写真 京品ホテル闘争(2009.1.24~25)
階級的憎しみ
私が労働運動にはじめて触れた70年代、労組の先輩たちから良く言われたのが「階級的憎しみ」という言葉です。もともとキリスト教の牧師の子供で、右の頬を叩かれたら左の頬を出せと教わってきた私にとって「憎む」という概念は否定的なものでした。
ところが、職場の障害者や労働者の仲間たちと団結した闘いをはじめて、この「階級的憎しみ」という言葉が個人を憎むという意味ではなく、本来労働者階級全体が共有している本質のような、魂(たましい)のような大切な言葉だということが段々理解できるようになってきました。
搾取を、抑圧を、横暴を、暴力を、悪逆非道を、本気で真剣に怒ること。
仲間が虐げられている時、一緒になって本気で怒ること。
労基法違反に本気で怒ること。過労死までこき使う、15時間16時間の超長時間労働を命じつづけ残業代すら支払わない・・・・に本気で怒ること。
会社や権力の卑劣な労働組合つぶし攻撃に本気で怒ること。平然と紙切れ一枚で解雇してくる彼らの残酷な本性に本気で怒ること。
経営側に雇われ金儲けを続ける品性下劣な弁護士に本気で怒ること。
腐敗堕落している職制やダラ幹どもに本気で怒ること。
戦争で民衆が殺され続けることに本気で怒ること。
等々です。
本気で怒れる仲間は闘いが苦しくても最後まで頑張ります。
そして労働者が本気で怒るには想像力が、勉強が、友情と、なにより勝てる団結体が必要です。だから本気で怒ったら、それは職場や地域の仲間との団結のための地味な努力や労働組合結成と闘いへと続きます。
アメやムチで<怒らせない>ことが権力者の政策です。「階級的憎しみ」という言葉も聞かれなくなりました。権力者の政策が表向き成功しているのでしょうか。
しかし、搾取と抑圧が在る限り労働者・民衆の怒りは必ず爆発します。「階級的憎しみ」の復権も近い予感もします!私たちは、今後とも、大胆に、真剣に、堂々と怒っていきたいと思います。