旅は、ツアー形式ではなく、あくまでも仲間が集いあって参加する形式を取っています。ので、一切の責任は主催者には発生しない事を、ご了承の上お申し込み下さい。
〇ヒマラヤ迄の道路事情は良くありませんので、あり得ない事ですが、万が一と家族を安心させる為に旅行保険に入って参加して下さい。
〇季節的は冬になりますので、気温は東京の冬と同じと考え冬仕度で参加下さい。
〇プログラムの内容は講師等と折衝の為、確定したものでない事をご承知下さい。変更される場合は、計画しているプログラムより高度な行を考えています。
〇今回はかなりハードに行われますので、体調を万全にしてご参加下さい。
〇体内と魂に溜まっている毒素の中和を行いますので、日本食の持ち込みは一切禁止させて頂きます。シャンプーや石鹸等もケミカル以外のものをご持参下さい。特に今後は神染めが問題になると思われます。
〇ファイヤープージャはほぼ毎夜行われますので、録音機をご持参下さい。ビデオで撮影しても構いませんが、絶対表には出さないで下さい。勿論他の教えやマントラも同じです。
今まで行って来た、制約とは問題にならないくらいに厳しいと思って下さい。今回から行う行は神との契約の元に全て行われる事をご理解下さい。
ですから、未だにサドゥも知らないことだらけで、巷で行われているプージャや修行との差がはっきり分かる事でしょう。そして、本当に神の世界が存在している事にびっくりするでしょう。今まで神を疎かに考えていた人は身が凍る体験をすると思っています。これが、一部の人しか巡り合う事が出来なかったヒマラヤの秘伝なのです。
〇今回授かる一部の行は、ヒマラヤの奥地のある地区だけに伝わってきたものあり、ヴェーダーの経典通りの事を授かりますので、絶対門外不出でお願いします。これが守れない方は、残念ながら次回からの参加はお断りします。これが条件で今回開催される運びになった事をご理解下さい。万が一これが外部に漏れた事が発覚しますと、次回からの教えは全員中止され、今まで「辛抱」と「忍耐」で頑張って来た、意欲的な方々にご迷惑を掛けることになります。
〇参加費用は、今のところ概算ですが1~4(セットプログラム)のプログラムの参加で15~20万円位になると思います。これにはデリー到着後からデリーに戻るまでの一切の諸費用とプログラム費が入っています。プロの通訳をお願いしない時の計算です。(講師の謝礼・会場費・ホテル・食事・国内線・車代・コーディネイト料・プージャや食事の材料費・アシュラム建設協力金等)になっており、日本からデリー往復の飛行機は個人手配となり、費用も個人負担です。※他のツアーと比較して下さい。いかに格安で行うと考えているかご理解頂けると思っています。ましてシークレットな教えを授かりますので、お金で比較すべきではないとも思っているところです。
私は霊性修行をビジネスと考える思考は好ましくないと思っています。そして、金儲けの為の師弟制度も打破すべきと思っています。この縁にめぐり合った人達は、上下の関係を考えず、親兄弟の関係で学べたらと思っていますし、才能ある人にはチャンスをどんどん与えるべきと思っています。
〇数名の希望者がいる場合は、居残り特訓も可能です。その時は一日1000円のご負担をお願いします。帰りもなるべく一緒になりますので、航空チケットはオープン切符でお願いします。(但し一人でも行動が出来る方に限らせて頂きます。)
〇その他気がついた事や変更が起こった場合は、随時発表していきます。また、お申し込みを行い、キャンセルのない方には、パスワード付きのブログ(ヒマラヤ聖者gooの聖者コース)で講師の紹介やもっと詳しい情報を提供します。それぐらい慎重に情報の流出に気を使わなければ、秘伝の教えには辿りつけない事をご理解下さい。
