private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over10.11

2019-04-14 11:01:02 | 連続小説

 おれは仕事に追われてもツヨシに声をかける時間を忘れないように、、、 夕方は混みあう時間帯だ、、、 手の甲に5という数字をボールペンで書き込んでおいた。こうしておけば忘れないと誰かに言われて、子供のときもやっていた。それで実際に効力があったのかどうかは、、、 残念なことにあまり記憶がない。
 それについての成功体験より、トイレに行ったとき、手を洗うついでに洗い流してしまったとか、額の汗をぬぐったら消えてしまい、おまけに額には黒い汚れがついて、まわりのヤツラの笑いものになっていたなんて、失敗談にはことかかないんだけど、、、 残念なことにそういう記憶はある、、、
 今回は適度な緊張もあり、やたらと永島さんの姿も目について、その度に思い出すから、それで忘れずにすんだ、、、 つまり書き込んだ効果は今回もわからずじまい。
 それにしても永島さんはガレージを気にするわけでもなく、ツヨシが悪さをしていないか気になって、確認がてらガレージに見に行くかと思ってたんだけど、かえっておれのほうが気になっているぐらいで、だから永島さんはあれ以来、事務所を離れることはなかった。
 おれにはそれが、ツヨシが居るせいでガレージへ行かなくてもいい許諾権を得て、案外と気が楽になっているようにも見えて、もしかしたら永島さんにとってあのレースカーは、マサトが思っているほど大切なモノではなく、多くの人の人生を止められないスピードを保っている、厄介モノだったのかもしれない。
 永島さんとキョーコさんとのあいだいに、なんらかの結論が出され、そうしてあのクルマはスピードとともにふたりから重石も失くしていった。カラダが軽くなると、人生の重みも失くすようで、リーダーとしての余計なヨロイを脱ぎさっていた永島さんからは、力強さっていうか、熱量っていうか、そんなものまでもなくなっていて、おれは物悲しい気持ちになった、、、 勝手なもんだ、、、 おれ、そういうのが苦手だったはずなのに、だから永島さんも楽じゃなない。
 なんだか、そんなフワフワとした落ち着かない時間が流れていき、少し早かったけど10分前には様子を見に行くために、マサトにちょっとトイレと、テキトーなこと言って仕事場を離れた。早く帰って来いよーっ、という声が聞こえるけど、長ションになる予定だ。
 もう雨はやんでいた。水気をふくんだ木の引き戸は、さっきよりさらに動きが悪くなっていた。力をこめると嫌な摩擦音と共に少しづつ開いていく。自分が通れる最低限を開けたところで中に入り、明り窓の少ない庫内はすでに薄暗くなっていて見通しが悪いので、室内灯のスイッチを探す。
 ツヨシの姿は見当たらないし、物音も聞こえない。少し不安な気持ちになる。おーいツヨシ。どこいった。あんにゃろ、また、つまらなくなったとかいって帰っちまったんじゃないだろうな。
 扉の横にシーソースイッチがあったので指先で押すと、ジィーッという音がして、何度も点きかかっては消えを繰り返した蛍光灯が明かりを灯して、ようやく室内を見渡せるようになった、、、 そこにツヨシの姿はない。
 クルマに触れるなって言っておいたけど、まさかとは思いつつクルマに近寄ってみた。ライトに照らされた車体を見ると白ではなくクリーム色だった。ニイナナってマサトが呼んでいた。コマーシャルとかでは、耳にしない車名だ、、、 ていうかそんな変な名前、聞いたことがない、、、
 でもクルマ自体は街中でもよく見かけるから、それなりに人気があるんだろうけど。それならもっと速そうな名前にすればいいのに。ほら、スカイ、、、 ブルー、、、 カローラ、、、 フルネームが出てこない、、、
 名前はそんなんだけど、クルマ自体は街で見るより車高が低く、レーシングカーっぽく安定感があり、いつでも飛び出しそうな俊敏さも伝わってくる、、、 って、評論家とかは言うんだろうけど、おれにはよくわからない。
 開けっ放しの窓からヒョイとのぞけば、みごとに運転席にツヨシの姿があった。おいおい、いるなら返事しろよ。シカトはないだろ。って、なんだ寝てるのか。これがまた幸せそうな顔して。きっとレーサー気分で運転のまねごとしてたら、夢見ごこちでそのまま眠っちまったんだな。
 夢の中でこのクルマを、自分の手足のように操って走ってるところを、無理やり起こすのも気が引けるけどしかたがない。おれは運転席側のドアにまわり、おどかさないようにと思い、なるべく静かにドアを開けた。ハンドルを握りしめたまま、身をまかせてグッスりと眠りこくっているツヨシがいじらしい。
