上・「大同電気争議団(中央硝子工場争議団も含む)のビラ」
下・中央硝子工場争議団要求内容
13時間、14時間労働の先輩ガラス労働者―1928年の労働争議(読書メモ)
参照・労働年鑑第10集/1929年版(大原社研編)
・協調会史料
1928年ガラス工場の主な労働争議一覧
特殊ガラス工場(静岡)1月 43名
塚本硝子工場(宮城) 5月 20名 仙台一般労組
浪花硝子製造所(大阪) 7月 60名 組合同盟総聯合
中央硝子工場(東京) 7月 100名 組合同盟総聯合
山爲硝子工場(大阪) 8月 150名 総同盟大阪合同労組
東明製壜工場(兵庫) 8月 54名 組合同盟総聯合
長上硝子製造工場(尼ヶ崎) 128名 総同盟
富田硝子製造所(大阪) 3月 69名 評議会系
酒井硝子製造所(大阪) 3月 34名 評議会一般労働組合
島田生子板工場 3月 28名 総同盟
野村硝子製造所(東京) 38名 東京一般労働組合
村松硝子工場(東京錦糸町)12月 53名(うち女性10名)
石原硝子製造工場(大阪)12月 53名 組合同盟大阪硝子工組合
大日本製壜株式会社(兵庫)10月 92名
日本労働組合同盟総聯合大阪硝子工組合1929年度大会における過去一年間の争議報告から(1929年9月20日) 出席代議員72名
(大会宣言)
「最近日本支配階級は労働階級を犠牲として日本の資本主義の再建を企画しつつある。・・労働階級の血と涙によって獲得し来たれる労働条件低下の憎むべき計画である。」
「全田中政友会内閣は馬車馬的に無産階級を弾圧したるものである。」
△徹底八時間労働制実施促進の件
提案理由
「・・・我々硝子工の如きは一日13時間も強制的に労働を強ふるものもある状態である。故に我々はまず当面の目標として労働時間短縮のため突進しなければならない」
(大阪硝子工組合大会報告 過去一年間における争議件数と結果)
争議件数 31件
勝利 27件
妥協 3件
惨敗 1件
(感想)
大阪硝子工組合だけの一年間でこれだけの争議件数。それもストライキ争議がほとんどだ。わずか一年で31件! しかも勝利解決が27件。ただただ驚くばかりだ。先輩ガラス労働者の心と体に、これだけの勇気と闘志があふれていた、労働者階級にはこれだけの力があることを示してくれている。私達が当たり前とする八時間労働制もこんな先輩たちの苦闘があってこそなのだ。
先輩たちの中央硝子工場争議と山爲硝子製造所争議を以下紹介したい。
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中央硝子工場争議
大同電気株式会社争議における中央硝子工場争議
反総同盟の日本労働組合同盟総聯合の大同電気争議は、工場閉鎖、田町工場150名という大量解雇攻撃をめぐる367名(162名が女性)の労働者が100名もの検束者をだし6名が有罪という大きな犠牲を伴いながら、1928年4月25日から6月17日までの53日間のスト持久戦を闘った。大同電気と同じ資本である中央硝子製作所争議(スト参加者93名)も大同電気争議の一つとして5月4日から6月30日まで果敢に闘われた。
大同電気株式会社(本社芝三田町)
田町工場
代々幡工場
大森工場
中央硝子工場(代々幡)
スト参加総数367名(うち女性162名)で、全員が反総同盟の日本労働組合同盟、日本機電労働組合に加盟。4月25日、会社が田町工場閉鎖と150名解雇を発表。5月3日、300名ストライキ突入。
(中央硝子争議団の要求)
「面会の自由、健康保険加入、衛生設備、年2回の定期昇給、休業中の日給半額支給」等
中央硝子工場争議団の檄文ビラ(1928年5月)
「檄
硝子(バルプ)労働者諸兄に檄す
鉄管くわえて年柄年中灼熱地獄と闘う我等が兄弟よ ! ・・・ 我等幡谷工場硝子従業員兄弟はここに起った。我等は正義の剣を握った !
資本家の不正は暴露した! 我等の諸兄よ公平な立場より我等が悲痛な訴えを聴け、同業労働者として我等が悲惨な闘いに耳を傾けよ!
