先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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「大正震災志」に見る各警察署自身が拡げた流言蜚語の数々 読書メモ(その二)

2023年08月11日 07時00分00秒 | 1923年関東大震災・朝鮮人虐殺・亀戸事件など

上・「関東大震災絵巻」の一部

「大正震災志」に見る 各警察署自身が拡げた流言蜚語の数々 読書メモ(その二)
参照・「大正震災志」内務省 社会局編 大正15年2月28日発行

各警察署自身が拡げた流言蜚語の数々

第二編 東京市
「又二日から流言蜚語のために、更にだにいらだっていた神経をいやが上にも昂奮させ、戦々兢々の状態であった。」383ベージ

自警会より発行する雑誌自警第五巻第五十一号より
「流言蜚語に関してはいづくより伝わったか、固より混乱の当時からあったから、甚だ確かでないが、此に警視庁内自警会より発行する雑誌自警第五巻第五十一号より『不逞鮮人襲来の飛報』と題する一項を抜粋して、姑らく当時の事情を推察するよすがとする。・・・・・・しかも『更に強震あるべし』及至『津波来る恐れあり』『不逞鮮人襲来す』等の流説盛に行はれ、人心の動揺その極に達す。・・・・・。」383ページ

「本日(九月二日)午前中より昨日来の火災は多くは不逞鮮人の放火に依るものなり、若しくは不逞鮮人不穏の計画を策しつゝあり等の風説道塗に盛んに喧伝せらるゝに至るも、未だ確報に接せざるを以て、浮説益々甚しく、各所に於いて内鮮人間に争闘を惹起しつゝありとの報を受くるに至り、午後三時頃、富阪署に於ける暴行放火鮮人数名検挙せるの報に接す。官房主事、同署に急行す。」383ページ

「之と殆ど同時刻頃より、神楽坂署其他より不逞鮮人放火の現場を民衆が発見し、之を乱打しつゝあり、或いは井戸に毒薬を投入せるを発見追跡中なり等の報告あるに至る。」383ページ

「次で午後四時頃大塚署より特使を以て、『只今不逞鮮人大塚火薬庫襲撃の目的を以て同火薬庫付近に密集し来りつつありと人民よりの訴に接す。万一に備ふるため、至急応援派遣を乞う』旨の通報に接し、事態容易ならざるを認め、不取敢同署より司令部に召集中なりし警部補巡査十五名を同署に帰還せしめ、尚此旨戒厳司令部に通報したり。」383・384ページ

「玆に於いて司令部は鮮人に対し、厳重警戒を要すと認め、同五時各署に対し鮮人の行動を警戒すべき様命令を発せり。」384ページ

「鮮人不逞の挙に次で、放火其他強暴なる行為に出づるものありて、現に淀橋・大塚等に於いて検挙したる向きあり、就ては此際之等鮮人に対する取締を厳重にして警戒上遺算なきを期せらるべし。」384ページ

渋谷署長、世田谷署長、中野署長、品川署長
「同六時頃に至り渋谷署長より、『銃器凶器を携へたる鮮人約二百名、玉川二子の渡を渡りて、市内に向かって進行しつゝありとの流言あり』次で世田谷署長、中野署長よりも同様流言に関する報告あり、之に遅るゝ約十分にして、品川署長より、『人民よりの訴へに依れば、銃器を携行せる鮮人約二百名、仙臺坂に現はれ、熾(さかん)に暴行掠奪を逞うし、自警団と交戦中なりと、署長は万一を警戒するの為に署員を率いて同方面に向ひつゝあり』との報あり。」384ベージ

愛宕署、錦町署、西神田署、新場橋署、北紺屋署、四谷署、神楽坂署・・・
「或いは目黒火薬庫付近にも数百の鮮人現れ、軍隊と対戦中なりとか、或いは四谷に於いて爆弾を投下せる鮮人を逮捕したりとか、或いは玉川沿岸にて民家を焼き払いつゝあり、其他随所に拳銃刀剣を携帯せる鮮人現はれ危険此上なしとの流言の飛報あるのみならず、犯人として鮮人を司令部に逮捕引致するも頗る多く、日比谷方面に於いても『不逞鮮人と覚しきもの出没し丸の内避難者中に多数潜入の模様ある』旨の流言に接し、渋谷・世田ケ谷・品川等の各署に対しては万一事態容易ならざる場合に至らば、署員を集中して沿道を警戒すべしを命じ、尚愛宕署外数署に対してもかなり署員を散乱せしめず、要所に集中して万一に備ふべきを命じ、尚錦町・西神田・新場橋・北紺屋の署員を召集し、丸の内一帯の警備及各方面への警戒応援に充当せしめ、同時に司令部に応援として召集したる、四谷・神楽坂署員も亦其署に帰還せしむ。」384・385ベージ

「未曾有の大惨害に逢着し、関東一帯の交通全く途絶し、電燈はなく、真に暗黒なる帝都に於いては随所より至る流言蜚語も時として真理のごとく人の心理を支配し、又流言蜚語に対しても之に対する策を講ぜざるを得ざる実情なりし。」385ページ

「同七時頃、地震再来、鮮人襲来の流言多く、人心恟々として丸の内・日比谷公園付近の避難民は第二の避難地を求むべき大混乱の状にあるの報に接したるを以て、巳に多数の軍隊出動し居ることなれば危険なきを以て安静すべき旨極力宣伝に努む」385ページ

*感想
 各警察署長や各警察署が上のようなありもしない朝鮮人暴動説をまことしやかに伝達・報告しあい、自ら組織し武器まで渡した自警団に伝えた結果が、「朝鮮人・中国人大量虐殺」であった。
 何故警察自身がこうも易々と「流言蜚語」を信じ流したのだろうか。それは官憲自体が長年、弾圧・監視・取締りの対象としていた労働運動、社会運動、反植民地闘争、朝鮮民族等々への敵視・抑圧・差別があり、警察自身が何より日頃抑圧していた民衆の決起(復讐)を死ぬほど怖れていたからこそ、警察が流言蜚語をたやすく信じ、むしろ積極的に流したと思う。

 また、国内における朝鮮民族への抑圧以上に、朝鮮本国における日本による非道な植民地政策と朝鮮民族の3.1運動などの決起とこれに対する日本軍の残酷な武力弾圧や治安維持法に代表される反革命弾圧思想こそが、「朝鮮人・中国人大量虐殺」「亀戸事件」「大杉栄一家虐殺事件」「朴烈事件」等の大きな背景だと思う。

 この時、日本のすべての知識人も労働運動も共産党も社会運動も学生もキリスト者も総力を挙げて、震災時の「朝鮮人虐殺」問題こそを、日本民衆の労働者階級のなにより優先する闘争課題として、研究して研究しつくし、謝罪して謝罪しつくし、糾弾して糾弾しつくす、討議して討議しつくし、そして米騒動を上回る大衆闘争を全国的にすべての労働者民衆に提案し決起し、また世界に向かって日本労働者階級の自己批判も含めて発信していたら、日本や世界の民衆は労働者は必ずや呼応したのではないか、その後の侵略戦争への道も変わっていたのではないだろうか。

 しかし、実際は全く正反対の道を選んだ。「朝鮮人虐殺」や「亀戸事件」など震災後の弾圧の恐怖に完全に腰を抜かした総同盟本部幹部は、左派労組・良心的幹部排除、総同盟分裂をはかり、その後は、ついには「ストライキ絶滅宣言」、そして戦争協力にいたる。

つづく
「大正震災志」が触れている自警団の残酷非道と警察の対応 読書メモ(その三)



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