この教えは、今まで縁だけで伝わっており、幾らお金を積んでも絶対表に出る事の無かった教えでもあります。また、秘境の僻地だからこそ残っていた最後の法と思われます。ので、縁がある人だけに参加して頂ければと思っています。私は教えを独り占めに出来ない使命をおびており、それを実行しているので次から次に情報が入って来ると硬く信じています。自分だけこっそり学ぼう等の下衆の考えはありませんので、チャンスがある人はどんどんヒマラヤを目指し貴方も神の一員を目指して下さい。私が開設している「ヒマラヤ聖者goo」のタイトルは、「遠い」を「近い」にです。遠いと思っているヒマラヤをもっともっと近くにすべきと思い、無料の宣伝入りのテンプレートを使わせて頂いています。そして、ヒマラヤを自分の庭にしようと思う心意気を、皆に持って頂きたいとも思っているのです。
皆様方のお一人お一人が生きている間にヒマラヤの教えに縁がある事を祈っています。それほど、ヒマラヤとは神秘な世界なのです。日本にいてヒマラヤを知ることは出来ません。ましてヒマラヤの靈氣を自分の身に感じる事は出来ません。この靈氣こそが眠った魂を呼び起こす原動力だと私は思っています。し、古の偉大な聖者の誰もが言っている事なのです。ですので、ヒマラヤの行を勧めない聖者は、自分だけこっそり秘伝を得て、師弟制度を守ろうと思っているのかも知れません。「貴方にはヒマラヤはまだ早い」とか良く耳にしますが、何が早いのでしょうか?人間に生まれた以上は誰しもが目指す道ではないでしょうか?・・・・そんな事を云う貴方は、何様ですか?ビジネスマンですかと問いたいところです。
〇締切日は、インド国内線の手配がありますので、9月30日を考えています。その後国内線が確保できる状況でしたら、延長を考えます。国際線は日が立てば立つほど高くなりますので、迷っている方は、仮予約を入れる事をお薦めします。
〇通訳は最近インドと日本の経済の結びつきが強くなりつつあり、考えられない位高くなっています。と言うより、企業と契約する為確保が難しい状況です。特に英語とヒンドゥ語とサンスクリット語と現地語を話せる通訳は引っ張りだこで、3年で豪邸が建つそうです。もしセットさんに依頼する事になりますと、参加する人数にもよりますが、お一人様1,5万円から2,5万円の追加になります。しかし、ヒマラヤの聖者はテレパシーの力をもっていますので、より、高い教えを必要としない人には必要ないかもと思っています。私達は教えの内容よりも結果を追求していますので、もう少し考えさせて下さい。
〇アストロロジーの教えは表に出ている部分は大差ないと思っていますので、一般的な知識はそちらで得て下さい。私達はシークレットな伝授で神の力を授かる事を中心に考えています。ですから、聖者に口伝えで教えて頂いたシークレットな部分だけを日本語にして配布する計画をしています。これも流出しない事が確認できた時点での配布になります。
〇病気治しを目的で参加される方は、新薬なども必要でしょうから、無理をしない程度の努力で結構です。まず、自分の病気を治すことを主体に考え、人に癒しを与えるのは、自分が治ってからにして下さい。病人が病人を治そうと思う思考は、格好のブラックの餌食になりますので、今は「辛抱」と「忍耐」で、自分が幸せになれる事を一番に考えるべきと思っています。
〇お申し込み方法は後日お知らせします。ので、今は国際線の格安チケットを手配するのが一番かと思っています。思いついたまま、書きなぐっていますので、また随時発表していきます。
灯台は海の様々な場所に建設され、船乗りが岩や危険を避け、安全に航海ができるようにしている。サイババの物語も俗世という海の中で、同じような目的を持っている。その甘美さは甘露を上回り、私たちの世俗の道を平坦にし、横断しやすいようにしてくれる。聖者の物語は恵みである。
物語が耳から私たちの心に入るとき、肉体意識やエゴイズムや二元性の感覚は消えてしまう。物語が心に蓄積されてくると、疑念は晴れ、肉体の持つうぬぼれは抜け落ち、智慧が豊富に蓄積されるのである。ババの名声について純粋に記述したり、愛をもってそれを聞くと、帰依者の罪は打ち砕かれる。従ってこれが救いを得るための簡単なサーダナなのである。クリタ期のサーダナはサマ・ダマ(精神と肉体の平静)であった。
トレタ期では放棄であり、ドワパール期には礼拝であった。カリ期(現在)には、主の御名や栄光を歌うことである。この最後のサーダナは4つのヴァルナス(ブラーミン等)全ての人々に開かれている。その他のサーダナ、すなわちヨーガ・ティヤガ(放棄)、ディヤーナ(瞑想)、ディヤンダラナ(集中)は、実践がとても難しいのだが、主(サイババ)の物語や栄光を歌ったり聞いたりするのはとても簡単である。
