先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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深川の東京ロール製作所労働争議―1928年の労働争議(読書メモ)

2024年12月25日 07時00分00秒 | 1928年の労働運動

深川の東京ロール製作所労働争議―1928年の労働争議(読書メモ)
参照・協調会史料

深川区本村町の鋳物及びロール製造の工場、合資会社東京ロール製作所(代表者大谷米太郎)、労働者は32名、臨時13名の計45名で、労働者32名は全員組合同盟系の総聯合東京機械工組合深川支部に加盟していた。

*ホテルニューオ―タニ創業者大谷米太郎
ホテルニューオ―タニ創業者で、戦前の三大億万長者の一人と並び称された大谷米太郎。1919年に「東京ロール製作所」を作り、1940年には東京ロール製作所と大谷製鉄所が合併し大谷重工業となった。

(嘆願書)
1928年2月2日32名は、以下の嘆願書を会社に提出した。
嘆願書
一、勤続手当制度の制定
二、解雇手当の制定
三、退職手当の制定
四、皆勤賞制の創設
五、賃金の値上げ
六、徒弟に定期昇給制の創設
七、夜勤時間の制定
八、新工場に食堂設置

(サボタージュ闘争)
会社代表大谷米太郎は、この年1928年2月20日の総選挙に立候補するとかねてから表明していた。会社は労働者の嘆願書に対し、選挙終了後まで交渉は延期すると回答してきた。労働者は代表は自己の名誉心のみ満足させようとするのか、不誠意なりと怒り、2月4日からは、工場には出勤するも仕事はしないサボタージュ闘争に入り、工場内で労働歌、革命歌をみんなで高唱した。8日には「市民諸君に告ぐ」のビラを工場周辺に大量に配布した。

(全員解雇と工場閉鎖攻撃)
2月14日、大谷米太郎は労働者に警告書をだし2月15日からの出勤停止を決定し、選挙終了後不良分子を全員クビにすると決めた。総選挙3日後の2月23日、会社は全員解雇と工場閉鎖を発表した。労働者側は解雇通知を全員一括して会社に叩き返した。

(会社糾弾演説会)
2月25日午後6時から本所区亀沢町の亀楽座において地域の仲間約300名が参加して会社糾弾演説会が開催された。弁士9名が臨監警察官によって「弁士中止」による演説中断と争議団員が検束された。

(暴行事件)
2月27日、争議団は工場前で工場技師長と口論となった。直後に技師長は争議団から後頭部を殴打されたと告訴してきた。

(会社)
会社は相変わらず強硬姿勢で争議団との交渉を一切応じず、新たに雇った4名の職工と臨時工5名を使い作業を開始しはじめた。

(争議団の動揺)
争議団の中に会社と内通する者がでてきた。争議団の結束が乱れてきた。

*協調会史料では、ここまでしか記載がありません。この争議のその後の結末は不明です。

以上


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