僕は神野徹也、フリーライターである。
僕は本棚から、ふと古事記を手にし、読みふけっていた。
そして神話のふるさと、出雲へいても立っても行きたくなった。
出雲といえば大国主命を祀る出雲大社が有名だが、
そもそも出雲はやまたのおろちを退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)が
王国を開き大国主命は娘婿に過ぎない。
にもかかわらず、素戔嗚尊は出雲では地味な存在に過ぎない。
これはどうしたことか。
僕は飛行機会社に予約を入れ、出雲大社の先、日御碕の国民宿舎に予約を入れた。
この度の先に何が待っているか知らぬままに。
出雲へ出発の日は快晴だった。
航空機は定刻通り出雲に着き、僕はレンタカーを借りた。
白いセダンだった。
まっすぐ出雲大社を目指し、昼には出雲大社に着いた。
この神社の創建は大国主命が天孫族に出雲を明け渡した際、神々が建てたという。
広い境内を歩いて、全国でここだけの参り方、二礼四拍手一礼をおこなう。
本殿の裏に回って小さな社殿を見つけた。素戔嗚尊の社殿である。
ここでは普通に手を合わせた。
名物出雲そばを食べ、国譲りの伊佐の浜の写真を写し、狭い道路を北上し、
日御碕神社に着いた。ここでは下の宮に天照大神、上の宮(高い位置にある)に素戔嗚尊を
祀ってある。なぜだ。天照大神の方が格上なのに。
現在の宮司は素戔嗚尊の子、天葺根尊以来97代目という。
車に戻り、灯台の近くの国民宿舎に着いた。
部屋に荷物をおき、夕食まで時間があったので、灯台に昇った。
白亜の灯台はまばゆいばかりだ。
そこから遊歩道が続いており海猫が飛び交っていた。
遊歩道の終点からは小さな島がみえ、海猫でびっしりだ。
経(ふみ)島と呼ばれ、天照大神を祀ってあったものを日御碕神社に移したという。
道理で鳥居が立ってるわけだ。
そして、この経島がこの話の鍵を握ることになるとはその時僕は知らなかった。
夜になった。窓からは漁り火が見えていた。いか漁だろう。
灯台の光が廻るたびにこちらにも灯りがさしていた。
今日はこれまで、と眠りについた。
夢を見た。素戔嗚尊とおぼしき影が近づいてきて、
「我のことが知りたくば太陽の道を解け」といった。
朝6時に起きた。夢のことは鮮明に覚えていた。
太陽の道・・いったいなんだろう?
朝食は8時だったので散策にでた。
坂を下りてゆくと昨日気付かなかった鳥居が見えた。
鳥居の手前に由緒を書いた立て看板があった。
素戔嗚尊が国造りを終え、大国主命に国を譲り、根の国に入ったとき、
柏の葉っぱをとばし、「我が魂はこの柏葉のとまるところに住まむ」
そして止まったところを「隠れ丘」とした。ここから日御碕神社に勧請したらしい。
「隠ヶ丘」、いかなるところか。僕は鳥居をくぐって獣道のようなところを昇っていった。
途中2箇所、木の鳥居があり、最後の鳥居をくぐると少し開けた場所に出た。
そこは・・
まさに神域だった。石段があり鳥居の向こうは草ぼうぼう。
それをコンクリートの棒で囲ってあった。
神職以外に立ち寄ることが許されないのであろう。
有れ放題の敷地が帰って崇高に感じられる。
僕は柏手を打ち、手を合わせた。
後ろに下がってビックリした。
おばあさんがいたのだ。
黙って塩と米を捧げた後、
「あれ珍しいですねえ。ここは観光客はもとより地元の者も近づかんのに。
どうぞうちでお茶でも飲んでいってください」
僕はうけることにした
あのう、神野といいます。お名前は?
