先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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向島警察の検束につぐ検束! 本所業平の大日本自転車株式会社争議―1928年の労働争議(読書メモ)

2024年12月30日 07時00分00秒 | 1928年の労働運動


上地図・地域デモの予定コース

向島警察の検束につぐ検束!  本所業平の大日本自転車株式会社争議―1928年の労働争議(読書メモ)
参照・協調会史料
  ・日本労働組合物語 昭和(大河内一男・松尾洋)

向島警察の検束につぐ検束!  本所業平の大日本自転車株式会社争議

(241名中223名が組合加入)

本所中ノ郷業平の大日本自転車株式会社本所工場(民政党代議士、社長岡崎久次郎)で1928年3月30日全労働者241名中223名(男183名 女40名)が日本労働総同盟東京鉄工組合本所第二支部に加入した。

(7名の解雇)
労働組合を嫌った会社は、4月27日突如組合のリーダー7名を解雇してきた。7名は翌朝組合員全員と工場門から雪崩れこみ、構内事務所に押し入り抗議行動を展開した。総同盟東京鉄工組合の応援のもと工場付近に争議団本部を設置。会社は即座に組合をロックアウトしようと工場閉鎖休業を発表した。

(「セツルメント興望館」で争議団発会式)
4月29日、本所松倉町の「興望館」において争議団発会式を挙行した。会社内では以前から差別や不公平な賃金査定をする組長への排斥運動があった。この組長の排斥運動は一時は解決するかと思われたが、逆恨みした組長が労働者に敵対的横暴な姿勢を見せたことで労働者は反発し、組長の排斥運動は一気に組合結成となった。会社は組長に反省を求めるのではなく、逆に組合リーダー7名を解雇してきたのだ。

(更に13名を解雇)
会社は総力を挙げて組合切り崩しを行ってきた。5月2日にはさらに13名を解雇してきた。

(工場になだれ込んで抗議)
会社は工場正門を一人づつしか入門させないような設備をわざわざ作ったが、5月5日午前7時、争議団223名は全員で工場正門の「設備」を破壊して工場に怒涛のように雪崩れこむことに成功し、工場事務所に全員が押し入り不当解雇の撤回と会社の姿勢に抗議した。

(向島警察署の弾圧)
5月5日の抗議行動の現場に向島警察署が暴力的に襲い掛かり組合員6名を無理やり検束した。

(会社組合切り崩し攻撃)
会社と官憲の組合切り崩しと弾圧で、5月30日には争議団から脱落した者は約70名に達した。

(頑張る少年工や女性) 
しかし、少年工50名、女性40名、成年工50名、解雇者20名の160名はますます結束を堅く闘いを続けた。中でも少年工と女性の奮闘に会社はいらだち、今までの切り崩し対象を成年男性から今後は少年と女性に魔の手を伸ばすことを決定した。これに併せるように向島警察も示威行動を理由に新たに15名を弾圧検束してきた。

(行商隊)
不当解雇と闘う争議団は炊き出しを行う一方で野菜を販売する行商隊を組織した。地元住民は積極的に行商隊の野菜を買い、争議に声援を送った。行商隊は社長宅私宅周辺にも押しかけた。

(硫酸?事件)
向島警察は、6月6日に「硫酸事件」があったと、また12日には争議団員による社員への暴行があったと争議団員2名を検束し7日間拘留した。向島警察は行商隊にも弾圧をかけてきた。12日行商隊24名が本所区柳島電車終点に集合して、「行商隊」の襷(たすき)と「大日本自転車株式会社争議団」と書いた大旗を掲げ野菜を山積した荷車一台で会社方面に向かったとたんに、向島警察は、不当にも「示威行動」だとして争議団員を検束し拘束した。

(23名の検束弾圧)
6月14日から4回の労資交渉が開かれたが、18日に決裂した。これに怒った争議団約80名は、深夜工場周囲において示威行動を行った。向島警察は抗議する争議団員を襲い23名を検束し、6名を拘留した。

(工場へ投石)
6月22日午前1時争議団本部に宿泊していた約80名は突如、二手に分かれ、工場表門と裏門に押し寄せ、喚声をあげるとともに工場に向かって一斉に投石をはじめた。向島警察は争議団長など17名を取り押さえ、一名を拘留20日間、5人を拘留15日間とした。向島警察署巡査丸山桂司らが打撲傷を負わされた。

(会社糾弾演説会)
6月3日争議団本部において約250名(争議団150名、友好労組100名)の会社糾弾演説会を開催した。争議団佐々木団長ら29名が登壇し激しく会社を非難し、闘う決意を表明し会場をおおいにわかせた。向島警察の臨官警察は、8名もの「弁士中止」命令をだした。

(会社「争議団を脱退しないと除籍」と通知)
会社が「争議団を脱退しないと除籍する」との通知をだしてきた。
「5月21日に向こう一週間以内に争議団を脱退しないと従業員名簿から除き、会社の人でなくなるという通知をし、6月22日まで皆様の都合を考えて待っていましたが、6月22日までに脱退しなければ断固手続きをして除籍し開場の際も入門できない旨を特に御通知しましたが、貴殿は遂に会社の言う通りにしてくれませんでしたから、本日を以って除籍の手続きを執りました。従って本日から貴殿は会社との関係がなくなりました。右ご通知いたします。」
昭和3年6月
大日本自転車株式会社

(大デモンストレーション計画)

▲各支部同志は挙って参加せよ!
▲デモンストレーションだ!
▲示威行動だ!
▲工場を蹴飛ばし我らの陣営に参加せよ!
▲資本家を我らの前に戦慄せしめよ!
▲各支部はこぞって闘士を争議団に送れ!
東京鉄工組合本所第二支部
大日本自転車株式会社争議団

争議団は、7月1日に向島牛島神社の争議戦勝祈願と称する一大デモンストレーション計画した。会社を包囲しながら隅田川を渡り、浅草寺を回るなど地域を大きくデモをする計画だった。しかし、ここでも向島警察署は神社祈願名目の示威行動は認めないとして、代表10名のみでの牛島神社祈願文読み上げだけを許可してきた。

(左派の応援「統一戦線をもって資本の攻勢に抗せよ!」)
旧評議会系や組合同盟など地元の左派労組から何度も支援の申し入れがあったが、総同盟は体よく断ってきた。しかし、左派は、独自に主催した応援演説会を開催した。7月4日本所区柳島の帝大セツルメント講堂にて、江東地方労働組合協議会が主催した応援演説会が開催され、「統一戦線をもって資本の攻勢に抗せよ!」と檄を飛ばした。

(争議解決)
7月14日労資交渉で以下の合意が成立し大日本自転車争議は解決した。
覚書
一、解雇者20名中10名の復職
一、解雇手当の支払い
一、争議中の日給(2分の1)の支払い

以上


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