鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【考察】なぞなぞ&ダーウィニズム

2017-06-18 02:34:31 | 考察

「何かを支払ったらば、何かを得なければ気が済まない」

これはどこかから引用してきた言葉ではない。探せば同じ言葉を発した人が見つかるかもしれないが、今しがたふと思った言葉である。『◯の錬金術師』に似たフレーズが登場している。

「人は対価なしには、何かを得ることができない」

前者では、先に支払っていて
後者では、先に得ているという印象を持っている。

普段何気なく過ごしていて、人は自分という資源の詰まった袋から何もせずとも零れ落ちていくそれらを、どうにかしてかき集めようとしているような錯覚を感じた。

時間、金銭、労力、気分、所有権、etc。理性を得て知性を得た人間は、己の生涯が有限であることを知っている。自分という意識で感じることができる時間が限られていることを知っている。終わりを告げる死神が背後から迫っていることを感じなくとも、人は損を避けずにはいられない。焦燥感や切迫感を抱いてはいなくとも、人は損を避けずにはいられない。

それは極めて健康的な生き様である。現代の社会において"利口"或いは"賢さ"は賞賛の条件である。人間ひとりの生涯あたりに対して人類への貢献効率が高い者ほど、支持され、守られ、奉られて、模倣されていく。生産力の乏しい個体が増えるよりかは、生産力が豊かな個体を増やすほうが利口な手段なのは言うまでもない。

話が逸れた。

人は一日に活動できるエネルギーを使って、情報収集をしたり金銭に還元したりする。筋肉や頭脳を動かして金銭に換える。それを使って手段を購入したり道具を購入したりする。そして何かの目的を達成する。やがて最終的に頭の中で快楽を得る。

自分が望む生活を誰もが胸に秘めている。その中には、「未だかつてない発見を求める」という類もあるのだろう。しかし「金銭や健康の充足を望む」という類もあるだろう。

この道の先はもう分岐点が無いかもしれない。折り返すための道幅があるのは今のうちだけかもしれない。誰しも不安を感じたことがあるはず。パラレルワールドが存在するかのように、こうではなかった世界を想像して自分を省みる者がどれだけいるのだろうか。いま在る仲間達との関係を放ってまで得るべきものがあるかもしれない。しかしそれを得たときに自分が後悔するのではないかという不安がある。

自分の生きがいを得られたとしても、いまの友が遥か遠くの旧友となってしまうような未来に、彼らのことを懐かしんで寂しく思うのならば、いま在るものたちを温め続けていることのほうが正解なのかもしれない。

どんなに沢山の賞賛や尊敬を得られたとしても、自分にとって真の喜びが仲間達との他愛ない時間が連続する平和な世界にあるのだとするならば、俺はどこへも行く必要が無いのかなと思う。

みんなもそんな気がしないか?

情熱に身を任せて、無我夢中で何かを為そうと一所懸命に打ち込む姿は確かに美しい。分野によっては人々の笑顔を増やすことができるものもあるだろう。何かを救うこともあるだろう。しかし、俺は世界とその人々を見ていて思うのは、結局のところみんな「笑い疲れて良い夢を見たいんだ」ってこと。

救われるべき仲間がいて、そのために費やされる労力は必要かもしれないが、「笑い疲れて良い夢を見る」ために苦しみが必要だとは思わない。苦しさがあったからこそ得られる喜びはあっても、得られる喜びを増やすために生み出される苦しみは必要だとは思わない。

欲望レベルと満足のイタチごっこレースに、参加する気にはなれないというお話。欲求に良いも悪いもない。それが有害だろうが無害だろうが、頭の中で快苦に還元されるだけ。高尚も糞もない。

緻密に設計された完璧で理想な世界を描けていない頭で見る睡眠中の夢が、そもそも良い夢であるはずがないよね。そんな夢が見れたなら、俺はきっと現実の世界には帰ってきてるはずがないんだから。
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