private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(ギター屋の店内3)

2024-12-15 16:05:31 | 連続小説

 アキは差し出されたギターを見て右往左往してしまい目が泳ぐ。オサムは意味深か気にうなずいている。グイグイとユウリに押し付けられて、アキは仕方なく手に取るしかなかった。どうやら捕食されたようだ。
「せっかくだからさ、これでさオサムにギター教えてもらいなよ。中古品だから安心して弾けるでしょ。もし気に入ったら買い取って貰ってもいいし。その時の値段は要相談で」
 屈託のない笑顔でそう言われてしまった。アキはこういうオシに滅法弱い。ここまでされてしまえば、気に入ろうが入ろまいが買ってしまいそうだ。
「あっ、いいねえ。これも巡り合わせかもよ。簡単な曲でも弾けるようになれば、家でも練習できるしよ。オレは全然かまわないよ」
 すでに買う流れになっている。オサムは講師を行うことも意を介していない。そして一度手にすると、脳内で所有願望が高まってくるようで、古びたギターもこうしてみると、自分を待っていたかのような錯覚になり愛着も湧いてくる。
「チューニングできる?」ペグを指さしてオサムが訊いてきた。
 直ぐにクビを振るアキ。そう思えば高校の時に弾いたギターはチューニングなどしなかった。音程があっているつもりで弾いていた。
 もしかして、それが原因でうまく弾けなかったのではないかと疑念がアタマに浮かんでくる。たしかに譜面通りに弾いても弦が変わると、なんだかしっくりこなかった。
 そうであっても自分がヘタだからだと、音程の合わないまま何度も練習を繰り返していた。誰の手ほどきも受けず、チューニングの概念がなかった若い頃の自分が恨めしい。
「そう、じゃあ開放弦で上から1弦づつ鳴らしてみて、、」
 これはもう個人レッスンのはじまりだ。自分基準ではあるが、これほどのギタリストにマンツーマンで手ほどきを受ければ、普通ならいいお値段になるだろう。
 ここまでしてもらって、じゃあ失礼しますでは済まなさそうで、ますます外堀を埋められつつあるアキだ。これまで何かをはじめようとしたとき、誰かに教えを請うことはなく、どちらかと言えばそういう機会を避け続けていた。
 自分のペースで行わないと極度に緊張してしまい、一歩も進めないと知っている。だからあえてその場に身を置こうとは思わない。
 このような流れでなければ、ギターレッスンを受けることなどアキの人生ではなかったはずだ。今は丁寧に教えてくれるオサムを無下にすることもできず、素直に手ほどきを受けられる。
 そうではあっても心臓が高鳴っていく中で一弦目の音を鳴らす。オサムに言われるがまま、ペグを一度緩めてからゆっくりと締めていく。そしてストップと言われたところで止める。手が震えてうまくペグを扱えない。
 もう一度、弦を弾く。よければ次の弦に行くし、もう少し微調整が必要なら繰り返す。それを一番下の弦まで行っていった。オサムは根気よくつき合ってくれた。
 ギターのチューニングが進むにつれ、アキはこれまでにない境地に誘なわれいく。音を鳴らし、息を止めて弦を張っていく。それと同調するように緩んだ心が少しづつ張りつめて、いい緊張感が生まれてくる。
 自分がうまく制御できなく気持ちと身体がバラバラになってしまうことがあると、アキはそれを元に戻す方法がわからなかった。環境と内面と身体が一致して、自然と平静を取り戻せるようになるのを待つしかなかった。
 うまく言語化ができないアキだったが、ギターのチューニングしていくと、なんだか自分の心うちまでも、調和と均衡がはかれるように調節されていった。
「ホントなら、ハーモニクスしたり、音叉使ってやるんだけどな。初心者ならこれぐらいで十分だよ。どうしてもちゃんとしたチューニングしたかったら、チェッカー売ってるから、それ使えば素人でもできるよ」
 自分は撒き餌だと言いながら、しっかりと捕食者にもなっている。この調子でギターは安くとも色々な備品を勧められ、最終的にはソコソコの金額になっていく作戦なのではないか。そもそもこの中古のギターがいくらなのかもわからない。
 これまでのアキであれば、この状態にパニックになっていただろう。次から次へと噴出する不安事項があっても、今のアキは受け止められていた。
 オサムの丁寧で優しい手ほどきや、もしかしてギターが弾けるようになるのではないかといった期待も後押しして、抗うことができないほど追従している。
「じゃあ次はコードね。おさえかた知ってる?」
 そう訊かれてアキは自信なさげにこたえた「主要コードと、マイナーと、セブンスぐらいは何とかですけど、、」。
 思い出しながら押さえられるぐらいで、スムーズに移り変えられる自信はない。
「上等、上等。そんだけ押さえられれば十分だ。今から教えるのは、オレが知る中では世界で一番簡単なコード進行で、世界で一番叙情的な曲だ。いい? ゆっくりでいいから、オレの言う通りコード押さえってって。まずはC」
 オサムはCコードを抑えて、右手で弦を撫でるように鳴らす。キレイなハーモニーが奏でられる。
 アキもオサムの指を見てから、Cのコードを思い出しながら指をおさえる。指先で弦を鳴らしても、オサムのような張りのある音は出ない。途切れ途切れでこもった音がするだけだ。
「オーケー、次はG」
