生駒地方の百姓一揆「傘連判状」
〈諸君、まず第一に、俺たちは力を合わせることだ。
俺達は何があろうと、仲間を裏切らないことだ。〉
小林多喜二の小説「蟹工船」 (読書メモ)
小林多喜二の小説「蟹工船」より
蟹工船の水夫と火夫と漁夫300名がついにストライキに起ちあがって全員が甲板に集まった時の場面。
吃(ども)りの漁夫が、一寸高い処に上った。皆は手を拍(たた)いた。
「諸君とうとう来た ! 長い間、長い間俺達は待っていた。俺達は半殺しにされながらも、待っていた。今に見ろ、と。しかし、とうとう来た。
諸君、まず第一に、俺たちは力を合わせることだ。俺達は何があろうと、仲間を裏切らないことだ。これだけさえ、しっかりつかんでいれば、あいつらごときをモミつぶすは、虫ケラよりたやすいことだ。──そんならば、第二には何か。諸君、第二にも力を合わせることだ。落伍者を一人も出さないということだ。一人の裏切者、一人の寝がえり者を出さないということだ。たった一人の寝がえりものは、三百人の命を殺すという事を知らなければならない。・・・(「分かった、分かった。」「大丈夫だ。」「心配しないで、やってくれ」。・・・・
「俺達の交渉があいつらをタタきのめさせるか、その職分を完全につくせるかどうかは、一に諸君の団結の力によるのだ。」
・・・(略)・・・
「皆さん、私達は今日の来るのを待っていたのです。」
──壇には十五、六歳の雑夫が立っていた。「皆さんもしっている、私達の友達がこの工船の中で、どんなに苦しめられ,、半殺しにされたか。夜になって薄っぺらい毛布に包まってから、家のことを思い出して、よく私達は泣きました。ここに集まっているどの雑夫にも聞いてみて下さい。一晩だって泣かない人はいないのです。そして又一人だって身体に生キズのないものはいないのです。もう、こんな事が三日も続けば、キット死んでしまう人もいます。──ちょっとでも金のある家(うち)ならば、まだ学校に行けて、無邪気に遊んでいれる年頃の私達は、こんなに遠く…(声がかすれる。吃(ども)りだす。抑えられたように静かになった。)然し、もういいんです。大丈夫です。大人の人に助けて貰って、私達は憎い憎い彼奴等(きゃつら)に仕返ししてやることができるのです・・・。」
この後、この蟹工船300名のストに向けて、みなで「誓約書」を集める場面に続きます。
(誓約書、罰金、連判状)
戦前の労働争議の記録には、〈スト破り〉いわゆる裏切り者に関する記述があちこちに出てきます。例えば1919年の争議(「日本労働年鑑第一集」)でも、7月5日の横浜市の丸川運送店労働者80余名は3割増の賃上げを要求し、40名が6日からストライキに突入しますが、その中の部屋頭木村某ら10余名がみなで取り交わした誓約を破り裏切って仕事に入ったため、スト参加者は大いに憤慨し、裏切り者のいる貿易倉庫に押しかけて大格闘を演じたとあります。ストライキ敢行にあたり、事前に労働者同士が仲間を裏切らないという「誓約書」を交わしていたことがわかります。
中には、ストを裏切った場合は「罰金」を払うとした誓約書もあります。同年東京池袋岸飛行機製作所50余名では賃金5割増を要求して、7月25日夕刻よりストライキを行います。その時、職工たちは、「仲間を反盟(裏切り)した時は罰金200圓を出す旨の公正証書を作成した」とあります。
同じ7月の東京砲兵工廠。フライス工等数百名が臨時手当3割を本俸に繰り入れ、更に3割を手当として支給するように要求し、工場全員が署名したのに、本間某一人が従わなかったので、みんなで彼を袋叩きにします。本間はこれをうらみ、鑢、大やすりをふるい数名を負傷させ結局は会社を退職します。この数百名労働者の真剣さにあわてた当局が賃上げは8月より応分の処置をとると声明をだしてきます。
(百姓一揆の「傘」連判状)
室町時代や江戸時代の百姓・農民一揆でも互いに誓約した「連判状」が沢山残っています。傘連判という有名な署名を丸く並べ一揆の指導者だけを死刑にさせない、責めを負うのは全員だと全員が最後まで裏切らないで闘い抜く決意の表れでもありました。
(ストライキとは命がけ)
罰金など一見随分乱暴な話のようですが、江戸時代の磔(はりつけ)になる百姓一揆だけでなく、戦前のストライキも、小林多喜二が小説蟹工船で指摘した通り「たった一人の寝がえりものは、三百人の命を殺す」という命がけの闘いでした。それだけ必死であり、ひとりのスト破り、裏切りはそのまま争議団の敗北、全員の首切り、暴力団襲撃、官憲による検挙へと直結する重いものであったのです。にもかかわらず、戦前の先輩労働者は毎年4万から12万人という労働者が文字通り命がけでストライキに立ち上がっていったのです。
(大久保製壜闘争ストライキ)
私達も幾多のストライキを経験してきました。その闘いの最中に、ほんの少数でしたが、会社側の懐柔に騙され裏切っていった仲間がいました。闘いの中で何が辛いかと言えば、仲間の裏切り、これほど辛いことはありません。小林多喜二、蟹工船の「たった一人の寝がえりものは、三百人の命を殺すという事を知らなければならない」は実感としてわかります。あー、この人は本当に労働者の中に、労働者のストライキの中に入っていたんだなとつくづく思いました。
以上