友人のところでお粗末に飼育されていたウーパールーパーを引き取ったのがキッカケで、水棲生物どころかペットに関心すら持っていなかったのに水槽を買ったり中の土管を買ったり飼育方法を調べ始めたのが4年ぐらい前だろうか。
環境に順応する力が強いウーパールーパー。絶食状態が1ヶ月続いたとしても生存できる(但し健康を損なう)。暑さに弱いが寒さに強い。真夏には室内温度が27~31℃近くにもなる俺の部屋でも逞しく生き続けてくれた。
ぴくりとも動かず水流にただ身を任せるようにしている姿を見て何度も「・・・これ生きてる??」と思い10分以上眺めていた。しばらくすると動くので「また騙された・・・」というのが恒例だった。
ど素人の俺が飼育したにしてはずいぶんと長生きしてくれたもんだなぁと思った。
またウーパールーパーを新たに飼おうかとも考えた。水槽やポンプなどの環境はある程度整っている。しかしすぐに考えるのをやめた。主が不在の水槽を眺めていると猛烈に悲しさが襲ってきた。同じぐらい可愛がるだろう、ちゃんと世話もするだろう、けどいろんな葛藤をするし、また喪失した時の感情に苛まれるのは嫌だ。だから俺はきっともうウーパを飼うことはない。
今更ながら、いろんなところに飼育するうえで至らないところがあったのでは、と考えた。餌のタイミングが少しずれたことが何度もあった。ちょっとぐらいの汚れは気にしなかった。水換えを怠ったことも何度もあった。決して褒められるような主人ではなかった。それでも投げ出したことはなかった。自分の意志で飼うことになったわけじゃなく、半ば強引に押し付けられたようなものだったが、嫌嫌で飼育していたわけではなかった。飼っているうちに愛着を抱いたし、何か異常が現れれば心配になって夢にも出てきた。
もっとしてあげられることがあったんじゃないか。俺の悪い癖で、人間ではない生き物にはこういう思考をしてしまうのだ。犬であれ猫であれ虫であれなんであれ、対象の願い事を叶えてあげたくなってしまう。ウーパールーパーの願い事とはなんだろうか?きっとこんな狭い水槽の中で生涯を終えたいなどとは思っていなかっただろう。だからきっと自然界にある限りなく広い水源の中で生きたかったのではないだろうか。しかしさすがにそれは叶えてあげることはできない。なぜならきっと生きてはゆけないから。言葉を発することができない者はつくづく不幸だ。このウーパールーパーが願い事を俺に伝える術を持っていたのなら或いはー。
ツンデレよろしく「これで晴れて水流やポンプの振動音に悩まされずに済んでせいせいしてるぜ!ぐすん」って感じだ。いつからかとっくに悩まされずに眠れるようになっていた。あの小さく弱い体で、もしかしたら俺に元気をくれていたのだろうかと思うと胸が苦しくなる。都合の良い解釈をしてしまいたくなる。人間はいつだって自分勝手だ。ウーパの死の結果に勝手なシナリオを書き足して勝手に気持ちよくなろうとしている自分がとても気持ち悪く思えた。
たかだが小型水棲生物の死なのに大袈裟な記事だなと思う人もいるかもしれない。でも俺にとって死にでかいもちいさいも無いと思った。これも死を尊ぶ蠍座の性なのだろうか。蠍座だろうがなんだろうがどうでもいいけれど。
俺が祈ることは一つ。どうか次に生まれてくる時は人間の手の及ばない自由な世界に生まれてきますように、今までありがとう。過酷な環境だったよね、ごめんね。おつかれさま。おやすみなさい。
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