私たちはただそこに注意を向ければよいのである。物語を聞いたり歌ったりすることで、感覚や物質への執着が取り除かれ、帰依者たちは感情に動かされなくなり、究極の自己認識へと導かれるのである。この結末を見据えて、サイババは私に”サッチャリタ”という彼の物語を書かせたのである。
帰依者たちは今ではたやすくサイババの物語を読んだり聞いたりし、一方で彼の姿に瞑想し、グルや神(サイババ)への信仰を得、感情に動かされなくなり、自己認識に至る。本書”サッチャリタ”のを準備し執筆している間、私を単なる道具として使い、全てを完成させたのはババの恩寵なのである。
第一章
神々へ敬意を表する - 小麦をひく物語とその哲学的な意味
古来の慣習に従い、ヘマドパントは様々な言葉で敬意を表して、著書スリ・サイ・サッチャリタの巻頭を飾っている。
(1) まず、彼はガネーシャ神1に敬意を表して、あらゆる障害を取り除き、執筆がうまくいくよう祈り、スリ・サイがガネーシャ神自身であると述べている。
(2) 次に、女神サラスヴァティ2に敬意を表して、彼の本書執筆を鼓舞してくれるよう祈り、スリ・サイが女神と同一であり、自らの人生を歌っているのはサイ自身であると述べている。
(3) 次に、それぞれに創造、維持、破壊の神々であるブラフマン、ヴィシュヌ、シャンカールに敬意を表して、サイナスがこうした神々と同一であり、偉大な師である彼が私たちを世俗の生活の河の向こう側へ連れて行ってくれる存在であると述べている。
(4) 次に、パラシュラーマ3(ヒンドゥーにおけるラーマ神)が海を干拓してできた土地、コンカンに自身を顕現させた守護神ナラヤナ・アディナスと、家族のアディ(最初の) ・プルシュ4にも敬意を表する。
(5) 次に、ゴートラ(氏族)に生まれたバラドワジ・ムニに敬意を表し、様々なリシ、ヤグニャヴァルキャ、ブルグ、パラシャール、ヴィシュワミトラ、ヴァシシュタ、ヴァルミキ、ジャイミニ、ヴァイシャンパヤン、ナヴァ ヨギンドラ等、またニヴルッティ、ドゥニヤナデヴ、ソパン、ムクタバイ、ジャナルダン、エクナス、ナンデヴ、ツカラム、カナー、ナラハシといった現代の聖者たちにも敬意を表する。
(6) 次に、彼の祖父サダシヴ、父ラグナス、幼少期に先立った母、彼を育てた父方の叔母と彼の愛する兄に敬意を表する。
(7) 次に、読者に敬意を表し、彼の著書に完全に専心してくれるよう祈念する。
(8) 最後に、彼のたった一つの避難所であり、ブラフマンが真実でこの世界は幻想であることを彼に気づかせてくれるスリ・ダッタトレヤの化身、彼のグル、スリ・サイナスに敬意を表し、ついでながら神が住まう万物に敬意を表する。
パラシャール、ヴィヤサ、シャンディリヤ等に習い、様々な帰依の仕方について簡単に説明したのち、筆者は下記の物語を記している。
「1910年より後のある晴れた朝、私はシルディのマスジッドへサイババのダルシャンを受けに出かけた。私は次のような出来事に遭遇して驚いた。サイババが口と顔を洗った後、小麦をうすでひく準備を始めたのだ。彼は床に大袋を広げ、それから手動のひき臼を出した。彼は籾殻を吹き分ける唐箕の中へ小麦を入れ、カフニ(ローブ)の袖をたくしあげて、ひき臼の柄を握り、ひき臼の上にある注ぎ口に一握りの小麦を入れて臼を回転させ、小麦をひき始めたのである。
私は思った。「ババは持ち物も備蓄も全くないのに、なぜ小麦をひいているんだろう。彼は施しで暮らしているというのに!」ババの所へ来た人々の中にも同じようなことを思う人がいたが、ババが何をしているのかと尋ねる勇気は誰にもなかった。
ババが小麦をひいているというニュースは瞬く間に村中に広まり、すぐに村の男女がマスジッドに押し寄せてきて、ババが何をしているのかを見ようと群がった。4人の勇敢な女性たちが群集を掻き分けて出て、ババを脇に置いて、無理矢理に柄を握ると、ババのリーラの歌を歌いながら、粉ひきを始めたのである。最初、ババはこれにひどく怒ったが、女性たちの愛情と信仰心を見て喜び、微笑み始めた。