中央硝子の工主◎◎という奴は幽霊会社を大同電気幡谷工場内に送り・・・マツダに売りつける算段で不要な窯を造り、吹方工や少年男女工その他の従業員を集めた吸血鬼のごとく・・・・我等の兄妹を売らんとしたのだ。・・・・イタイケな少年男女工を追い払い、一文銭はおろか日給の半日分を誤魔化したばかりではない。・・・奴らは儲けを私腹に肥やし一文でも多く・・・・奢りにふけりたい豚だ。奴らはしこたま儲けた金で妾や美衣美食だ。奴らこそ吸血鬼でなくてなんだ。
・・・糞 ! 今こそ我等が力を示す時だ。飢えるのは必然だ。勝利か死かあるのみだ。ここで負けたら全国の硝子同業労働者に対して面を上げることはできないのだ。最後までの斗争だ。兄弟よ血の続く兄弟よ ! 我等が泪を振って生活の為、家族の為起った。血を吐きながら叫び続けている。まけては諸兄たちにすまぬ。・・友誼団体の激励にすまぬ。
・・・
諸兄の援助こそ万人力だ。
勝たせてくれ !
餓死するまで斗う !
日本労働組合同盟総聯合 機電労働組合 硝子工支部
硝子工争議団一同より
昭和三年五月」
(会社糾弾連続演説会)
5月18日 南浜町サムライ倶楽部 聴衆100名 弁士16名(中止命令2名)
5月19日 幡ヶ谷大師市場 聴衆500名 弁士22名(中止命令10名)
5月21日 北蒲田梅宮館 聴衆300名 弁士11名(中止命令2名)
(大同電気争議団ビラ)
民政党代議士
本田貞次郎の醜状を見よ !!
千葉県市川町真間二十
大同電気がマツダランプと合併したので、田町工場の兄弟はいらなくなったので首をチョン切った。そのため幡ヶ谷・大森及資本系を同じくする硝子工場の兄弟五百名はゼネラルストライキを決行し、奴らと猛烈に闘っている。
彼は大同電気の社長でありながら解決しようとしないのだ。それに代議士の地位を利用して、成田、八日市場間の官営鉄道の・・をたくらみ、社会を欺瞞し暴利をむさぼらんとしているのだ。
七十にもなって妾は何人も囲っているといった調子で、一名トツカピン社長の名があり、カイゼル髯を妾に切り取られたという助平野郎だ。
奴らは国産奨励なんて俺たちをゴマ化し、コキ使っておきながら、奴らの都合が悪いといって俺たちの要求をあくまで蹴飛ばし続ける。
カカアや子供までもヒボシにさせられぬ。一かばちかだ !! 死ぬまでやるぞ !
負けてたまるものか !!
大同電気争議を勝たせろ !
代議士本多のテレ野郎を葬れ !!
1928年6月
大同電気争議団
(行商隊)
争議団は結束を強め町民の支持同情を得るために行商隊を組織し、5月21日より2人一組として「手拭」の行商隊が地元・町中に散り、争議の宣伝をひろげながら一日100円ほどの売上をあげた。
(警察の弾圧)
5月18日、工場長への傷害事件で争議団員を起訴。
5月19日夜、会社糾弾演説会の後、示威行動に出ようとした争議団10名が検束される。
6月10日、千葉県市川町の本多社長宅に闖入して暴行事件を起こしたと、翌11日争議団8名検挙される。
争議全体で争議団や組合同盟の総計100名もの大量検束と6名が有罪という大きな警察弾圧があった。
(会社)
会社側の総力をあげた争議団切り崩し攻撃が続く。しかし労働者の団結はかたく大森工場12名、代々幡工場8名の少数の裏切者スト破りが生まれただけだった。会社は解雇手当の増額回答を行い、またそれ以外の争議団の要求についてはほとんど認めると回答してきた。
(解決)
大同争議53日間ストライキは、調停課の斡旋により6月17日午後11時解決した。大同争議団の労働者は6月20日から就業についた。中央硝子製作所争議はその後6月30日まで闘われるが、中央硝子争議団も「面会の自由、健康保険加入、衛生設備、年2回の定期昇給、休業中の日給半額支給」等を会社がこれを容認したため6月30日争議は解決した。
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総同盟の山爲硝子製造所労働争議
大阪の株式会社山爲硝子製造所労働争議(1928年8月25日~)
8月25日会社は不況を理由として工場閉鎖と全労働者全員の解雇を発表。労働者90名は解雇を受け入れるが、総同盟の大阪合同労組の140名は26日より要求書を提出し争議に。山爲硝子争議団は大々的な宣伝ビラ情宣と一大示威行動を敢行。9月11日、大阪府特高課労働係長及び天満警察署長の調停により解決。
以上