先輩たちのたたかい

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関東出版労組1万人怒涛の連帯ストで、印刷11社巻き返し協定を完全粉砕! 1925年の労働争議 (読書メモ) 

2022年08月01日 07時02分29秒 | 1925年の労働運動

関東出版労組1万人怒涛の連帯ストで、印刷11社巻き返し協定を完全粉砕! 1925年の労働争議 (読書メモ) 
参照「日本労働組合物語 昭和」大河内一男・松尾洋著
  「ファシズム下の労働運動」日本労働運動史 田中勝之・鎌倉孝夫編
  「協調会史料」1925年印刷・出版争議
       「日本労働運動年表第一巻明治大正」青木虹二著
       「日本労働年鑑」第7集1925年版 大原社研編
  
印刷11社相手に怒涛の連帯スト
参照「日本労働組合物語 昭和」大河内一男・松尾洋著
  「ファシズム下の労働運動」鎌倉孝夫著
  「協調会史料」1925年印刷・出版争議
       「日本労働運動年表第一巻明治大正」青木虹二著
*なぜか労働年鑑第7集ではこの画期的な「評議会・関東出版労働組合11社ゼネスト」大争議が全く報告されていない。「労働争議 五 雑工場」一覧表の中に各社争議名が出てくるだけ。
(関東出版労働組合の闘い)
 1925年(大正14年)、評議会に属する関東出版労働組合1万人。10月12日、凸版印刷本所工場が全労働者100人にたいして関東出版労組から脱退しますとの誓約書を書かせようとした。抗議する組合幹部に、井上源之丞社長の雇った暴力団が暴力をふるい怪我をさせた。この挑戦に怒った組合は「暴力団放逐」その他の待遇改善の要求を提出しストライキに突入した。会社側はただちに「全員解雇」の挙にでた為、当初は組合側が苦戦を強いられたが、最後には会社が組合側の要求を飲み、組合側の全面的勝利となった。
 
 勝利の波に乗った評議会・関東出版労働組合は、続いて11月2日、小石川の精美堂印刷所に戦場を移した。精美堂印刷所の組合員550人は「最低賃金制」「定期昇給年2回」「夜業手当の割増」など9項目の要求を提出するも、11月3日の会社の回答は、まったく組合の意向を無視するものであった。組合はただちにストライキの準備をするとともに翌日から全面的なサボタージュ闘争を開始した。

(連帯スト)
 この報が伝わるや評議会・関東出版労組の博文館1600人、日本書籍400人の労働者は11月5日夕刻から工場内で連合従業員大会を開催し、満場一致で精美堂印刷の争議支援を決議し、翌6日からサボタージュ闘争に突入した。博文館では「場合によっては最後の手段を辞さぬ」との連帯ストライキをも構える決議文を大橋社長に突きつけた。おどろいた大橋社長は、じぶんの工場の待遇を改善し、同時に、きっかけとなった精美堂印刷の経営者に争議の早期解決を申し入れた。こうして精美堂も労働者の要求を受け入れ、組合は全面勝利した。日本書籍でも「請負制度の撤廃」なと、ながい懸案事項も一挙に解決した。

(日清印刷会社750名のスト)
 11月24日、日清印刷株式会社の労働者750名が、評議会・関東出版労組の指導で「最低賃金制」「夜業割増」等7項目の要求を会社に提出した。会社はこれに対して、26日、工場閉鎖で応えてきたため、争議団を結成し、ストライキに突入した。

(資本の巻き返し11社協定)
 日清印刷会社は11月28日会見を行い、「29日午後4時までに出社届を出さぬ者はクビする」と通達した。また、この会見に立ち会った秀英舎の杉山社長は、
「東京印刷業界の秀英舎、凸版印刷、博文館、東京印刷、三秀舎、三省堂、築地活版、小島活版、精美堂、日清印刷、富士印刷の11社は、同一賃金制をとることを協定し、その中身は12月に発表する」と声明した。
 
 日清印刷争議団は、会社が組合幹部の解雇をしてきたため、ストライキを続けた。
 
 12月1日に発表された11社協定は、特別手当を廃止して日給の単一制度とし、臨時休業の際は無給にするというもので、すでに獲得された博文館、精美堂、日本書籍などの賃上げを白紙にするという資本家側の完全な巻き返しであった。