彼らは粉ひきをしながら、ババには家も土地も子供も面倒を見る家族もなく、施しで暮らしており、小麦粉でパンやロティを作るわけでもないのに、こんな大量の小麦粉を一体どうするつもりなのだろうと考え始めた。恐らくババはとても親切だから、小麦粉を私たちに分けてくれるのだろう。こんな風に思いながら、歌を歌って、彼女らは粉ひきを終え、ひき臼を脇に置くと、小麦粉を四等分し一人一つずつ取り始めた。
ここまで静かで穏やかだったババは、怒って彼女らをののしりはじめた。「ご婦人方、頭がおかしくなったのか?父親の財産を奪い去ろうというのかね?私があなた方から小麦を借りているから、この小麦粉はあなた方が持ち去っていいというのか?よろしい、そのようにするがいい!小麦粉を持っていって、村境に捨てるがよい!」これを聞いて女性たちは困惑し互いにヒソヒソ話をした後、ババが指示したとおりに村はずれに行って小麦粉を撒いたのだった。
私がシルディの人々に「ババは何をしていたんですか?」と尋ねると、彼らは村ではコレラの伝染が広まっているから、これはそれを止めるためのババの処方だったのだと答えた。細かく粉砕されていたのは小麦ではなく、コレラそのものであり、村の外へ出されたのだった。この後、コレラの伝染は収まり、村の人々は喜んだ。私はこれを知って非常に嬉しかったが、同時に好奇心もまた高まっていた。
私は自分自身に尋ねた。「小麦粉とコレラの間に一体どんな関係があるというのか?両者の間にはどんな因果関係があって、どうやって2つを調和させたのか?」この出来事は不可解に思えた。私はこの出来事について記し、心ゆくまでババの甘いリーラを歌うべきだと思った。こんな風にこのリーラについて考えていると、私の心は喜びで満たされ、ババの生涯を記すべきだという直感を得て、サイ・サッチャリタを執筆するに至ったのである。
そして我々の知っている通り、ババの恩寵と恵みのお陰で本書は完成したのである。]
1.ガネーシャ神:主シヴァの息子であり、象の頭と人間の身体を持っている。事業などを始める際に、ヒンドゥー教徒は彼を礼拝する。
2.サラスヴァティ:学問の女神
3.パラシュラム:神(主ラーマ以前)の化身の一つ
4.プルシュ:人間
サイババの両親や、誕生日、誕生場所について知るものは誰もいない。こうしたことに関して多くの質問がババやその他の人々に投げかけられたが、満足の行く回答や情報は得られなかった。実際に、私たちはこうしたことを何一つ知らない。
ナムデヴとカビールは通常の人間のようには生まれなかった。彼らは真珠層の中で幼児として発見された。ナムデヴはビムラティ川の土手でゴナーイによって発見され、カビールはバギラティ川の土手でタマルによって発見された。サイババの場合もこれらと似ている。彼が最初に自身を顕現させたのは、シルディのニームの木の下でバクタを行う16歳の少年としてであった。
そのときですら、彼はブラフマンの知識に満ち溢れているように見えた。彼は夢の中ですらも、世俗的な物質に対して欲求を持っていなかった。彼はマーヤを一蹴し、ムクティが彼の足元に仕えていた。シルディの老女、ナナ・チョプダールの母は、彼についてこう表現している。この色白で、賢く、とてもハンサムな若者は、初めアーサナのポーズでニームの木の下に座っていた。
村の人々はこんな若者が暑さ寒さをいとわず、厳しい苦行を行っているのを見て驚き呆れた。昼は誰と交わることもなく、夜は誰を恐れることもなかった。人々はこの若者がどこから現れたのか不思議に思って話題にしていた。彼の姿や容貌は大層美しく、一目見ただけで彼を慕わずにいられないほどであった。
彼は誰の家にも行かず、ひたすらニームの木の下に座っていた。外面的には彼はとても若く見えたが、その行動から偉大な魂の持ち主であることが見て取れた。彼は平静の権化であり、皆にとって謎の人物であった。ある日、カンドバ神がある帰依者の身体を借りて現れたので、人々は彼に「デーヴァ(神)、教えて下さい。