「御碕屋と申します」
着いてみるとそこは民宿だった。
民宿の居間でお茶を頂いて、素戔嗚尊の話をして、朝食だからと国民宿舎に帰った。
朝食を済ませもう一度、御碕屋に戻った。
今度は素敵な女性が出迎えてくれた。
「神野さんですね。伺っております。どうぞ」
同じ居間に通された。
今度はさっきの女性も一緒だ。
僕はうろたえた。一目惚れしたのだろうか。
「ああ、この子はアルバイトできて貰ってるんですよ。親戚ですけどね。」
「須佐亮子といいます。どうかよろしくお願いします。」
「須佐って須佐之男の須佐?」
「はい、そうです。」
「この子も私も巫女の家系でね。」
「じゃあ、おばあさんも須佐?」
「はい、須佐敏子といいます。」
お二人とも凄い名前ですね。
「あら、神野さんだって神が付いてるわ」
亮子が言う
話が隠れ丘にとぶと、おばあさんは神棚から半紙に包んだ何物かを取りだした
「これは柏の葉です。どうかお持ち帰り下さい。」
「いいんですか?大切になさってたのに。」
「どうぞどうぞ。」
「有り難う御座います。大切にします。
ところで、亮子さんは出雲に詳しいですよね。
今日一日僕のガイドをお願いできませんか?もちろんガイド料をお支払いします。」
「あれ、そんなもの要りませんわ。今日のお泊まりは無しですし」
「それじゃあ、僕の気が・・」
「いいんですよ。たまには外に連れ出してやって下さいな。」
「はい、おばあさん、太陽の道って解ります?」
「何の事やら。でも太陽は伊勢の二見浦から昇って経島に沈むんです。
だから滅び行く天照大神を祀ってるんですよ。」
「そうだったんですか。それが太陽の道。何か曰くありげな・・。」
亮子さんと僕は、おばあさんに見送られて日御碕を後にした。
「亮子さんは独身ですか?」
左右に折れ曲がるカーブに注意しながら聞いてみた。
「ええ、今年で30になるんですけど田舎なもので貰い手が無くて。」
「僕と同じだ。都会にいる点は違うけれど。僕は33です。」
僕は亮子さんと暮らすことの幸せを考えていた。
「巫女出身と言うことは、何か特殊な能力でもあるんですか?」
「あら、大したことはありませんわ、そこの橋の手前、右に曲がってください。」
僕は右折した。左に川が見えた。
「斐伊川ですわ。素戔嗚尊がここで上流から流れてきた箸をみつけて老夫婦に会う。
そこでやまたのおろちが最後の娘、櫛稲田姫がさらわれることになっていると聞いた
素戔嗚尊が櫛稲田姫をめとる約束でやまたのおろちを退治する事になったんです。
櫛稲田姫を櫛に替え頭にさすと八つの酒樽を用意させ、やまたのおろちが酔ったところを、
頭をはねていった。最後の頭を切ったとき、きん、と音がして刃が欠けた。
そこで出てきたのが天の叢雲の剱だったんです。この剱はやがて天照大神に献上され、
天皇家の三種の神器となるの。ご存じですわね。八重垣神社に向かいましょう。」
一時間半ほどのドライブで八重垣神社に着いた。
素戔嗚尊と櫛稲田姫を祀った神社だ。縁結びの神様として有名だ。
社務所で紙を二枚買い、裏の鏡の池で亮子と僕、
それぞれ10円玉を紙の上に置いて浮かべた。
なかなか沈まなかったが、やがて同時に沈んだ。
「あら、神野さんと私、縁で結ばれてるみたい。」
「そうだね。」
亮子は僕をどう思っているのか。今はそれを聞く機会ではない。
車に乗り、須佐神社に着いた。
ここで素戔嗚尊は日本で初めての和歌を詠んだという。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣立てる その八重垣を」
たしかに「日本和歌発祥の地」と碑が立っている。
「あのね、凄いのはここじゃないの。この裏に夫婦岩に続く道がある。
行ってみる?」
行かないわけにいかない。昇り道まで車で行けるというので、5分ほど走らせた。
そこは鬱蒼とした森だった。
路肩に車を置き、清い水で手を洗い、口をすすいだ。
亮子はさっさと狭い坂道を上っていく。
僕はついていくのがやっとだった。
5分ほどで小さな滝があった。
そこからの道は人がぎりぎりすれ違うことが出来るほどの狭さだった。
途中亮子は山肌からはえている小さな木から枝を折った。
「これを持っていくといいわ。」
「何の木?」
「榊よ。後で役に立つから。」
「君は?」
「私はいいのよ。」
なんだか解らないが、とにかく榊を持って坂を上った。」
20分も歩いただろうか、そこら中に大きな石ころが転がっていた。
それにはそれぞれ和歌が書いてあった。
どういう訳か石は登るに連れどんどん大きくなっていった。
いったいこれらの石はどこからやってきたのだろう。