 一番下の細い弦をオサムは小指で押さえたが、アキには小指の握力に自信がないので薬指でおさえる。そうすると、その指を目一杯に畳まなければならず手を攣りそうになる。それでは弦が浮いてしまい、Cよりさらに音がこもった。
「いいよ。次はAm」
 Amは比較的楽だ。ネックを親指と人差指で固定でき、残りの指も無理なく弦を押さえられる。はじめていい音色が出た。それでもオサムの音はもっと深みと重みがある。それがギターの価格の差であり、腕の差なのだ。
 これだけ明確にわかれば仕方がないところで、うまくなればなるほど、その差は微小になっていくのだろう。それを聴き分けられることが、果たして幸せなのかは微妙なところだ。
 どんなプレイヤーの音でも、それが素敵に聴こえれば良いはずで、だったらアキにはそれを聴き分けられる能力は要らなかった。眉間にシワを寄せながら、この音はちょっと違うねなどと、御託を並べても誰も幸せにならない。
「はい、それで、直ぐにF」アキはこれまでにない声を発してしまう「エフ、エッ、エフー」。オサムはそのリアクションを想定していたらしく気にも留めない。
 Amからの流れで親指で1弦目、人差し指で6弦目を押さえるか、音が明確に出やすい人差し指で1フレットをすべて押さえる方法にするか。瞬時に悩んだ挙句に前者を選び、ミュートかというぐらいの酷い音を鳴らしてしまった。
「も一度C」オサムは気にせず先を進める。
 Cに戻ってアキはホッとする。最初よりいい音が出た。ここまで弾いて気付いたのは、この曲は世界で一番有名な4人組のあの名曲だった。
「誰もが思いつきそうな、簡単なコード進行だけど、誰も思いつかず。それを繰り返しているだけなんだけど、飽きることなく聴きたくなる。そしてなによりあのヴォーカルを引き立てる旋律なんだよなあ」
 そうオサムは絶賛した。アキにはそれほど思い入れはなくても、この曲をマスターできれば何度も弾いてみたくなる気がする。
 復習するようにもう一度繰り返してみる。BメロではラクなAmは抜きでFだけになる。それでもサビの部分を口ずさむとそれっぽく聴こえて、もう一度チャレンジしたくなってしまう。
「うん、うん 、いいよ、一回目より断然いい」
 オサムの言葉はリップサービスだとしても嬉しくなってくる。
「スゴイじゃん。もうそんなに弾けるようになったの?」
 またうまいタイミングでユウリが合いの手を入れてくる。背中がこそばゆくなってしまう。
「買っちゃいなよ。そのギター。千円でいいよ」そこでユウリがすかさず金額提示をしてきた。
「千円!」思わず訊き返してしまった。「高かった?」アキは無言でクビを振った。安すぎる。
「ホカしちまう予定だったヤツだけどなあ。かと言ってタダてえのはよくないからね。妥当なとこだね」
 オサムがそう言うと、アキは何度もうなずいた。レッスンまでしてもらって、タダでギターをいただくわけにはいかない。千円が妥当となるかどうかは、これからの自分の行動次第になる。
「値段なんてもんはさ、あくまでも指標でしかないにしてもさ、いくらかでも金は払った方がいいんだよ。自己投資への判断基準となるし、そうでないと自分の意識がないがしろになっちまうからね。満足する演奏ができるようになって、このギターの価値より自分の腕が良くなれば、次はそれに見合ったギターを買えばいいよ。言わばこのギターも撒き餌だね」
 確かに物に金額という価値が付くだけで、その金額に見合った行動を取るようになるものだ。いつしか高額のギターを手に入れられる自分でありたい。それがギターでなくてもいいかもしれない。
「あのう、、」アキはオサムが言っていたチューニングチェッカーなるものがいくらするのか尋ねた。3千500円で、あとギターを持ち運ぶためのソフトケースも、ユウリが再びバックヤードから探してきてくれた。全部で締めて5千円となった。
「チューニングやってから演奏した方がイイよ。絶対に。手の動きと音が一致しないと、どうしても気持ち悪さが出るから、弾いてても楽しくないし、長続きしないんだよねえ」
 オサムがそう教えてくれた。高校時代の嫌なイメージを払拭するためにも必要なアイテムだ。
「なんだかスイマセン。いろいろとしていただいて」
「いいのよ。こうして、ひとりでも楽器に興味持ってくれるひとが増えれば嬉しいし、これがきっかけで、あなたの人生に彩りを添えられるとイイわね。あとは次に高いギター買ってくれれば最高だわ」
 そう言ってユウリは笑った。オサムもそれがホンネだろっと言って笑った。アキはその言葉で逆に安心できた。変に善意だけに凝り固まっていなくて、商売っ気がイヤらしわけでもなく、そう言ってもらった方が信頼感が高まる。
 オサムが次の曲を引き出した。60年代頃から流行った男性デュオが創った、エンディングでライラライのハーモニーが印象的なあの曲だった。チャンピオンだったか、ボクサーだったか。そんな曲名とは余り一致しない、透明感のあるメロディだ。
 タイミングよく店先をシャドウボクシングしながらランニングしていく人影があった。小柄で中学生ぐらいに見えた。もしかしたら女性かもしれない。
 オサムと顔を見合わせて笑った。きっと同じことを考えていたはずだ。お約束で最後のパートはオサムと一緒に合唱した。ライラライ、ライラライラ、ライラライ、、 
 誰もがチャンピオンにはなれない。だが対戦相手がいて初めてチャンピオンが成り立つ。その他大勢もきっと大切な役割なのだ。それがオサムの回答なのだ。アキはそう理解した。


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