private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over23.1

2018-09-09 16:13:20 | 連続小説

 現実と入れ替わって意識の中に朝比奈が浮かびあがってきた。
――いい? まずはスタートが肝心カナメ。ここで勝負の80%が決るっていっても過言じゃない
 
練習のときも、ここにくるまでも言われたことだ。モノ覚えの悪いおれが、きのうの夕食も思い出せないこのおれが、このタイミングで記憶がよみがえってくるなんて。
 
最初が肝心だ、、、 そりゃそうだ、自分だけが良ければそれでいいってもんじゃない。お互いの気持ちが高ぶったところではじめなきゃ。
――手順どおりにやればなんてことないけど、それが一定してできないってのが人間のねえ、そう、おろかなところ
 あいかわらずのシニカルな物言いだ。それだけに、ここまでハッキリ言われれば逆に落ち着いてくる。手順どおりに、ひとつひとつ。だいじょうぶ、おれの手が、指が、足からも、触感としてつたわってくる情報が、おれのからだのなかでうずまいて、やがてひとつまじわっていく。
――パワーが最も出るところ。そこにアタリをつけてつなげる。なれることも大事だけど、イッパツ勝負の感性も、ときには必要
 そうだ、だけどつなぐ意識はもう少し高めあったところで合わせたい。連動性ってやつが瞬時に反応するのは昨夜も気づいたことだ。
 
前部がグンと持ち上がると同時に上体をドンっと押された、、、 やっぱりおれは手なずけられるほうなんだ、、、
――もっとも効率よくスピードアップするには、重なりあわさる力を無駄なく伝える。だけどねえ、あわてちゃダメ。力をかけ過ぎず、弱すぎず。フィットしなければなにもはじまらないし意味を持たない
 自分の足で走っていたときもそうだった。体重のすべてを地面に伝え、その反発で前へ進む。それができればいいはずなのに、足だけが前に出ればブレーキをかけながら走っているのと同じだし、身体が先走れば足が空回りで、いずれも労力に満たないスピードしか得られない。
 
ただしい感覚をつかむために、何度も何度もトラックを走ったのは伊達じゃない。勘は鈍っちゃいない、、、 はずだ、、、
――それだけで終わったと思ったら大間違いよ。相手だって、強い欲望があってここまできているんだから。これは何もこの行為を一緒におこなうってだけのことじゃないんだから
 その言葉の意味を知るのはもう少し先のはなしだ。
 ギアシフトをひとつあげるたびに、嬉しそうにさらに鋭い加速で応えてくれる。グンっと背中を押され、そしてまた次への加速へのエネルギーを溜めはじめている。早く、もっと早く、次の領域に連れて行けとおれを圧し続ける。それは相手の想いも一緒になっているんだ。
 いまはまだミカサドは横にいた。大丈夫、離されていない。おれにとっては喜ばしい事実だけど、ミカサドにとっては想定外の出来事だろう。余裕で勝つつもりでいた余裕の表情がいまは曇っている。
 
戸惑い、迷い、なんとでも言いようがあるだろうけど、ヤツは明らかに狼狽していた。こんなはずじゃなかった、その思いは簡単に切り替えられない。そこがおれの勝利への一縷の望みなんだ。
 それなのに何にでも最後はあるもんで、シフトノブには4の次にOの文字が刻まれている。オーバートップの頭文字を取ってオーらしいけど、、、 頂点以上、、、 イキきってしまえばもうこれ以上はないんだ。
 
なんにでも最初があれば最後はある。最後という物悲しさが、その言葉をさらに際立てているのかもしれない。
 
夏ならば、最後の花火だったり、最後のプールだったり、いつかはやってくる夏休み最後の日。そしてついに来てしまった最後の夏休み、、、 いつかくるであろう人生最後の日、、、 イッちまったあとは、これまでの欲望も泡になって消えている。終わってしまえばそれがどうしてか面倒な存在になっている、、、 そんなもんだ、、、
 おれは申し訳ない気持ちを持ちながら最後のギアに入れた。待ちわびたように伸びやかに加速を足していった。だけどもうこれ以上は加速しない。それなのにそんなこと知らないかのように次への準備を続けている気がする。いまはその健気さを感じられるみたいだ。
 そこで潮目が変わった。ミカサドの顔がおれの鼻先から消えていった、、、 それも、後ろに、、、 おれの、ナガシマさんのクルマはまだ、加速をあきらめていなかった。最後のギアに入れたのに、マフラーから発する高らかな咆哮とともにヤツのクルマを嘲笑うようにしてこのクルマは、、、 加速した、、、
――いい、ハンドルは絶対に動かさない。1ミリでも動けばそれでスピードが1キロ落ちると思って。特にトップに入れた後はもう加速しないんだから。一度落ちたスピードを取り戻すほどの時間はない
 おれは必死でその言いつけを守った。両腕でハンドルを抑えつけて路面からの反動に対抗する。ギアチェンジするために左手を離すときも、右腕で受け止めてすばやく左手を返す。そんな地道な行為がここにきて効いてきた、、、 のかもしれない、、、
 ナガシマさんのクルマは見るからに重心が低く、重いハンドルも今回の勝負に向いていたようだ。もしたくさんのコーナーを曲がるような戦いだったら、、、 例えばサーキットを走るような、、、 とても腕が持たなかっただろう。
 実際には伸びきった回転数に達しているんだから加速はしない。ナガシマさんのクルマの特性と、ハンドリングを抑えることで、クルマに負荷をかけずムダな減速をしないことがヤツとの差となっているんだ。
 もうすぐゴールだ。勝てる、、、 かもしれない、、、 おれの血流の中にそんな淡い期待が膨らみ始めていた。