詩
杉よ! 眼の男よ!
富岡誠(中浜哲)
『杉よ!
眼の男よ!』と
俺は今、骸骨の前に起つて呼びかける。
彼は默つてる。
彼は俺を見て、ニヤリ、ニタリと苦笑して
ゐる。
太い白眼の底一ぱいに、黒い熱涙を漂は
して時々、海光のキラメキを放つて俺の
顔を射る。
『何んだか長生きの出來さうにない
輪劃の顔だなあ』
『それや──君
──君だつて──
さう見えるぜ』
『それで結構、
三十までは生き度くないんだから』
『そんなら──僕は
──僕は君より、もう長生きしてるぢや
ないか、ヒツ、ヒツ、ヒツ』
ニヤリ、ニタリ、ニヤリと、
白眼が睨む。
『しまつた!
やられた!』
逃げやうと考へて俯向いたが
『何糞ツ』と、
今一度、見上ぐれば
これは又、食ひつき度い程
あはれをしのばせ
微笑まねど
惹き付けて離さぬ
彼の眼の底の力。
慈愛の眼、情熱の眼、
沈毅の眼、果斷の眼、
全てが闘爭の大器に盛られた
信念の眼。
眼だ! 光明だ!
固い信念の結晶だ、
強い放射線の輝きだ。
無論、烈しい熱が伴ひ湧く。
俺は眼光を畏れ、敬ひ尊ぶ。
彼に、
イロが出來たと聞く毎に
『またか!
アノ眼に參つたな』
女の魂を攫む眼、
より以上に男を迷はした眼の持主、
『杉よ!
眼の男よ!』
彼の眼光は太陽だ。
暖かくいつくしみて花を咲かす春の光、
燃え焦がし爛らす夏の輝き、
寂寥と悲哀とを抱き
脱がれて汚れを濯ぐ秋の照り、
萬物を同色に化す冬の明り、
彼の眼は
太陽だつた。
遊星は爲に吸ひつけられた。
日本一の眼!
世界に稀れな眼!
彼れの肉體が最後の一線に臨んだ刹那にも、
彼は瞑らなかつた。
彼の死には『瞑目』がない。
太陽だもの
永却に眠らない。
逝く者は、あの通りだ──
そして
人間が人間を裁斷する、
それは
自然に叛逆することだ。
怖ろしい物凄いことだ。
寂しい悲しい想ひだ。
何が生れるか知ら?
凄愴と哀愁とは隣人ではない。
煩悶が、
その純眞な處女性を
いろいろの強權のために蹂躪されて孕み、
それでも月滿ちてか、何も知らずに、
濁つたこの世に飛び出して來た
父無し雙生兒だ。
孤獨の皿に盛られた
黒光りする血精に招かれて、
若人の血は沸ぎる、沸ぎる。
醗酵すれば何物をも破る。
死を賭しての行爲に出會へば、
俺は、何時でも
無條件に、
頭を下げる。
親友、平公高尾はやられ、
畏友、武郎有島は自ら去る。
今又、
知己、先輩の
『杉』を失ふ──噫!
『俺』は生きてる。
──やる?
──やられる?
──自殺する?
自殺する爲めに生れて來たのか。
やられる爲に生きてゐるのか。
病死する前に──
やられる先手に──
瞬間の自由!
刹那の歡喜!
それこそ黒い微笑、
二足の獸の誇り、
生の賜。
『杉よ!
眼の男!
更生の靈よ!』
大地は黒く汝のために香る。
──一九二三・十一──
(底本:労働運動 大杉栄・伊藤野枝 追悼号 大正13年3月1日)
中浜哲(鉄)ー本名富岡誓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B5%9C%E5%93%B2
*1922年8月、「自由労働者同盟」を結成。信濃川朝鮮人土工虐殺事件を調査に行き、9月7日、神田青年会館での真相発表演説会で報告したが、検束され12日間拘留。
*詩 『杉よ! 眼の男よ!』甘粕憲兵に殺害された大杉栄の霊前に中浜哲(富岡)が捧げた詩
*杉 大杉栄
*中浜哲(鉄・富岡誓) 大杉栄一家虐殺に対する復讐をはかり失敗、1926年4月15日大阪刑務所で死刑執行、享年29歳
*辞世の句 「手を執りてあい笑(え)まん日はいつならむ 親よ悲しき子を持てるかな」
*弁護士布施辰治が死刑執行後、遺体を引き取った。
⁂写真・林倭衛「出獄の日のO氏」
(大杉栄を描いた肖像画。1919年の二科展に出品し、警視庁から撤去を命じられた。
林倭衛(しずえ)は長野県上田市生まれの洋画家)
⁂大杉栄哀悼歌:土取利行(唄・演奏)
関東大震災時、憲兵によって虐殺された大杉栄と伊藤野枝、橘宗一少年を弔う追悼歌。節は一高寮歌「紅燃ゆる丘の上」。詩人小野十三郎、和田栄吉、辺見吉三らは、この作詞は中浜哲(鉄)であろうといっているそうである。