 なんだよ、やっぱり子供だな、、、 あたりまえだ、、、 悪いなあツヨシ、もう帰る時間だ。しゃあねえだろ、おかあちゃんが心配するしな。おれはツヨシを抱かえ外に連れ出すと、両手がふさがってしまい、しかたなく、、、 本当にしかたないから、、、 オシリをひねってドアを閉めた、、、 永島さんスイマセン。
「オイ、オイ。丁重にあつかってくれよ」
 その声を後ろで聞いて、おれはヤバイと顔をしかめる。あっ、ごめんなさい。別に悪気があったわけじゃ、なかったような、あったような、、、 いや、ないです、、、
「冗談だよ。オレだってそれぐらいしてるから気にするな。ボウズ、眠っちまったようだな。こんなとこにひとりでいればそうなるだろ。夕方の雨で気温も下がってよかったな。ふだんなら暑くて、とてもクルマの中じゃ寝てられなかったはずだ」
 おれには思いもしないところまで永島さんは気にかけていた。それが自分の浅はかな行動を咎められているようにも思え、そうですね。と、あまり事の重大さを感じていないふりをして、この子の母親が待ってると思うんで。と続ける。
「待っている者がいるのはいいことだ。おれもついさっきまではそう思っていた。待っていられることが生き延びられることもある。生きてるうちにそいつがわかっただけでもよかったのかな。おまえと親密になる前のことだからそれでいいだろ」
 どこにもそんな確証があるわけでもないのに、知ったように永島さんは言い切った。おれはもう、なれないことをやり続けて、とにかく早くケリをつけたかっただけなんだ、、、 永島さんのようにはなれないからさ、、、
「そうだな、もう子供をひとりきりにさせないように言ってやれよ。オマエの意見じゃない。上からそう言われたと言えばいい」
 永島さんはボンネットを開けて、やる必要もない作業をはじめるようだった。そんな、世間一般の常識をすべてに当てはめたモノの言い方をする永島さんの言葉を、なんとももどかしく聞き入れていた。そして永島さんはおれがどうするかの返答を聞くつもりもないようだ。
 もちろんなんの悪気も、余計なお節介でないのもわかっている。永島さんが背負った役割の立場や、状況が言わせたセリフなんだと、そう思うしかないじゃないか、、、 そうやって、いつのまにか自分の意思に変わっていく、、、 知らないうちに、、、
 突然、耳元に言葉が飛び込んでくる。ツヨシは目を覚ましていたようだ。
「おにいちゃん、ゴメンネ。でもね、おかあさんにそんなこといわないで。ボクがかってにやってるんだから。おかあさんはわるくないんだ」
 まったく、近頃の子どもってやつは、これほど聞き分けがいいんだろうか。自分を振り返ってみれば、宿題忘れたせいにした記憶はあっても、母親を庇った記憶なんてない、、、 これはツヨシに背負わされた役わりの故なんだろうか。
 ツヨシ、子供のクセにそんなに大人に気をつかわなくていいからさ、、、 おれも大人の側だった、、、 わかってるよ、余計なことは言わないから。あのお兄ちゃんだってな、立場ってものがあって、誰かが言わなきゃいけない言葉を、誰かの代わりに言ってるだけなんだ。おれだってオマエをかかえこんだ時点で、波風立つのはわかってたんだから。
 いいんだよ、親なんてもっと心配させていいんだから、それが親の仕事なんだからさ。ちゃんと子供らしくしてないと、親も親であることを忘れ役割りをまっとうできなくなるぜ、、、 おれはいまだに親の役割を忘れさせてない、、、 そう考えないとやるせないじゃないか。
「ふーん、おにいちゃも、なかなかいいこというね」
 おお、そうか、、、 ツヨシにほめられてしまった。
雨が上がってから湿気も上がってきたわけじゃないんだろうけど、ただでさえ子どもの体温は高い。ツヨシを抱かえた部分に熱がこもり、じっとりと汗ばんできた。ツヨシだって気持ち悪いだろうに、どういうわけか余計に強くしがみ付いてきた、、、 おいおいおれは母ちゃんじゃないよ、、、
 濃い灰色の空に、隊列を作って飛ぶ鳥が見えた。
「すげえーっ、20コはいるね」
 おい、おい、コって。20羽だろ。
「いいじゃん、そんなの。20にかわりはないんだから、べつべつによぶほうがヘンだよ。ボクはコってよぶことにしてるんだ」
 そうか、20は20。同じだな。子供から教わることってけっこうあるもんで、おれたちは知らないうちに、つまらない決めごとにとらわれて、人と同じってことだけに安心してしまっているわけだ。
 もっと自由でいいのに、なにが自分たちを縛り付けているんだろう、、、 そしてそこには、1コの母親がそこにいた、、、