100年前(正確には99年前)の大阪の先輩ガラス工、製壜工のビラ
(大阪製壜所争議団ビラ)
硝子工、製壜工、諸君お互いに苦しいではないか。今の世の中では資本家は遊んでおっても段々富み栄ていくが、我々労働者は一生懸命に稼いでも夜の目も寝んと働いても相変わらず貧乏ではないか。労働者は情けないものだが、その中でも我々ガラス職工ほどみじめなものはありはしない。焼け付くような熱火の前で汗を流して皆が骨と皮になるまで親方に搾(しぼ)り取られたのだ。
道を歩いていてもガラス工は一目見て直ぐわかる程栄養不良に陥っているではないか。その上なお、不景気だ、そら機械ができたという調子でいつ首が飛ぶかわからない。
不安でならないので私たちは色々考えた。そして弱い私たちも団結すれば力ができる事を知った。すなわちガラス労働組合を設立したのです。そして去る十一日に会社へ、解雇手当、賃金値上、その他待遇改善について嘆願したのですが、会社はすぐ拒絶しました。
今まで私たちは、猫のごとくおとなしく働いた。けれども会社の役人が口先で親切そうにいっておったのは皆うそであった。もう我慢できない、大阪にガラス工場はたくさんあり、そこには私たちと同じく苦しんでいる兄弟のいる事を考えれば、どうしても奮起せなければならない、兄弟諸君、私たちは死ぬるまで戦ってみます。私たちの勝つと負けるとは全大阪市の兄弟の運命を決するものだと思うから。
資本家の暴戻勝つか私たちの正義が勝利するか、これから火花を散らすであろう。
兄弟よ親愛なる同志よ願わくば絶大なる同情と応援とをせられよ
西区西九條大阪製壜所争議団 事務所 北区西野田江成町二九二
1923年の大阪製壜所争議団のビラです。
〈焼け付くような熱火の前で汗を流して皆が骨と皮になるまで親方に搾(しぼ)り取られたのだ〉
〈不景気だ、そら機械ができたという調子でいつ首が飛ぶかわからない。〉
現代の、今の製壜現場、ガラス製造現場そのものではないか。
〈不安でならないので私たちは色々考えた。そして弱い私たちも団結すれば力ができる事を知った。すなわちガラス労働組合を設立したのです。〉
そうなのです。99年前も今も働く労働者は団結すれば力を持てるのです。
全国のガラス製造労働者、製壜労働者は立ち上がろう!