人力ではとてもこの狭い坂道を麓から運ぶことは出来ない。
やがて夫婦岩についた。
そこで僕たちは蚊の集団に出くわした。
「榊を振って。蚊を避ける木、避蚊木よ。」
振ってみると確かに蚊が寄ってこない。
亮子は榊なしでも平気なようだった。
そして、そこで見たものは、夫婦岩とは・・
夫婦岩、それは寄り添うように立った、巨大な二つの石だった。
こんな山の上に巨大な石。
どこかの山の噴火で飛んできたのだろうか。
だとしたら、大山か。
見ると亮子さんが頭を抱えている。
「どうしたの?」
「ここは磁場が凄く高いの。見て」
亮子さんの呼び指す方を見て驚いた。
そこには大きな木がそびえ立っていた。
そしてそれは、榊だった。
榊の巨木。磁場が高い故にかくも大きくなった。
そしてその磁場は、この石がもたらしたものに違いない。
亮子さんの頭痛が気になって、僕たちは来た道を引き返した。
車まで戻ると、亮子は言った。
「ガイドはこれでお終い。日御碕に帰りましょ。」
僕は車を発進させた。
民宿に帰ると、おばあさんがにこにこして待っていた。
「あんた達お似合いだわ。一緒になれば私の気苦労も無くなるのに。」
「そんな、神野さんの気持ちも聞かずに・・」亮子は言った
「いや、僕は亮子さんが気に入りました。また会いに来ます。」
出雲空港から大阪行きの最終便が迫っていた。
おばあさんと亮子さんに挨拶をして僕は出雲空港を目指した。
レンタカーを返して、チェックインし、機中の人となった。
窓から斐伊川が見えている。
帰って太陽の道を探ってみないと。
帰り着くなり僕は高校時代の地図を取りだした。
そして、伊勢二見浦から経島まで線を引いた。
そして、あっと驚いた。
白山、笠置山、加茂、箕面の滝、池田の温泉、黒尾山、那波山、再び加茂、蒜山、大山・・
山や滝、温泉、そして鉱山がライン上に散らばっていたのである。
そして出雲といえば鉄。素戔嗚尊が朝鮮から鉄の精製法を持ちこみ、
それを使った農耕で一大帝国を作り上げたのだった。
何故このライン上にこれほどのものが・・・
僕は想像した。そのラインの上を太陽が何億年も繰り返し通り過ぎればどうなるか、
太陽の引力と遠心力でマグマが吸い上げられ、造山活動が起き、地下水脈が噴出し、
滝や温泉が出来たのではないかと。
それならば、夫婦岩が大山から飛んできたのも納得できる。
ならば根の国とは、地下に出来た空洞を指すのではないか。
そして根の国、すなわち地下大帝国のあるじこそ素戔嗚尊だったのではないか?
と、すれば隠ヶ丘は根の国の入り口なのではないか。
僕はもう一度出雲に行かねばならないと強く思った。
そして、今度は車でラインの上を走ってみたかった。
そして、そのライン上には中国自動車道が走っていた。
もうひとつ、僕を虜にした亮子さんにも会いたかった。
中国池田から中国道に乗って、僕は太陽の道を走りだした。
そして美作で米子自動車道へ、米子から山陰道へ・・
太陽の道のパワーを感じながら走っていった。
夕方には日御碕に着いた。
車を駐車場に止めると亮子がにこにこして出てきた。
「お帰りなさい。すぐ戻ってくると思っていたわ。」
「何故そう思ったの?」
「忘れたの?私は巫女だったのよ。ただの巫女じゃない、日御碕神社の巫女。」
「部屋は空いてるかい?」
「特等室がね。」
おばあさんが出てきた。
「やあ、来ましたね。太陽の道の謎は解けたのですか?」
「それなんですがね、ここでは何ですから、入ってもいいですか?」
二階の客間に通された。
僕は地図を広げ、太陽の道の説明をした。
二人とも驚いたようだった。
おばあさんが言った。
「二見浦で生まれた太陽は経島で死ぬ。死んだ後は黄泉の国。
そこを支配するのは素戔嗚尊。だから上の宮に祀られておるんです。」
「おばあさん、隠ヶ丘に立ち入った人はかっていましたか?」
「神域じゃからおらんでしょう。」
「そうですか。」僕はある計画があったのだが、二人には伝えなかった。
夕刻僕は亮子さんを連れて岸壁を散策した。
大きな夕陽が経島に沈み、とてもロマンチックだった。
僕はとうとう言った。
「亮子さん、僕は君が好きだ。唐突だと思うだろうけど、一目見たときから、
僕を捉えて離さない。こんな気持受けとめてくれるだろうか。」
「神野さん、私もあなたが好きよ。八重垣神社の占いもあったしね。
私達結ばれる運命かも。」
海猫たちに囲まれながら、僕たちは熱く口づけを交わした。
その晩はおばあさん、亮子さん、僕の三人で食事をとった。
さざえやいかなど、素朴だけれど新鮮な海の幸だった。
酔いが回った僕は、思わずぽろりと言ってしまった。
明日の朝、隠ヶ丘に入ってみようと思うんです。