彼はどんな父親の息子で、どこから来たのですか?」カンドバ神は彼らにつるはしを持ってきて、ある場所を掘るように言った。掘ってみると、平らな石の下からレンガが見つかった。石をどけてみると、そこには回廊があり、4つのサマイス(炎)が燃えていた。その回廊は地下室に続いており、そこには牛の口をかたどった建物や、木製のテーブルやロザリオが見えた。カンドバは言った。
「この少年はここで12年間苦行を行っていた」それから人々はこのことについて少年に質問をし始めた。彼は、そこは彼のグルの場所で、彼の聖なるワタンだと言い、彼らにその場所を守ってくれるように頼んだ。そこで人々は元の通りその回廊を閉じた。アシュワタやオーダンバールの木は神聖さを保っているので、ババはこのニームの木も同じように神聖だと見なし、こよなくこれを愛した。ムハルサパティやその他のシルディの帰依者たちは、この場所をババのグルの墓地(サマディ-スタン)と見なし、その前にひれ伏した。ニームの木のある場所とその周辺の土地はハリ・ヴィナヤク・サテ氏によって買い取られ、ここにはサテのワダという大きな建物が建てられた。
このワダは集まってくる巡礼者たちの唯一の休息の場所であった。ニームの木の周りには踊り場が作られ、階段のついた小屋が建てられた。階段の下に、南向きの壁龕があり、帰依者たちは北を向いてパール(踊り場)に座るのだ。と金曜の夜にそこで香を焚く者は神の恩寵により幸せになると信じられている。
このワダは古くなって荒廃し、修復が必要になった。こうした修復や改造はこれまで、サンスタンによって行われてきた。(2)それから数年後、別のワダ、ディクシットのワダが作られた。ムンバイの法務官であるカカサヘブ・ディクシットはイギリスに行った。彼はそこで事故にあって足を痛めた。
その傷はどのような治療を行っても治らなかった。ナナサヘブ・チャンドルカールは彼にサイババのところへ行くように薦めた。そこで彼は1909年にサイババのところへ行き、彼の足の不自由さよりも心の不完全さを癒して欲しいと頼んだ。彼はサイババのダルシャンを受けて大層喜んで、シルディに住むことに決めた。
つまり彼は自分自身と他の帰依者のためにワダを建てたのである。この建物の建設は1910年10月12日に始まった。この日、他に2つの重要な出来事があった。(1)ダダサヘブ・カパルド氏が家に戻ることを許可されたことと、(2)チャヴァティで夜のアーティが始まったことだった。ワダは完成し、1911年のラーム・ナヴァミの日に、相応の儀式と手続きを経て使用が開始された。(3)その後、別のワダや広大な館が、ナグプールの高名な百万長者ブティ氏によって建てられた。
この建物には多額の費用が投じられたが、全てうまく役立てられ、サイババの肉体は今では”サマディ・マンディール”と呼ばれるこのワダの中に安置されている。このマンディールのある場所は以前は庭園であり、ババが水を撒いて手入れをしていた。以前は一つもなかったワダが3つ出来上がった。当初は、サテのワダが最も役に立っていた。
サイババがヴァマン・タティヤの手を借りて世話をしていた庭の話、サイババが一時的にシルディを不在にしたこと、チャンド・パティルの結婚式のパーティに混じってシルディに再び現れたこと、デヴィダス、ジャンキダス、ガンガギルの仲間、モヒディン・タンボリとババとのレスリング、マスジッドに住むようになったこと、デングル氏とその他の帰依者の愛情、その他の出来事について次章で述べることにする。
スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように
老年の帰依者、95歳のゴウリブアは、パンダリのヴァルカリ(ヴィットヴァを信仰しパンダルプールへ旅をする巡礼者)だった。彼はパンダルプールに8ヶ月間滞在し、ガンガの土手にアシャダ月からカルティック月(7月~11月)の4ヶ月の間滞在していた。彼は荷物を運ばせるためのロバと、旅の共の弟子を連れていた。
彼は毎年パンダルプールへ旅をし、彼の最も愛するサイババに会いにシルディにやってきた。彼はババを見つめてよくこう言っていた。「この方はパンダリナスのヴィッタルの化身で、貧しい者や寄る辺ない者の慈悲深い主なのだ」ゴウリブアは古くからのヴィットバの帰依者で、パンダリに何度も足を運んでいた。その彼がサイババは正にパンダリナスであると証言したのだ。
