全国を震撼させた小樽港湾ゼネスト(その2) 兄弟よ! 同じ労働者でありながら、どうしておれ達のストライキの邪魔をするのだ!(裏切り者撃滅デー) 1927年の労働争議(読書メモ)
参照 「日本労働年鑑第9集/1928年版」大原社研編
「協調会史料」
「北海道社会運動史」渡辺惣藏
「日本現代史5」ねず・まさし
(上・6月30日「裏切り者撃滅デー」のビラ)
ストライキの勝利は近づいたぞ!
旅費と賃金を
請求して国に帰れ!!
兄弟よ! 同じ労働者でありながら、どうしておれ達の
ストライキの邪魔をするのだ!
お前たちはきっと何も知らずに小樽にきたのだろう!
だが多くの兄弟はもうおれ達の邪魔をしな
いで帰国しているぞ!
おれ達が勝てば、お前たちもヨクなるのだ、仕事を止めて
早く国に帰れ!
争議団の勝利は近づいたぞ!
賃金と帰国旅費を親方から取れ!!
六月卅日
小樽港内労働総罷業団本部
1、資本・官憲のゼネスト攻撃と軍隊を動員してのスト破り
ゼネストの成功に動揺した小樽港資本家陣営は、6月18日、8つの企業の合同をはかり、また官憲は、小樽署、水上署の総動員に加え、札幌署からも多数の警官隊がゼネスト弾圧のため派遣された。21日午前3時、警官隊は争議団の寝込みを襲い鈴木源重、近藤栄作ほか45名を小樽署に、3名を水上署へ検束した。露骨な大量検束のゼネスト攻撃であった。20日には、海軍救護隊の各司令によって海陸救護班9個隊約200名を召集し、海上の警戒及び定期船の詰め込みなどに動員した。また小樽在郷軍人150名に荷役をさせた。軍隊の命令動員によるスト破りであった。
2、連日、現場代表者会議の開催
小樽合同労組が中心となる港内艀(はしけ)現場代表者会議が連日ひらかれ、各現場労働者の統一要求が討議された、
要求
一、賃金の割り引き絶対反対!
一、勤務時間を10時間に!
一、公休日の設定!
一、掛船夜間勤の歩合増撤廃絶対反対!
一、水揚げの公表!
を決定し、また評議会本部と労農党本部に応援闘士の派遣や支援要請と闘争基金を緊急懇請した。22日、労働農民党本部や青森・仙台からはすぐに応援に行くとの電報が届き、評議会本部からは闘士が相次いで応援に駆け付け小樽港に潜行した。
3、北海タイムス(現在の北海道新聞)連日の争議同情の記事
23日から北海タイムスが連日、争議発生の必然性を説き弾圧の理由がないことをのべ、過酷な労働条件の改善こそ必要だと力説し、資本家や当局の反省をうながした。あわてた小樽商工連合会は新聞社に抗議した。それほど世論はゼネスト応援が昂揚していた。
4、石山事件 市民千名と警官隊の激突
23日1時から300余名の争議団家族の集会では、正木ミツ(のちの正木清代議士夫人)が登壇した。その真剣なアピールは悲痛を極め満場息をのんだ。争議団と家族は、ますます闘う決意を固めた。あせった官憲は、その夜8時石山町に集合した争議団約300名に直ちに解散しろと命じ、警官隊は争議団員1人を錦町交番に暴力的に引きづり込んだ。それをみた300名の争議団は仲間を奪い返えそうと錦町交番を包囲した。小樽署から急遽30名の警官隊がかけつけた。怒った争議団とそれを応援する約1000名の市民・労働者が警官隊や交番に投石をはじめた。交番は破壊され、警官5名が負傷した。道庁より特高課長、札幌署からも多数の警官隊が駆け付け、労働者20名が検束され、そのうち8名が起訴され刑務所に収監された。「石山事件」といわれている。
5、「裏切り者撃滅デー」スト破りとの闘い
小樽港の資本、各雇用主は全国の港でスト破り(スキャップ)を雇い小樽港に送り込むスト破壊や争議団への暴力的切り崩し攻撃も始まった。各現場ではスト破りとの闘いが果敢に繰りかえされた。その都度水上署の警官隊との乱闘がおきた。6月30日「裏切り者撃滅デー」とする大示威行動を行い、スト破りを跳ね返し、争議団の団結を強めた。「裏切り者撃滅デー」では2名の無産青年同盟会員が検束されている。
(6月28日ビラ)
八つ裂きにしてもたらぬ 裏切り者の撃滅を宣言する!!
我が総罷業団のどこに無理な要求があるか?規定賃金といい、時間の問題といい、我々の要求が最も正しい事はあらゆる新聞もすべての市民諸君もこれを認めているのだ。
だからこそ、我が総罷業団に対する支持と、応援と、同情とは日ごとにふえるのだ。
それにもかかわらず同じ労働者でありながら目先のはした金にだまされて総罷業を裏切る奴らは八つ裂きにしても足りない獅子身中の虫とはこれの事だ。
総罷業の勝利は全労働者の勝利でとりも直さず全労働者の生活
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第一回 裏切り者撃滅デーを見よ
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を向上し改善する事によるのだ、これを裏切る奴らは自分の首を自分で締める奴らだ。ゆえに我総罷業団は全労働者の勝利のために幸福のために、今や断固としてこの裏切り者を撃滅することを宣言する。
裏切り者に対してはもとより、裏切りをする奴、いやがる労働者を無理やりに仕事につかせる奴らも、我々はもう容赦はしない、我らが一番適当だと思う手段によって一切の裏切り者を徹底的に撃滅する三十日の朝、全罷業労働者の鉄のごとき結束によって行う。
第一回裏切り者撃滅デーは何を行うか、この威力を見よ!
6月28日
小樽港内総罷業団本部
6、右派による争議妨害
社会民衆党第一支部と同系の小樽労働倶楽部は、共同声明を発表して、「この問題(小樽港湾ゼネスト)には別個の意見を有し、且つ共同の行動を執ること能わざるにより」「総罷業に対し中立的態度を執る」とした。
また、小樽港に在港していた汽船14隻の海員も小樽ゼネストに呼応してストライキに立ち上がった。日本海員組合は従来からストに反対してきたが、とりわけ先の3月3日全国の港で勃発した大型客船・貨物船55隻、海員1,600名のろう城闘争による未曾有の海上大ストライキの時も妨害し、労働者から糾弾されている。
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/b33d87eb86a8072e23b65176f7e99e46
海員組合は、今回も汽船14隻の海員にスト中止を命じてきた。しかし、海員は応じない。ついに水上警察が介入し、その圧力により14隻の海員は降伏させられた。この時14隻のストを主導した海員刷新会は海員組合を除名させられた。(「日本現代史5」ねず・まさし著)
反動団体、右翼の手宮一貫同志会や小樽中心会が、ゼネスト反対のビラを市内各所に張りまわした。6月29日にはある親方の用心棒で柔道二段の五十嵐某が争議団に殴り込みをかけてきて、あべこべに争議団から袋叩きにあった。社会民衆党系の小樽労働倶楽部は争議解決後にもゼネスト批判演説会をひらき、ゼネストをこき下ろしたことで聴衆全体からヤジと怒号が巻き起こり、ついに聴衆2名が検束されるほどであった。
これら右派の妨害への闘いとして争議団は「裏切り者撃滅デー」の示威行動で迎え撃ったのであった。
(続く)
全国を震撼させた小樽港湾ゼネスト(その3) 全市民的大衆闘争 1927年の労働争議(読書メモ)