写真・「大正震災志上下」内務省社会局発行1926年2月
関東大震災から3年後の1926年(大正15年)2月に内務省社会局から発行された「大正震災志」が、ひょんなことから偶然手に入った。内務省と言えば警察だ。最初の「図表」はカラーで、他に付属の「附図」には、関東戒厳警備部隊配置図や憲兵隊配置図などが20図ある。
冒頭の、震災から11日後大正12年9月12日付け「御名御璽」の「詔(みことのり)書」に、「流言蜚語盛ニ傳ハリ人心洶々トシテ倍々其ノ惨害ヲ大ニラシム」と「厳ニ流言ヲ禁遏シ民心ヲ安定シ」と二回も<流言蜚語>が出てくる。これだけでも、いかに<流言蜚語>(による朝鮮人迫害や虐殺)がただごとでない、すさまじいものであったか伺いしれる。
今後、内務省=警察が関東大震災時の朝鮮人虐殺をどう書いていたか読み解きたい。ざっとみた範囲では、<流言蜚語>については詳しく書いていて、朝鮮人への各地での迫害・事件には触れているが、殺害の事実や殺された人数は記録として書いていないようだ。大杉栄一家虐殺事件には遺憾だったと一行だけで終わらせ、亀戸事件については今のところどこにもみつからない。どれもあり得ない話だ。当時の特高や警察の報告や記録ほど詳細に残しているところはない。労働組合や労働争議に関する記録を例えば「協調会史料」の中の特高や警察官により書かれた「労秘第何号」で知れば知るほど呆れるほど詳細だ。これほど書くか報告するかと思うほどだ。その警察が、朝鮮人殺害の数も場所も全く記録していないなどあり得ない話しだ。
とにかく<流言蜚語>に関する記述が多いようだ。すべてを<流言蜚語>のせいにして、つまり民衆だけのせいにしようとしているのが、見え見えだ。これから時間をかけて読むつもり。目はかすみ頭はボケて大変だけど挑戦する価値はあると思う。