(印刷労働者の総決起と勝利)
 評議会・関東出版労組は全印刷労働者の総決起を訴えた。12月3日朝、秀英舎の印刷労働者1300人が「最低賃金制」などの要求でストライキに突入した。続いて翌4日、富士印刷東京印刷三秀舎の労働者もストを決議し、続いて5日、6日には築地活版・凸版印刷東京印刷などでサボタージュ闘争が開始された。博文館精美堂中尾印刷なども連帯ストの構えを見せた。ゼネストであった。

 東京の印刷11社協定は、関東出版労働組合による続出するストライキを根絶させる目的で、経営者・資本家側が結託したものであったが、各社にこれだけのストライキの火の手が上がるや、たちまち11社協定は崩れ出した。8日、秀英舎日清印刷は11社協定を放棄して労働者側の要求を受け入れ、続いて他の会社も協定を撤回したり保留にし、争議団の要求を受けいれた。こうして、東京における印刷労働者、印刷・出版産別の初任給の最低賃金制度が、男性1円30銭、女性80銭として初めて確立した。評議会・関東出版労働組合の組合員数も一気に拡大し、1万人を越えた。

(大阪でも印刷労働者が決起)
 11月、評議会・大阪印刷労働組合加盟の啓文舎の労働者は、賃上げ、待遇改善を要求して立ち上がった。この闘いを評議会など約50工場の印刷労働者の応援で、賃上げ、定期昇給、解雇・退職手当の制定、深夜業廃止などを勝ち取った。続いて高野印刷所に争議が起こったが、評議会系、総同盟系を問わず大阪160の印刷工場の労働者代表が集まり「工場代表者会議」を開き、「高野印刷所争議の応援」「臨時休日の給料全額支払い」「印刷産業労働組合の全国的合同促進」など8項目を決議した。高野印刷所争議は会社が倒産して、解雇手当で解決したが、「工場代表者会議」の戦術は、その後、評議会が全国各地でしばしば採用した。

(翌年早々、出版・印刷資本再び大巻き返し攻撃)
 博文館と精美堂が合併し、2,300名の「共同印刷会社」が設立され、翌年1926年1月大橋新太郎社長は、労働組合に対して早々に大巻き返し攻撃を仕掛けてきた。徳永直の小説『太陽のない街』で有名な共同印刷大争議が勃発する。

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全国の印刷労働者の決起! 1925年の印刷・出版業界の争議
①労働年鑑第7集「労働争議 五 雑工場」より抜粋
日清印刷株式会社(東京)  スト参加者数750人
榎本法令館印刷工場(大阪)
小島印刷所(東京)                         170人
神戸印刷工株式会社(兵庫)                       20人
有隣印刷所(東京)                           31人
三省堂印刷紙取人夫(東京)                    40人
東京製本株式会社(東京)                     70人
精美堂印刷(東京)                         550人
萬月堂印刷(東京)
桃谷印刷工(大阪)                        50人
凸版印刷・本所工場(東京)                     100人
京屋印刷所(東京)     
高野印刷(大阪)      
秀英社印刷工(東京)                   1300人
岩手活版(岩手) 

