朝比奈っ!?
冗談だろ。おれは急ブレーキを踏んでクルマを横向きにして、なんとか朝比奈を轢かずに済んだ。当の朝比奈はそうなるのが当然の顔で、少しもよける気配を感じさせない。きっとチキンレースをやることになっても、涼しい顔で相手の自滅を呼び込むだろう、、、 って、そんな例え話をしてる状況じゃない、、、 なんでここに朝比奈がいるかって問うほうが先だ。
呆然としているおれの背後から猛烈な衝撃が襲ってきた。おれは遠のいていく意識の中で男の声を耳にした、、、 それはミカサドではない、、、
「このひとが突然、止まったから… 」
ずいぶん前に聞いたこの言葉。
そうだ、あのときの記憶。おれが突然止まったから、うしろから来たカレがぶつかっても文句は言えない。申し訳なさそうに言うカレには気の毒なことをしたはずだ。それがなんでまたここで再現される、、、
それからどれだけの時間が流れたのか。
おれは意識が戻っているみたいだけど、そのわりにはどこに居るのかわからない。クルマの中でもないし、病院のベッドでもない。悪い夢を見ているときに、夢のなかで目覚める夢をみている。そんな感じだ。
「ホシノ。ホシノももうわかってるでしょ。ホシノがなぜこんなことしてるのか。だいたいわたし、クルマに詳しくないし、運転だってできないわよ」
そんなカミングアウトをいまさらされたって、、、
そりゃ、朝比奈がレーサーのようなアドバイスができるはずはない。少し斜めに生きているだけの女子高生なだけで、クルマを手足のように扱えるわけはない。もちろんそれはおれにだって当てはまる。
どこからか夢の世界に切り替わっているのかと、一番やっちゃいけないオチを想像していたら、さらに朝比奈が追い討ちをたたみかける。
「悪い夢なら覚めることができるけど、残念ね、この夢は覚めない。夢とかではなく、ホシノはもう現実を生きていないんだから」
それを言われるのはツラかった。うすうすは気づいていた。だけど、誰も何も教えてはくれない。自分でも、認めるほど自信はなかった。それにあまりにも自分につごうのいい世界を否定できるほど、おれは強い人間ではないのだ。
つまり、おれはもう、生きていない、、、 どおりで、おれの言葉が誰にも届いていないはずだ、、、
「死の定義は難しいわ。”生きていない”というのは意味で正しくて、実のところ正しくはない」
この世に正しいことはない、、、 それがあの世でもおなじか、、、 不思議な気持ちだ。おれの意識はいったいどこで切り替わってしまったのか。そして、どうして、おれにはこの世界で好き勝手できる権限が与えられているのか。
それともおれだけじゃないのか。これまでに死んでいったヤツラだって、それぞれの世界をそれぞれ彷徨っているんだろうか。ナガシマさんだって、ツヨシだって、もしかしたらあの子ネコの母親もそれぞれの世界の交錯の中で、ただ意識だけを疎通できたのかもしれない。
「意識だけの疎通、いい言葉ね。とても的を得ている」
だってそうだろ。未練の大きさや強さだけじゃなく。すべての死者に平等に与えられた権限だとしたら、良い人生を送った人だって、悪い人生を送った人だって、人に迷惑をかけてこようが、人に感謝されてこようが、そんなことは関係なく、どっちにしろ、そいつらなりの彷徨える場所があるならば、おれにうかがい知ることなんかできやしない。
もしかしたら、あの世ってところで、めいめいがこの世界のことを話し合い、自慢するヤツもいれば、さらに後悔を深めるヤツもいるんだろうか。それももうすぐわかるはずだ、おれがあの世に行ってしまえば、、、 あればのハナシだけど、、、 行ければのハナシだけど、、、