ヒンドゥー教徒は、ガンガとヤムナが合流するプラヤグの聖地にある沐浴場はご利益に恵まれる場所だと考えており、数千人の巡礼者が聖なる沐浴を行うために定期的に訪れる。あるとき、ダース・ガヌはプラヤグに沐浴に行くべきだと考え、ババの許可をもらいに行った。ババは彼に言った。
「そんなに遠くに行く必要はない。私たちのプラヤグはここだ。私を信じなさい!」それから驚くべき事が次々と起こった!ダース・ガヌがババの足に頭を置くと、ババの両のつま先からガンガとヤムナの水が溢れ出したのである。この奇跡を目にしたダース・ガヌは愛と崇拝の念に圧倒され、その目は涙でいっぱいになった。彼は内側で霊感を得、それはババと彼のリーラを崇める歌となって表現された。
ババがヴィッタル崇拝をどれほど好んだかは、バグワントラオ・クシルサガールの物語に描かれている。バグワントラオの父親はヴィトバの帰依者で、パンダルプールへのヴァリス(年一回の旅)を慣例にしていた。彼はまた家にヴィットバの絵姿を置き、礼拝していた。彼の死後、息子はヴァリスも礼拝もシュラッダの式典も、全て辞めてしまった。
バグワントラオがシルディにやってくると、ババは彼の父親を思い出してこう言った。「彼の父親は私の友人だった。だから私は息子をここに引っ張ってきたのだ。彼はナイヴァイディヤ(食物を捧げること)をしてくれないから、ヴィッタルと私は飢えている。だから私は彼をここに連れてきた。彼には再び礼拝をするように忠告をしよう」
主クリシュナはバガヴァッド・ギータ(第四章、7-8)の中で次のように述べている。「ダルマ(正義)が崩壊し、不公正が横行しているときは常に、私は道徳を守り、悪を滅ぼすために自らを顕現させる。そして正義の構築のために、私は時代ごとに私自身を顕現させるのである」
これが神の代理人である主や賢者や聖者の使命であり、適切な時に現れてそれぞれのやり方で働き、その使命を果たすのである。
例えば、2度生まれた者、すなわちブラーミンやクシャトリヤ、ヴァイシャらが彼らの職務を放棄するときや、シュードラが他の階級の職務を奪おうとするとき、霊性の師が尊敬されず面目を失うようなとき、誰も宗教的な教えを省みないとき、誰もが自分自身を非常に博識だと考えるとき、人々が禁じられている食べ物を食べたり酔いの回る飲み物を飲んだとき、宗教を口実に人々が不正におぼれるとき、異なる宗派に属する人々が争いあうとき、ブラーミンがサンディヤ、神への崇拝を怠ったとき、正統派が宗教上の慣習を怠ったとき、ヨギが瞑想を放棄したとき、人々の関心事が富や子孫、妻のみになったとき、そのようなときは救いの本当の道から離れているのであり、聖者が現れてその言葉や行動によって物事を正そうとするのである。彼らはかがり火として私たちに奉仕し、道を示し、正しい道へ私たちを従わせる。
このようにして、多くの聖者、すなわちニヴルッティ、ドニャンデヴ、ムクタバイ、ナムデヴ、ゴラ、ゴナイ、エクナス、トゥカラム、ナラハリ、ナルシ・バイ、サジャン・カサイ、サワタ、ラムダースらその他様々な聖者が様々な時に現れ、人々に正しい道を示してきた。そして今、シルディにはスリ・サイババが現れたのだ。
アーメドナガール地区にあるゴダバリ川の土手は非常に幸運な場所だ。というのもその土地は多くの聖者、中でもドニャネシュワールという傑出した聖者を生み、彼らの避難所となったからである。シルディもまたコパルガオン・タルカやアーメドナガール地区にあった。コパルガオンからゴダバリ川を越えるとシルディに至る。3kos(9マイル=4.8km)行くとニムガオンに到着し、そこからシルディを眺めることができる。
シルディは、ガンガプールやヌリシンハワディ、クリシュナ川の土手にあるオーダンバールのように聖地としてよく知られている。ダモジが活躍しマンガルヴェンダ(パンダルプールの近く)を祝福したように、サッジャンガッドのサマルス・ラムダースのように、サラスヴァティワディのスリ・ヌリシムハ・サラスヴァティのように、シルディでサイナスは名を馳せ彼の地を祝福したのである。