「おい山崎、そろそろ立ち直ったか?」岡村課長が言う。
美智子が舞鶴であんな事になって、二つの季節が流れた。
その間僕は仕事が手に付かず、ぼーっとしていた。
しかし会社はそんなことを許してはくれない。
「次のプランはどこだ。」
岡村課長が言う。
「レンタカープランの沖縄ですね。」
「コースは出来ているのか。」
「はい、ここに。」
「また、下見がいるのか?今度は誰も連れて行っちゃ駄目だぞ。」
「分かってます。」
僕の方からお断りだった。
あんな旅はもうごめんだ。
「いつから行くんだ。」
「明日からです。」
「今度はちゃんと成果を上げてくるんだぞ。」
「分かってます。」
その日僕は旅支度のために早退した。
航空機のチケット、免許証、金、水着、ダイバーズライセンス、デジカメ。
最低これさえあれば事足りる。後は着替えだけだ。
用意をしてると、にわか雨が降った。
すぐあがり、虹が出た。
「ふむ、今度の旅はさい先がいい。」
僕は虹が消えるまでずーっと見続けた。
航空機はぐんぐん上昇した。快晴だった。
僕の席は窓際だったのだけれど、横に可愛い女性が座ったので替わってあげた。
聞くとひとり旅なんだという。事情があるだろうと思ったが、聞きはしなかった。
「僕は山崎と言います。 旅行会社のプランナーで、下見に行く途中です。」
「あら、いい人と巡り逢ったわ。見所とか教えて頂戴。あ、私、山本智美です。」
運悪く彼女は北部へ僕は南部に行くことになっていた。
「残念ね。またどこかでお会いできるかも。」
那覇空港で僕は予約したレンタカーの職員を捜した。
「山崎さんですね。後もうひとり。山本さーん。あ、こちらです。
「あれ?同じレンタカー会社だったの。偶然だね。」
「ええ。」
僕たちはレンタカー会社のワゴンに乗り込んだ。
そしてその事務所で問題が起こった。
「あのう済みません、今日帰ってくるはずのレンタカーがまだ戻ってないんです。
今在庫は一台限りなんです。
他のレンタカー会社もあたりましたが あいにく皆満車で。」
「いいわ。山崎さん、一緒に連れてってください。
どうしても行きたい場所じゃないんで
それに山崎さんのツアーにとても興味あるし」
僕は迷った また舞鶴のようなことにならないかと思ったからだ。
そして決断した。
「いいですよ 山本さん 一緒に行きましょう。」
新車のワゴンだった
「山本さん つかぬ事をお聞きしますが 霊感のようなものをお持ちですか?」
僕は聞いた
「は? いやあね。そんなのいっさい持ち合わせていませんわ。なぜですの?」
「いや 無ければいいんです。聞かなかったことにしてください。
ダイビングの経験は?」
「ないです。一度やってみたい気はしてますが。」
「じゃあ、トライしましょう。」
僕は車を泊港に向けた。そこでダイビングのスタッフが待っていた。
「山崎さんですよね。あれ、おひとりじゃなかったんですか?」
「急遽増えてね。彼女も体験ダイヴィングしてみたいんだって。OK?」
「いいですよ。じゃあとりあえずホテルに。あすお迎えに上がりますから。」
幸いホテルにはシングルが一つ空いていた。
翌朝、朝食後、ダイヴィングのスタッフが迎えに来た。
そして泊港に向かった。
そこには真白いクルーザーが横付けされてあった。
山本さんは隣でわくわくしている。僕もいい気分だ。
船の上で説明があった。耳抜きやマスククリア、ウエイトベルトの閉め方などを習う。
もちろん僕はライセンス保持者なのですべて知っていることだ。
そうこうしている間にポイントに着いた。さすが世界に誇る慶良間の海だ。
凄い透明感。
山本さんは機材をつけて貰って海に入っていく。緊張しているようだ。
僕も海に入って山本さんと手をつなぐ。初めてにしては上出来のようだ。
美しい珊瑚やくまのみ。赤や青黄色。色とりどりの魚を見て、
山本さんは大感激していた。
時間が来たので船上に昇りデッキで昼食を頂いた。
とても美味しかったが、山本さんは海の中での体験が忘れられないようだ。
しきりに海の話をしていた。
「ねえ、山崎さん。私山崎さんについてきてよかったわ。」
昼食後は別のポイントでシュノーケリングをした。
ここでも山本さんは大はしゃぎ。慶良間の海を満喫したようだ。
船が泊港についたのは16時だった。
スタッフが僕らのホテルまで送ってくれた。
順調だ。すこぶる順調だ。今回は時空の狭間に落ちこんだりしないだろう。
僕は山本さんと連れだって、地元の料理屋に入っていった。
料理屋で僕はブダイの刺身を注文した。