「誰もがね、ホシノもね。現実の世界に別れを告げる準備をしている。突然その時がくれば戸惑い、納得できず、やり直したくなったり、できなかったことをやり遂げたいと後悔する。それをね、それを、解消できる世界にいまは意識がある。ホシノが現世と思っていた場所と、死後の世界をつなぐ場所。後悔を消化して、踏ん切りがついた時がくれば次の場所へ連れて行ってくれる」
おれはもう一度自分の置かれている状況を考えてみた。はたしてこれは、おれが現世で思い残してきたことなのか、もっと他にしたいことがあったんじゃないか、、、 あんなこととか、こんなこととか、、、 だいたいひとの欲求がどこかで区切りがつくとも思えない。自分の思い通りになるんなら、この『あいだの世界』にしがみついてることだってあり得るんじゃないか。
「不思議なものでね、本当に成し遂げたいものなんて自分ではわからない。仮にそうだとしても、また別の欲求を求める。それで、なんでも思いどおりになってしまうと、そこになんの感慨も生まれなくなっていく。そこでジ・エンド。こころのどこかにもういいやって気持が芽生えれば、ついに意識は別のところに行ってしまう」
おれはずいぶん遠くまで行ってしまったみたいだ。生まれたところからどこまで遠くで生きていけるかってことが、人間の価値みたいな風潮もあった。ボヘミアンな暮らしにあこがれるヤツラもいた。現世で実現できなくても、いつかはこんなに遠くまで来てしまうんだから、それならなにもあわてることはない、、、 そういうのって、気づいたときにいろいろ遅いんだけど、これはホントに遅すぎだ。
今になって思えば、あの朝比奈との不可解なファーストインプレッション、、、 ホシノが選んだからしょうがない、、、 おれは、その旅先案内人として、朝比奈の人格を妄想の中で創り出したってことか。
「誰だった他人の人格を創り出すわ。それに応えるかどうかは別として。わたしはホシノの期待に応えた。それはわたしの意志であるんだけど、またこれまでの世界に意識が戻れば、そんなこと忘れてしまっている。それともわたしもまた別の世界に行くことだって考えられる。どこの世界のわたしが死んでいるのかもしれず、わたしもまたホシノ言う『あいだの世界』で意識を交錯させただけなのかもしれないんだから。ホシノ的に言わせてもらえば、だけど」
誰だって、子供のときに死を身近に感じた時期があるはずだ。テレビニュースや新聞を賑わす話題は、いつだって他人の不幸な死だ。
大人になればなるほどマヒしていく。自分にも降りかかるんじゃないかという不安は、子供心だからこそ有効だったのかのように、今にも自分の心臓が止まってしまうんじゃないかと、心配で寝付かれないこともあるし、朝目覚めずにそのまま死んでしまうんじゃないかと思ったこともあった。そして、実際に目覚めても、本当は自分は死んでしまっていて、ここはこれまでにいた自分の世界じゃないのではないかと思うことも、、、 だからいまの朝比奈の話は腹に落ちた、、、
実際にこうなってしまえば、いつの段階から死の世界に足を踏み入れていたかなんて、もうわかりもしない。おれなんかは昨日の記憶もあいまいで、モノをどこに置いたか忘れておきながら思いもしないところで見つかるし、知らないことで誰かの不評を買い、たまに感謝されたり。確かに自分が生きた軌跡なんて誰も正確に答えられるわけはない。
特に古い記憶になれば、自分のことなのか他人のことなのか、他人に言われた自分のことなのか、テレビや映画で見た記憶なのか、ハッキリしないことが多すぎるんだから。
すべては、自分の曖昧な記憶と、他人の不確かな記憶の関係の中で、営まれていた歴史が事実として積み重ねられていく。
「そうだね、ホシノ。今日が、今日が昨日の、そう、続きだなんて、誰もわかっちゃいない。そう錯覚しているだけ」
そんな、それが事実だとしたら、、、 事実なんだろうけど、、、 おれたちはいったいなんのために生きているっていうんだ。