日本精工争議 サボタージュ闘争だけで勝利! 1925年の労働争議 (読書メモ)
参照 協調会史料(日本精工株式会社労働争議ニ関スル件 )
荏原郡大崎町の日本精工株式会社は、労働者93名のボールベアリング製造会社で、陸海軍航空使用の部品製造を受注し、事業は順調。職場には労働組合は存在しないが、機械労働組合聯合会の数人の組合員がいる。
(満5ヵ年勤続手当問題)
日本精工では、かつて、1920年(大正9年)1月に待遇改善を要求する10日間の全面ストライキがあり、その時、会社と労働者の間で、「満5か年の勤続者に対して日給80日分の勤続賞与を支給する、ただし欠勤90日以上に及ぶ場合は支給しない」との解決協定が締結された。本年1925年1月に6名の労働者がこの協定に該当するので、労働者側は工場主任らと協議したが、労働者側は「5年間で90日以上の欠勤者には支給しないという協定は余りにも過酷な決まりであり、何らかの配慮をしてほしい」と要求し、2月10日にあらためて以下の要求書を提出したが、交渉は決裂した。
一、満5か年勤続賞の「90日欠勤以上は支給せず」の改善
一、退職手当の増額
一、解雇手当の増額
(サボタージュ闘争決行)
2月11日、労働者全員は、工場内食堂に集合し協議した。一方組長7名が労資間で調停を試みたがその努力は水泡に帰した。2月19日午後1時より93名全員がサボタージュ闘争に突入した。翌日も93名全員が出勤するも作業には一切手をつけない状態が続いた。
(解決)
労働者は20日以降も出勤したが、作業に従事しないサボタージュ闘争を続けた。23日、会社多胡支配人は、全労働者を工場内に集め現在の会社状態などを説明し了解を求めたが、かえって労働者全体は会社に誠意がないと憤慨した。
2月16日、機械労働組合聯合会高山久蔵と協議した労働者側は、「修正案」を提出し、会社もこれを容認し、争議は全面解決した。
妥結案
一、満5か年勤続賞、5か年間に満たない者は年月数に応じて相当分を支給する。
一、退職手当の増額
一、解雇手当の増額
一、一ヵ月皆勤者に一日分の日給を支給する