熱帯魚のような色をしているので、最初山本さんは食べるのを躊躇した。
「食べてご覧、美味しいから。」
こわごわ食べた山本さんの第一声は、
「おいしいわ。でも、本土の魚の方が私には合ってるみたい。」
「ここは亜熱帯だからね。しかたないさ。」
色々注文して食べている間に、山本さんが口数少なく、
表情に翳りがあるのが見て取れた。
「山本さん、なにか心配事でもあるの?沖縄にひとり旅も変わってるし。」
彼女ははっとして、表情を切り替えた。
「いえ、何もないわ。ひとり旅は気まぐれでよくするんです。」
「それならいいけど。」
「ねえ、山崎さんの明日の予定は?決まってるんでしょ?」
うん、渡嘉敷島に渡ろうと思うんだけど、どこか行きたいところがあるの?」
彼女は言い出そうかしばらく考えたあげく、思いきったように言った。
「私、万座毛に行ってみたいわ。」
「万座毛か、うん、悪くないね。日帰りでいけるから、僕の仕事にもそう影響はない。」
「いいですか?何か悪いみたい。」
「いいよ。朝一番で出かけよう。」
ぼくはそのとき彼女の意図をくみ取ることは出来なかった。
翌朝早く、僕たちは58号線を北上した。
昼前には万座毛に到着した。
山本さんの表情が堅い。
県切っての景勝地万座毛は珊瑚の固まりの上に天然の芝が広がり、
断崖絶壁になっている。
山本さんと僕はそぞろ歩いた。危険なため、ロープが渡してある
ふと、山本さんが見えなくなった。
見るとロープを越え海に飛び込まんとしている。
とっさに僕もロープを越え、山本さんを後ろから抱きかかえた。
「だめだ、山本さん。」
「いいえ、死なせて。」
僕は山本さんの頬を打った。
それで、少しは落ち着いたみたいだ。
「ここへ来るの二回目なの。前は彼と来た。振られてしまったの。私。」
「それで思い出の地で飛び込み自殺を・・・
でも山本さん、死んだらお終いだ。生きていたらまたいいこともあるよ。」
「そうね、山崎さんにも出逢えたし、私生きるわ」
帰りの車内は賑やかだった。
山本さんは前の彼といつどうやってであったか、
どんなデートをしたか、
何を食べたか。
思いつくままに涙をぽろぽろこぼしながら語っていた。
僕は何も言わなかった。
ひとしきり泣いた後、山本さんは僕に聞いてきた。
「山崎さんはガールフレンドとかいないの?」
去年舞鶴港で水死体で上がった、とは言え無かった。
「今は、いない」
「私で宜しければガールフレンドにしてください。」
「僕でいいの?世の中には男は沢山いるよ。」
「ううん、山崎さんがいいの。優しいし、頼りがいがある。」
「えらく認められちゃったな。いいよ。」
「じゃあ、今から智美って呼んで下さいね」
「恥ずかしいな、智美、これでいいかい。」
「はい、山崎さんは私のこと振らないでね。
振ったら万座毛から今度こそ飛び込んじゃうから。」
「わかった、わかった。振らないよ。」
と言っている間に宿に着いた。
「明日の予定は?」
「渡嘉敷島に渡る。そこで本格的にダイヴィングをする。
智美はライセンスを取ればいい。一緒に潜れるよ。
「わー、またあのきれいな世界に戻れるのね。うれしい。」
その晩はステーキを食べに行った。
翌日我々は再び泊港に向かった。
車を置いてフェリーけらまで70分。
渡嘉敷島が見えてきた。
フェリーが着くやホテルのスタッフが出迎えてくれた。
そこからホテルまで15分。途中スコールが降った。
目の前がビーチの素敵なホテルだった。
スタッフが言う。
「山崎さんの部屋は確保してあるんですが、お連れ様の部屋は無いんです。
どうしましょう?」
智美は言った。
「いいわよ、山崎さんと同じ部屋で。ツインなんでしょ?」
僕はどうしたものかと困ってしまったが、
智美がいいんならいいか、と軽く考えて承諾した。
部屋に入るなり智美は窓へとんでいった。
「うわあ、凄い景色、凄い海の色。
山崎さんも見てご覧なさいな。あ、虹」
僕も窓に向かった。
エメラルドグリーンの海が飛び込んできた。
そして見事な虹がかかっていた。さっきのスコールのせいだろう。
僕は言った
「ねえ、智美。生きていればこそでしょ?」
「はい、ありがとう山崎さん。
山崎さんに出逢わなければ今頃は・・」
僕は智美の肩を抱いた。
智美が顔をこちらに向け、目をつぶったので、
僕は唇を重ねた。
僕は智美をとてもいとおしく思った。
智美はダイヴィングスクールに申し込み、その日は
学科とプールでの講習があったので僕と別行動。
僕はレンタカーを借りて島の写真を撮って廻った。
