先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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下からの大衆運動が先行して「産別最低賃金制」を勝ち取った全国の港の社外船員1万8千人、340隻ストの大決起!-1928年の労働争議(読書メモ)

2024年11月28日 07時00分00秒 | 1928年の労働運動

上・川崎汽船会社所有の船

下からの大衆運動が先行して「産別最低賃金制」を勝ち取った全国の港の社外船員1万8千人、340隻ストの大決起!-1928年の労働争議(読書メモ)
参照・労働年鑑第10集/1929年版(大原社研編)

 イギリス労働者のストライキについてエンゲルスは、一つの工場でストライキが起こりさえすれば、たちまち非常に多数の工場で一連のストライキが始まるという場合が、しばしば起こると書いています。レーニンもストライキの精神力影響力はそれほど偉大であり、一時的にせよ奴隷たることをやめて金持ちと平等の権利をもった人間になっている自分の同僚たちの姿は、それほどに労働者に伝染的に作用するのだと言っています。

  前年1927年、日本郵船会社の船内厨房料理人・船員が待遇改善を要求し、1,600人は一斉下船(スト)、実に48日間ものストライキを敢行しました。しかし卑劣な郵船会社の切り崩しと弾圧によって敗北し、悲惨な結末となります。しかも総同盟の友好組合である日本海員組合本部はこの闘いに「中立」を表明し最初から終わりまで袖手傍観(しゅうしゅぼうかん)し、また総同盟の鈴木文治代表は労働者が下船(スト)中の加賀丸の出帆に乗船しました。これはまるで海員組合も鈴木文治もスト破りだと世間からも組合同盟などの労働組合や無産政党からも厳しく抗議非難されます。
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/b33d87eb86a8072e23b65176f7e99e46

(海上労働者は呼応した)
 しかし、同じ海上労働者の反応はこれら日本海員組合本部や総同盟とは全く違いました。日本郵船会社司厨争議の社船船員の48日間のストライキを心から士気に感じた全国数万の社外船員労働者が呼応します。たちまち全国で力強い差別糾弾、待遇改善闘争に決起したのです。エンゲルスやレーニンの言う通りでした。長い間大手の日本郵船、大阪商船、東洋汽船など〈社船〉と呼ばれた大船会社に比べ劣悪な労働条件下で差別されつづけていた社外船と呼ばれた船で働く〈社外船員〉の怒りは、日本郵船会社の船内厨房料理人・船員の仲間たちの敗北したとはいえ同じ海の仲間たちの英雄的なストライキを見て一気に火がついたのです。

(大衆闘争が先行した差別反対、待遇改善の決議、各船で続々と)
 1927年11月には兵庫県相生ドッグに在泊していた「せいぬ丸」他3隻の乗組員が「社外船乗組員の待遇を大手の社船並に引き上げること」を決議し、続いて翌年1928年1月に至り同じく相生ドッグの「羽後丸」他7隻の乗組員も同様の決議をします。しかも決議だけでなくストライキを覚悟した闘争資金として毎月一人6圓宛の積み立てもはじめます。3月21日には日本海員組合の有志が神戸に集合し、「海員待遇改善促進会」を結成、各地の港で演説会を開催し、全国の海員組合の一般組合員、社外乗組員に決起を呼び掛けます。下からの大衆運動、大衆闘争の先行です。かくて5月7日の日本海員組合昭和三年度大会席上で「最低賃金制度確立の件」が提起されるやいなや会場は熱烈な賛同の声の嵐に包まれ文字通り満場一致で以下の決議を可決します。その時の様子は労働年鑑第10集が「異常な昂奮状態」と表現するほどでした。

「決議
 社会的人間的生活を享受するに足る最低賃金を確立することは労働問題の最も根本的なる目標の一にして幾多の社会苦人間苦の酵母が実に僅かに生存線上に労働者を彷徨せしむる低率賃金に在るの事実に鑑み、吾人は海上労働問題解決の健閾としてこの緊急かつ重要なる制度の即時確立を期す。」

(川崎汽船闘争)
 大会は、また「船舶乗組定員制度確立の件」も決議可決し、各船における人員増員も要求します。特に、かねてから過酷・無慈悲な労働条件で有名な川崎汽船会社に対して、以下の具体的要求を突き付けます。

「決議
 川崎汽船会社船舶において乗組員は現在極度に減員されいるがため過重なる労働と虐使とを余儀なくせられ、これに因由して当該乗組員が非人間的境遇より脱却するを得ざるのみならず、更に他社の乗組員の労働条件改善に対して一大障害となりつつある現状に鑑み、同社に対し甲板部二名、機関部三名、司厨部二名の増員を要求す。」

 以上の決議に基づき5月9日日本海員組合は、日本船主協会と川崎汽船会社(日本船主協会未加入)に対して同時に要求書を提出しますが、日本海員組合は当面、川崎汽船会社との闘いに力を注ぎました。

(川崎汽船争議とストライキ)
 最低賃金制と増員を要求した川崎汽船争議は、当初会社側が労働者の要求を馬鹿にし、まともな対応を拒否します。しかし、5月12日、所轄の汽船が次々と停船(ストライキ)に突入したことに川崎汽船会社は驚愕します。
 停船(ストライキ)
 名古屋港 大明丸、東洋丸
 横浜港   明大丸、パシフィック丸
 門司港   東華丸
 函館港   呉松丸

(緒戦の勝利、川崎汽船争議)
 自らの船員の大反乱に川崎汽船会社の社長松方幸次郎らは死ぬほど狼狽します。急転直下、5月16日に最低賃金制と増員の回答で船員側の川崎汽船労働者の勝利で解決します。

(いよいよ船主協会と決戦、海上大争議敢行!)
 6月5日船主協会と日本海員組合の交渉が決裂します。憤激した日本海員組合交渉員は「ことここに至っては階級闘争によってその主張するところを争うのみ」と最後通牒を発して奮然と席をたちます。すでに前日6月4日夜より停船(ストライキ)が続出していました。日本海員組合は全国6万3千人の船員・乗組員で組織されています。5日正式なストライキ指令が発せられ、たちまち6月7日には各地の港で267隻が停船し、8日には停船340隻、スト参加乗組員は1万8千人に及びます。未曾有の海上決戦です。

 卑劣な船主協会傘下の各船会社はあらゆる汚い手段をもって組合切り崩しとスト破りの巻き返しに腐心します。しかし労働者の固い団結の前に、また停船(ストライキ)による各社の利害が一致せず協会の結束は全国の港の到るところで破れ、たちまち組合側との単独交渉に応じた船会社が17会社、41隻にも上ります。スト開始からわずか4日後の6月8日には船主協会と最低賃金制と増員の協定が結ばれ、日本海員組合の画期的歴史的全面勝利で解決しました。日本初の産業別最低賃金制度が実現したのです。全国の社外船員の差別への怒りがいかに高かったか、実によくわかる大争議です。

(船員の最低賃金制)
水火夫長、 月75円
水火夫、  月40円 

 1928年の「普通船員標準給料最低月額協定」の産業別最低賃金制度に続き、その後、同年11月には高級船員について「高級船員標準給料最低月額協定」が、1930年(昭和5年)7月には無線技士について「無線技士標準給料最低月額協定」がそれぞれ日本海員組合と船主協会間で成立しますが、全国の頑迷な資本側の抵抗と1939年(昭和14年)に開戦した第二次世界大戦などにより、戦前はついに最低賃金に関する法的制度の確立には至りませんでした。 

以上


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