もちろん二人は口をそろえて反対した。
「あそこは神域です。何人たりとも入ることは許されません。」
「いや、僕の感ではあそこから洞窟が続いてるような気がするんです。
それさえ確認したなら即刻帰ってきます。」
「どうしても行くのですか?なら、この桃を持って行きなさい。悪魔払いです。」
おばあさんは桃を3個くれた。
その夜は眠れなかった。ひどく胸騒ぎがしたのだ。
翌朝一番で、おばあさんと亮子さんに見送られて僕は隠ヶ丘に行った。
手を合わせた後、コンクリートの垣根を乗り越え草を踏みしめていった。
あった。そこには地下に続く道があったのだ。
懐中電灯をつけ、階段のようなものを降りていった。
なんとそこは広場のようになっていた。
頭上から何本も木の根が下がっており、まさに根の国だった。
そこから洞窟が放射線状に伸びておりどの道を選べばいいか解らなかった。
とりあえず一番右の洞窟に入っていくことにし、持ち物をあらためて確かめた。
予備の階級電灯、3個の桃、おばあさんが作ってくれたおにぎり、水筒。
よし、と暗闇の洞窟に入っていった。
30メートルも行かない間に道は二つに分かれていた。
迷わないようにまた右の道を選んだ。
そこから100メートルほど分岐点はなかった。
しかし、どこからともなく声が聞こえた。
「汝は根の国を侵した。最早もとの世に帰ることあたわじ」
心臓がパニックを起こした。しかし気を取り直して言った。
「誰かいるんですか?」
返事の変わりにざわざわ、ざわざわと音がした。
光を当てるとムカデの大群がこっちにやってくる。必死で逃げた。
が、速い。みるみる追いつかれそうになった。
しかも後ろには人間の背もあろうかと思える大ムカデがいたのだ。
磁場が高く、あの榊のような大きなムカデが育ったんだろう
おばあさんから貰った桃を僕は思いだして3個投げつけた。
すると、不思議にもムカデの大群は逃げていった。
そういえば古事記に書いてあったっけ。
伊弉冉尊から伊弉諾尊が逃げるとき、雷の神などから追われ、桃を投げて事なきを得たと。
とはいえ、僕の冒険はもう終わりだ。
こんな不気味で危険なところに用はない。
走って戻った。
ところが最初の分かれ道に来たとき、右の洞窟に何かが見えた。
シャー、シャーとその何かは鳴いていた。
見ると大蛇だ。僕の胴体と同じくらいの太さの蛇がこちらを伺ってる。
もちろん逃げた。しかし大蛇は速かった。
あっという間に追いつめられ、まかれてしまった。
僕は後悔した。太陽の道の秘密を探ろうなんてするからこの有様だ。
ついに大蛇が僕を頭から飲もうとする瞬間、
ぎゃあ、大蛇がのけぞった。見ると亮子さんが短剣を持って大蛇の頭に深々と刺していた。
大蛇の僕を締める力がなくなった。
僕は大蛇から離れた。亮子さんは短剣を引き抜いて言った。
「だから言ったでしょ。ここは誰も入ることは出来ないのよ。
出ましょう。」
僕はまた何か出てこないように祈りながら、亮子さんに続いた。
そしてやっと隠れ丘の階段を上り、外界に出た。
その途端、腰が抜けたようにくずれた。
民宿に行くとおばあさんが心配そうに待っていた。
「化け物に会ったでしょう。だから神域には近寄ってはいけないんですよ。」
「おばあさんがくれた桃、役に立ちました。ムカデの化け物が退散しました。」
おばあさんは笑顔でうなずいた。
「亮子さんの持ってた短剣、魔力があるんですか?蛇の親玉が即死しました。」
「あれは代々我が家に引き継がれてきた魔剣。もしもの時を考えて、亮子に持たせたのです。」
「それにしても隠ヶ丘の下は迷路のように洞窟が繋がってましたよ。」
「それが根の国、黄泉の国です。かつては伊弉冉尊が、今は素戔嗚尊が支配しています」
「今もですか?じゃあ大国主命は?」
「それは表の神。実際は出雲は素戔嗚尊が仕切っています。」
「じゃあ太陽の道の地下には・・・」
「大洞窟が迷路のように連なっているはずです。」
「それを仕切っているのが素戔嗚尊。」
僕は唖然とした。今も素戔嗚尊は厳然と力を保っているのだ。
とても太刀打ちできない。僕の太陽の道への挑戦はもう終わりだ。
「おばあさん、こんな目にあった以上、僕はもう諦めました。太陽の道。
でも諦めたくないものが出来た。亮子さんを嫁に貰いたいんです。」
「亮子はどうなの?」
「はい、私でよかったら。」
僕らはおばあさんと3人で日御碕神社に行った。
そこでお詣りをし、おばあさんを立会人に、結婚を誓い合った。
まだ亮子さんの両親に会いに行く仕事が残ってるが、「それは大丈夫」と
おばあさんが請け負ってくれた。
こうして僕の太陽の道への旅は終わりを告げた。
もう隠ヶ丘に近づくこともないだろう。
完