先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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野田醤油争議 1923年主要な争議⑩ (読書メモ)

2022年01月27日 07時00分00秒 | 1923年の労働運動

野田醤油争議野田町有志「調停実行委員」ビラ(1923年)

野田醤油争議 1923年主要な争議⑩   (読書メモ)
参照
「労働年鑑」第5集/1924年版 大原社研編
「協調会」資料(野田醤油争議)

1923年の野田醤油争議 
 千葉県野田町の野田醤油株式会社。遂に殺人事件まで起きた前年1922年の野田醤油争議はその後小康を保っていたが、今年1923年1月に入り、会社が従来の請負制度と年給制を廃止し、8時間労働制を1月11日から実施してきたが、一方で労働者にはノルマ3割増を命じてきた。しかし、この新制度は労働者の収入の大幅減収と作業能率の低下を生んだ。労働者の中に不平の声が高まりサボタージュのきざしも出てきた。会社は2月21日突如、総同盟野田聯合会の幹部2名を解雇してきたことで2千名労働者は怒り、サボタージュ闘争が一気に拡がった。3月9日、会社は第十工場の労働者130余名に出勤禁止を発表し、労働者代表が出勤禁止の解除を希望したが、会社は断固拒絶した。11日、会社は第九と第十の両工場を閉鎖した。12日、総同盟本部の松岡駒吉は野田聯合会代表と共に会社に出向き交渉したが、会社側の強硬な態度は変わらなかった。13日、日本労働総同盟関東同盟会が会社を訪ね、「一、新制度を労働者代表者と協議決定すること、二、請負制の一部復活のこと、三、定休日に日給を支払う事、四、解雇の撤回、五、会社の工場員冨田富美三郎を解雇すること」の五か条の要求を提出した。会社は全面的に拒絶した。

 野田醤油争議勃発の急を聞きつけた町民有力者有志が争議調停実行委員(写真)を結成して、すぐに調停に乗り出したが失敗した。

(2千名のストライキ突入)
 3月16日正午、13の工場労働者2千余名はストライキに突入した。争議団はスト基金を募り、デモ、演説会、運動会、慰安会・・・等で闘ったが、その態度は極めて静粛であった。18日、会社は新聞に「謹告」と争議報告とおわびの広告を載せた。東京の一等品醤油の値段がたちまち値上りをした。19日、大蔵省は緊急に官使を野田に派遣し調査に当たらせた。

(総同盟と反総同盟を問わず全力で支援)
 総同盟と反総同盟を問わず関東地方の労働組合が総力を挙げて野田醤油争議の応援に駆け付けた。再び近来関東地方ではまれにみる大争議となった。千葉県警、野田分署、松戸警察署は連日300名の警察官を動員し応援組合員を尾行するなど10数名を検束した。

(応援労組)カッコ内は警視総監赤池濃の見解、協調会資料1923.4.7
総同盟本部松岡駒吉
総同盟関東同盟会
関東鉄工組合(野田連合会とは姉妹団体なので、自分自身の争議として「闘士」のほとんど全部が交代で野田に詰めて応援している)
紡績労働組合(同じく総同盟関東同盟会の一団体。幹部など2.3名野田に張り付く)
洋服枝工(同上)
大日本ゴム労働組合(前年自らの争議に野田連合会から多大な支援を受けたので相当の応援)
横浜造船工組合(同上)
南葛労働会(ボルシュビキ派。最も興味をもって応援している)
造機船工組合(友誼団体として熱心に応援)
時計工組合(組合員のほとんどが共産主義的傾向)
関東機械工組合(機械技工組合より分立し、総同盟に接近、会員の多くは活動家で近来あらゆる方面に出動している)

芝浦労働組合(本組合は総同盟と反総同盟が相半だが、同じ労働者の立場から応援)
機械労働組合聯合会(反総同盟)
純労働組合(反総同盟。前年の大島製鋼所争議に野田連合会からカンパを送られたこと、また同じ労働者の立場から応援)
日本労枝会(反総同盟。同じ労働者の立場から応援)
本芝労働組合(同上)
革新会(同上)
光学工枝会(同上)

工友会(組合員の単独支援)
立憲労働党

 26日、会社は野田聯合会会長ら幹部127名に解雇通知を発した。31日、調停委員はついに手を引いた。

(児童520名の同盟休校)
 同日、争議団は演説会を開催し、その場で緊急動議「児童の同盟休校」を可決した。
  同盟休校の緊急動議
「野田醤油争議が解決するまで罷工団の子弟は野田町尋常高等小学校に就学しない」(就学児童450名と今年学齢児童73名)。
   来る4月2日の入学式には児童は出席するが、その後は校長に断り、同盟休校をすることとなった。児童は支援の大学生や活動家組合員らから授業を受け、林間学校なども開催された。

 3日、同会社南行徳分工場の労働者100余名もストに入った。

(千葉県知事の調停)
 4月10日、千葉県斉藤知事が調停を始めた。「被解雇者には相当の解雇手当の支給と調停者の推薦する被解雇者を新たに採用する、新制度の改善に向けて協議を開始する」等の調停が成立し、次いで、労資双方の代表から以下の誓約書が県知事に提出された。
 誓約書
 会社側「前期各条項を承認し誠意従業員に臨みその人格を尊重することを誓う」
 労働者「前期各条項を承認し誠心誠意作業に従事することを誓う」

 しかし、会社は、この誓約書の労働者代表の一人に松岡駒吉も署名していたことにいちゃもんを付け、5月25日松岡の名前を外し最終決着となった。

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 野田醤油では、その後1924年(大正13年)、25年(大正14年)、26年(大正15年)の争議があり、1927年(昭和2年)、有名な大ストライキが起きます。



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