写真・日本労働総同盟京都聯合会ビラ「労働組合へおは入りなさい」
「請負」職人の決起! 兒島島友禅争議 1923年主要な労働争議③ (読書メモー「労働年鑑」第5集/1924年版 大原社研編)
参照
協調会資料(兒島友禅工場争議)
労働年鑑第5集/1924年版 大原社研編
「請負」職人の決起! 兒島友禅争議
兒島友禅は京都市内各所に工場を持ち労働者の総数は300名に及んだ。その内の東九條の一工場36名の職人は全員「請負」だった。
1923年12月5日、その「請負」職人30名は昨今の月収が少なく生活に窮したため、結束し「一、請負の単価平均2割の値上げすること、二、解雇手当制度を設けること、三、最低賃金を定める事、四、休業手当を支給する事(手持ち日当平均月収の三分の一を支給すること)、五、本件に関し犠牲者(解雇)を出さぬこと」を要求。その夜は、京都捺染友染工組合が演説会を開催した。
6日、工場主は単価1割の値上げを認めるのみで、他は全部拒絶したので、30名で労働総同盟京都連合会本部で会合しストライキの断行を決めた。ストライキは5日間に及んだ。このストを見て各所の児島友禅工場労働者も自分たちもストライキをやろうと呼び掛けたり、また市南部の同じ友禅や染物工場の労働者も集合しはじめた。
9日、30名と京都捺染友染工組合と日本労働総同盟京都連合会の組合員の約100名が大挙して工場に押しかけ工場主に回答を迫った。その結果、兒島友禅工場主から、新たな回答として、「1割5分」の提案があり、「一、工賃1割5分の値上げ、二、手待日当は5日以上となる場合は同手待手当を支給すること、三、解雇手当の制定、四、今回の争議参加者を絶対にクビにしないこと、五、工賃の最低額を一圓五銭と決めること」の協定が締結された。10日、全員が就業についた。今後労資で委員を出し、これからの労働条件を協議をすることとなった。30名全員が京都捺染友染工組合に加入した。
労働年鑑第5集は、この争議は小さい争議ではあったが、友禅・染物工場主に、「請負」職人による労働組合を承認させ、職人の権利を獲得した特筆すべき争議とまとめています。
(感想)
今2022年、全国の企業で実際は労働者なのに、あなたは請負だとされた「偽装請負」制度のもと多くの労働者が苦しめられています。労働者であれば当然労基法と労組法などの下で手にする権利が「請負」という一事業主(経営者)とされ、8時間労働制も、残業代も、深夜手当も、有給休暇も、週一の休みも、健康保険も、失業手当も、なにもかもが奪われ、いくらでも長時間酷使され、あげく不況だコロナだとなれば平気で仕事を与えず、その間は無給という有様です。勿論退職金も失業保険金もありません。病気になっても私傷病手当すらありません。
私は、100年前のこの兒島友禅工場の30名の先輩労働者の闘いに、心からの敬意を表します。東部労組でも残業代等を勝ち取った「名ばかり店長」(紳士服のコナカ)や派遣添乗員の「みなし労働」(阪急トラベルサポート等)の勝利の闘いの経験もあります。葛飾の「布亀」の牛乳配達労働者も請負だからと、有給休暇も残業代もなく、それどころか牛乳配達の車のガソリン代すら自腹を切らされていました。しかし、コナカも阪急トラサポも布亀も、みんなが立ち上がって東部労組に加入し闘って改善させました。現代の「偽装請負」「名ばかり管理職」・・・などで苦しんでいる労働者の皆さん、戦前の先輩たちに負けずに立ち上がろうではありませんか! ぜひ東部労組(03-3604-5983)に相談してください。