先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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横暴な工場長排斥で47名労働者全員ストライキ! 日本建築工業株式会社労働争議 1925年の労働争議 (読書メモ)

2022年07月29日 08時00分00秒 | 1925年の労働運動

横暴な工場長排斥で47名労働者全員ストライキ!  日本建築工業株式会社労働争議  1925年の労働争議 (読書メモ)
参照 協調会史料(日本建築工業株式会社労働争議)

日本建築工業株式会社労働争議
(全員でストライキ)
 東京蒲田、鉄扉・鉄窓等製造会社の日本建築工業株式会社全労働者47名は、横暴な工場長を追い出すため、1925年9月4日から全員でストライキを敢行した。大阪にいる社長の代理として着任した高村工場長の着任早々横暴な態度と威嚇に労働者は全員猛反発した。8月27日には事実上のスト状態となった。しかも高村工場長は28日には、反工場長の急先鋒たる9名を解雇してきた。
 一方労働者は、東京鉄工組合蒲田第二支部を組織し、47名全員が加入した。

 9月4日午前7時、労働者は全員ストライキを決行し、「声明書」を会社周辺の住民に配布した。

(声明書)
「・・・恐ろしき工場長
 諸君!  高村氏なる者は、最近浦賀ドックにおいて良からぬ行為で解雇された人物で、会社に来るや自分の友人と称し、仕込の如き棒を持った男10数名を工場に連れてきて、示威的行動で職工を威嚇し、従業員が憤慨するや、直ちに2日間の臨時休業を宣じ、従業員を生活苦に陥れ、我意を通さんとした。9月2日・・多くの人夫を門前に動員し、職工9名を解雇してきた。また、もし従業員が騒ぐことがあれば、暴力をもって処断せんとした。・・・・。
 諸君我々は現在の社会の暴虐なる資本家、無謀なる工場長の下では安心して働くことができないのである。故に我々は余儀なく罷業を宣し、我々の正義と誠意が貫徹するまで戦うことを声明し賢明なる市民諸君の同情を仰ぐ。
 単に職工のみでなく、組長、職工長、工場専務も同意見であることを付け加えておく。
       一九二五.九.三
       日本建築工業株式会社従業員一同
       争議団本部蒲田新宿五七五
       日本労働総同盟東京鉄工組合蒲田第二支部」       

(スト破りとの闘い)
 9日、会社はスト破り要員として臨時工32名を雇いいれた。11日午前6時、47名は、スト破り臨時工の出勤を阻止すべく、工場を占拠し工場の門を閉鎖、入口でピケをはった。あわや労働者とスト破り臨時工との衝突となったため、会社は臨時休業を宣言した。関東同盟松岡駒吉らも応援に駆け付け、応援部隊は工場前で炊き出しも行い、こうして労働者側は工場の内と外で呼応し気勢を挙げた。高村工場長は松岡らに会見を申し入れた。しかし、高村工場長は「解雇した者9名の撤回は絶対にしない」と表明した。松岡は「今回のストは、待遇改善を目的とするのではなく、あくまで高村工場長排斥である。原因を作った高村工場長が責任を負うのが当然ある」と主張した。
 
 12日、所轄の蒲田警察署は応援幹部リーダーの原らを署に呼び、工場退出を説得し、「解決するまでは双方が工場に入らない」を条件に午後4時に工場を退出した。13日、労働者と応援部隊が蒲田駅で示威行動を行い、警官隊と衝突し、その場で39名が検束された。

(激昂した応援リーダーが社長を突き飛ばし検挙)
 15日、大阪から社長が上京した。16日、社長と労働者の交渉が実現した。社長は解雇撤回は頑として拒否した。労働者側は解雇された者以外の38名全員の総辞職の意向を示した。激昂した応援幹部リーダー原がその場で社長を突き飛ばしたため、原は即座に検挙されてしまった。松岡と会社側が折衝した結果、会社は、「解雇された者以外の工場復帰を認める。労働組合の存立は自由だが、団体交渉は絶対に認めない」と表明した。松岡は会社回答を受け入れるよう労働者側を強く説得したが労働者側はこれを拒否したため、再び争議が開始された。

 17日、会社はスト破り臨時工を工場に入れた。東京鉄工組合は、蒲田警察署の「解決するまでは双方が工場に入らない」の条件を信じて工場を退出したのに、約束違反だと蒲田署を強く糾弾し、総同盟本部は「前線同志会」の動員指令をだし、多くの闘士が駆け付けてきた。

(終結)
 9月26日、応援リーダー原が検挙されて以来、労働者側の結束が乱れてきた。9月24日、東京鉄工組合幹部は高村工場長と面会し、「争議団解散費用2千円」を申し入れた。高村は会社としては出せないが、自分個人から200円を提供すると答えた。鉄工組合幹部は「2千円でなければこの争議は解決しない」と言い、工場長は更に500円の回答をした。最後に労働者側もこれを受け入れて本件争議は終わった。
 解雇された者は解雇手当など受け取り、また会社は総辞職した38名の内20名のみの再雇用を認めた。



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