阿波連ビーチの砂浜がやけに印象的だった。
途中智美が練習しているプールに寄ったが、
なかなか上手にこなしているようだった。
夕方智美が帰ってきたので阿波連ビーチに連れていった。
智美は貝殻を拾っていた。ぼくはそのシーンもカメラに納めた。
とても絵になっていた。
智美がこんなにきれいだなんて、今更ながらに認めずに入られなかった。
そのあと島で僕がみつけたビューポイントを2-3廻ってホテルに帰った。
一度シャワーを浴びてから、テラスレストラン&バーにくりだした。
素朴な造りで風が気持ちよく、食事も美味しかった。
食事を終えて表に出ると星がきれいに輝いていた。
僕は智美と手をつないでしばらく散策した。
「ねえ山崎さん、好きよ、とっても好き。」
智美が言った。
僕も言った。
「僕はね、つきあってた娘と死に別れたんだ。
それから半年死んだようになってた。
君のおかげでやっと生き返った気がする。」
夜、灯りを消してから、智美が僕のベッドにするするっと入ってきた。
僕は黙って智美を抱きしめた。
翌日智美はいよいよ海洋実習に入った。
僕も一緒にボートに乗せて貰った。
ボートがポイントまで来ると、まず僕が最初にエントリーした。
ロープを掴んで待っていると、智美が降りてきた。
恐怖感はないみたいだった。
体験ダイヴィングの時のように僕は智美と手をつないで、
あたりを見ていった。
蝶々魚や蓑カサゴ、色とりどりの魚が海の中を舞っていた。
新しい魚を見つけるたびに、智美は興奮して指さした。
午前中のダイヴィングが終わると、ショップに行って昼食を食べた。
そこでも昼食はそっちのけで、海の中の様子を智美は話まくった。
「ねえ、山崎さん、海のなかって本当にきれいね。
私、何も知らないでこの世にお別れしようとしてたのね。
うん、もう大丈夫よ。死のうとなんかしない。
それに今は山崎さんがいるもの。」
「そうだね、命は大切にしなければならないよ。どんなことがあってもね。」
午後のダイヴィングも無事終わり、僕たちはホテルに帰ってきた。
夜また智美がベッドに入ってきたが、抱きしめる以外何事もしなかった。
翌日最後の海洋実習
今日もエントリーは僕からだ。
ロープを持って智美を待つ。
しばらくして智美が降りてきた。
珊瑚礁の上を泳いでいると、ナポレオンフィッシュが顔を見せた。
滅多に姿を現さない魚だ。50センチ位だろうか。
智美が興奮して指さしている。
その後だ。アクシデントが起きたのは。
智美がレギュレーター(息を吸うところ)をはずしたのだ。
海の中でレギュレーターをはずすのは自殺行為に近い。
僕はあわててくわえさせた。
水を飲んだみたいなのですぐボートに上がった。
僕は聞いた
「なんだってレギュレーターをはずしたんだ?」
「あんなきれいな海で死ぬなら最高だろうと思って。」
「まだ自殺願望を捨てきれないのかい?」
「そうじゃないけど、とっさに。」
「そうなんじゃないか」
船に皆上がってきて、港へ向かった。
そこでライセンスを支給される。
智美はなんとかライセンスを貰った。
午後はホテルの前の浜でシュノーケリングをして過ごした。
ホテルでの夕食の後、僕と智美は砂浜で星を見ていた。
「ねえ、もう止めないか。自殺しようとすること。」
「山崎さんが私を愛してくれたら止めるわ」
「愛しているよ、智美。」
「行動で示してくれないと。」
僕は智美にキスした。長い長いキスだった。
「ベッドでも示して」
「僕は君の心がまだ傷ついていると思って、何もしなかったんだ。」
「あら、逆よ山崎さんにのめり込んでいくうちに、私の傷は治るのよ。」
その夜また智美がベッドに入ってきた。今度は思いっきり愛しあった。
智美は言った「山崎さん好きよ。」
僕も言った「智美好きだよ。」
こうして渡嘉敷島最後の夜は更けていった。
翌日朝食を取った後、フェリーけらまに僕たちは乗り込んだ。
夕べのことで大胆になった智美は、僕の腕を放さない。
荷物が持ちにくくてしょうがなかった。
「自殺しなくてよかったわ。慶良間の海も見れたし
ダイヴィングのライセンセンスもとれた。
何よりあなたに巡り会えた。」
智美は言う
「外へ出ないか。」
僕が促す。
デッキに出た途端に、ピーカン晴れの空に黒い雲がやってきた。
そして雨が降り出した。
僕たちは動かなかった。
そうすると足下から虹が立ち上がっていた。
「虹の果てだよ。智美。ここに幸せが隠れているんだ。」
僕は智美の胸を指さした。
智美は泣き出した。大声で泣き出した。
その声を雨が消していた。
完