 ②「日本労働運動年表第一巻明治大正」(青木虹二著)によると、この年の印刷・出版業界の争議は全国でなんと77会社もある。
名古屋印刷会社(名古屋)                                          スト参加者数 100人
岩手日報社印刷工(盛岡・監督者排斥)                30人
榎本法令館印刷工場(大阪・賠償の責任転嫁反対)1/11~14              15人
函館毎日新聞社印刷工(函館)
三秀舎印刷所(神田)2/4~15
霊岸印刷所(深川)2/10~13
彦文社印刷所(大阪西区)解雇反対ストライキ、妥結 2/12~20     13人
茗荷谷印刷所(小石川)
信濃民法社印刷工(松本)                                         8人
小島印刷所(品川)賃金制度の改正要求 3/3~9                              170人
吉岡印刷所(大阪西区)解雇反対 3/3~7                                          60人
民友社印刷所(東京市)3/6~7
内田印刷所(東京市)
肥前日日新聞印刷工(佐賀市・請負印刷料金支払い遅延で闘争。4人解雇)3/16~17  18人
鮮明社印刷所(京都・10余名の解雇撤回要求)
朝日印刷所(東京市)4/21~28
函館毎日新聞社印刷工(函館)4月と6月 争議で一週間の休刊          37人
高橋印刷所(兵庫)5/2~10
大阪毎日新聞社工場印刷工(大阪北区・解雇反対)5/6~31           103人
東洋マッチ印刷所(神戸)5月
中谷凸版印刷所(東京市)5/11~18
有隣印刷所(小石川・会社解散の解雇手当要求)5月                35人
土佐紙会社伊野工業部製紙工(高知)5/23~28
神戸印刷会社(神戸・3人解雇)5月                                                       22人
文革製紙工場(東京)5/30~6/3
雲昇堂印刷所(大阪住吉・工場閉鎖、解雇予告手当)6/1~19 
米田号印刷所(大阪西区・賃上げ、待遇改善)6/3~16
朝陽印刷所(有楽町)6/4~11                                                   25人
金子製本所(東京)6/7~27
三省堂印刷所(東京荏原・最低賃金、定期昇給要求)                         40人
中国製紙工場製紙工(高知・賃金1割カット反対)6/15~23                110人
三島印刷所(大阪西区・組合加入で解雇)6/26~7/7 
王子製紙会社王子工場製紙工(豊島・組合幹部の解雇反対)6/26         80人
精文社印刷所(大阪・西区。1人の組合員への解雇反対)6/30~7/1     22人
東進堂印刷所(京都・解雇反対)6月と7月
広村印刷所(大阪西区)6/1~2                                                           10人
田平印刷工場(荏原・8時間制、公休、解雇手当要求)7/4~7              15人
余部印刷所(大阪浪花区・工場閉鎖反対)7/5~15 39人
東京製本会社(神田・待遇改善要求から職長を殴る)7/11~9/5          73人
名古屋印刷会社(名古屋)7/15~18                                                   100人
精美堂印刷所(小石川・職工長排斥)8/1~4                                      249人
岡本印刷(大阪西区解雇反対)8/1~16 1人
相模中央新聞社印刷工(神奈川)8/7~9 
二松印刷所(東京市)8/10~20 
東京製本会社制本工(東京市・再発)8/12                                          58人
沼津印刷所(沼津・待遇改善)8/21~9/1                                         16人
日清印刷会社(東京牛込・賃上げ)8/27~9/4                                   120人
富士製本工場(東京市)8/31~9/5 
辻本印刷所(京都・臨時休業反対)8月
万月堂印刷所(四谷・不当な弁償に反対)9/1~26                  65人
田平印刷工場(東京荏原・工場閉鎖との闘い)9/20~工場主宅に押しかけ、警官隊と衝突 30人
三益商会印刷所(東京市)9/14~19
桃谷印刷会社(大阪東成区・賃上げ)9/17~21                 37人
万朝報社印刷工場(京橋・解雇撤回)10/7~10                                    80人
京屋印刷所(京橋・解雇反対)10/8~20 社長宅に押しかけ乱暴         30人
凸版印刷会社本所分工場(本所・解雇復職要求)10/17~30             100人
南海新聞社印刷工場(愛媛)10/20~23
本社印刷所(東京市)10/21~25
中央新聞社印刷工場(東京市)10/31~
精美堂印刷所(小石川・待遇改善)11/2~6 11/16~26            500人
東京台紙会社(本所)11/3~5
東京書籍会社印刷工(小石川)11/10~16
高橋板紙会社板紙工(高﨑)11/12~13 
HB特許製版会社(東京市)11/17~20
高野印刷所(大阪西淀川・賃下げ反対)11/17~12/1             42人
啓文社印刷所(大阪南区・賃上げ)11/17~18 56人
常磐印刷所(小石川)11/19
日清印刷会社(牛込区・最低賃金の制定要求等)11/25~12/9          604人
三有社印刷所(大阪西区解雇手当)11/28~12/7
秀英舎印刷工(東京牛込区・賃上げ)12/3~9                   1124人
野阪印刷所(大阪市東区・賃上げ)12/3
富士印刷会社(小石川)12/4~8
ラジオ新聞社印刷工(大阪)12/6 
東京紙器会社(小石川・3人解雇と10余人の逮捕)12/7~19
岩手活版印刷工(盛岡)12/9~12 
共同印刷会社(小石川)12月末から争議が起き、翌年1/20~58日間大ストライキ  2,300人



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