private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(パブ・ペニーレインにて1)

2024-12-22 16:37:04 | 連続小説

 店のドアを開けると、暗い照明の中で棚に並べられた幾つものボトルが鈍く光っていた。黒光りしているカウンターには無数の傷が入っており、この店の歴史を物語っている。
 止まり木の足元には足を乗せるポールがあり、金色の塗装はくすんだ色に変色しており、ところどころが剥離して地金の銀色が露出している。
「いらっしゃいませ」店主のコウはそう言ってショウを迎え入れた。
 黒いピンストライプスーツのズボンを履いて、白いウイングカッターに棒タイを止めていた。上着は着用しておらず、ズボンと同柄の直着を羽織っている。
 この光景だけを切り取れば、禁酒法時代をイメージしたギャング映画のワンシーンを思い起こさせ、それがコウにはサマになっている。
 ショウは軽くアタマを下げて、なかほどのスツールに腰掛けた。痛めた足を庇いながら着座する。
「久しぶりですね。お客さん」コウにそう声をかけられ、はにかむショウ。
「ご無沙汰しちゃって、すみません」照れくさくそう言うショウ。コウはクビを振った。
「確かお勤め先は、ひとつ前の駅でしたよね? 以前より足が遠のいても仕方ありませんよ」
 ショウはええと微笑んでロックを注文した。さすが客商売をしているだけあり、1年ぶりぐらいの来店になるのに自分のことを細かく覚えている。
 就職前に店に来た時に、就職後は来づらくなるような話しをしたのだろう。それにしてもさすがの記憶力だ。そう思うと迂闊なことは話せなくなると自制が働く。
 おしぼりを渡され手を拭きながら、久しぶりに顔を出した経緯を簡単に話した。先のこともあり支障のない範囲に留めておく。
 朝の通勤の際に一駅乗り過ごしてしまい、ホームの渡り通路を通った時に、この商店街のアーケードが目に入って、久しぶりに寄ってみたくなったと告げた。大筋は間違っていないが、随分と端折った説明だった。
 コウは今はモールって呼ばれてますと、他人事のように言ってグラスを置いた。そう言われてもピンと来ないショウは、そうなんですかと曖昧な返事をする。
 結局、それについてコウが説明をすることもなく、ごゆっくりと言われたあとは話しかけられることもなく、コウも奥に引っ込んで行った。
 ショウにしてみても、店主と久しぶりの再会を楽しむために来店したわけではなかった。家に帰り母親と会うのを避けたかったのと、ひとりで考えごとがしたく、朝の件もありこの店を訪れた。
 店主はいつも来店時には、二〜三の言葉をかけてくれたあと、それ以降は追加をオーダーする以外は、放っておいてくれる。それは今日も変わることなく、グラスを置いてからはショウに絡むこともなく、自分の仕事に務めている。
 店内には優しい女性ヴォーカルの歌が流れている。ショウにとって知っているようで知らない曲であり、そんな環境が考えごとの邪魔にならない雰囲気を醸し出しており、ここに来て正解だったと自己肯定する。
 今日は仕事中に学生時代の友人から電話を受けた。近頃はご無沙汰にしているとはいえ、急用でもなければ仕事中に私用の電話をしてくるタイプではない。切り出しづらそうで、声も若干ではあるが涙声になっており、ただならぬ気配を感じた。
 ようやく口から出された言葉は、ふたりの共通の友人が亡くなったという要件だった。死因は聞かされていないらしく、とにかく突然の訃報にうろたえており、そこまで言うと涙声に変わってしまった。このままでは埒が明かないので一旦電話を切り、仕事が終わったらかけ直すことにした。
 そこで改めて聞いた話では、亡くなった友人の親御さんから、故人の遺物のかたづけをしていたら、友人の連絡先が書かれたメモ帳が見つかり、一番上に書かれていた自分に連絡してきたとのことだった。
 他に伝えたい友人がいれば、アナタからお願いしますと頼まれたので、最初に思い浮かんだのがショウで、それで掛けたのだと言った。
 ショウと亡くなった人は、学生の頃に同じサークルで一緒だったぐらいの仲だ。卒業してからは顔を合わすことはなくなっていた。彼が故人とどれほどの仲だったのも知れないが、号泣するぐらいだから、それなりの間柄だったのだろう。
 そういった温度差があったからなのか、ショウは電話先の友人のように感情が振り切れることはなかった。それともよくあるパターンで、友人に先を越されたために冷静でいられたのか。
 ひとり首を振るショウだった。そうではない。泣けない言い訳を探しているだけなのだ。
 もちろん同い年の知り合いが、若くして亡くなったことには衝撃があった。死因を知らないことを差し引いても悲しみの感情がわき上がってもよさそうなものだ。少なくとも学生時代に一時期を共にした仲だ。電話口の友人のように思いっきり泣いて、感情を共有しても良いはずだ。
 そうではなく、涙がこぼれることのない自分に愕然としていたのだ。ここ数年、母親との関係もあり、感情を極力表に出さないようにしていた。それが一因であると思いたかった。
 涙を流したのはいつが最後だったろう。数年前に、当時人気絶頂だったF1パイロットがレーシングアクシデントで突然死んでしまったとき、気がついたら涙がとめどなく出ていたことがあった。その数ヶ月前に叔父が死んだときは、一粒も出なかったのに。
 泣かそうという魂胆が見え見えの映画にも簡単にオチて、自分でも驚いたことがあった。以前なら作り物の話しに泣いている友人を小馬鹿にしたものだった。
 自分の感情を出さないようにしている反動で、バランスを取るように、カラダが自分の意志とは別のところで反応しているようだった。そうであれば自分は、そういった感情をコントロールできない人間になってしまったのだろうか。
 笑いたい時に笑う。怒りたい時に怒る。泣きたい時に泣く。そういった行為を遠ざけていたことで、いつしか能面のような表情に凝り固まっていった。
 今の自分の状態をすべて母親のせいにしようとしている。そんな自分が止めどもなく嫌だった。両手で顔をふさぐ。コウが奥からチラリと目を送ったがまだ動かなかった。
「あー疲れたあ!」ドアが開くと同時にそんな声が店内に通った。ピンクのスーツに身をつつんだ妙齢の女性が現れた。
「あらやだ、お客さん。ごめんなさい」ショウの存在に気づき、軽く会釈して口元を押さえる。
 ショウもつられるようにアタマを下げた。ユキは一番奥の席まで進み腰を落ち着ける。カウンターをはさんでショットグラスを念入りに磨いていたコウが振り返りオシボリを差し出す。
「どうしたんですユキさん?」
「どうもこうもないわよ。あっ、ビールちょうだい」おしぼりで手を拭きながらオーダーする。
 コウはフリーザーから中瓶と冷えたグラスを取り出し、栓を抜いてグラスに注ぐ。キレイな泡が2cmほど盛り上がった。プロの仕事だった。
 ユキはそれを手に取ると喉を鳴らして一気に飲み干した「あー、美味しい!」。
 空になったグラスをテーブルに置くと、再びビールを注いだ。今度は泡は持ち上げず、3cmの泡でビールをふさいだ。それがユキの好みだった。
「もう、聞いてよコウちゃん。近頃の若いコときたら、、」ユキはそんな話しをしはじめた。
 ユキの外見からして、自分も十分その若いコの範疇に入ると、ショウはどんな内容か興味を持った。良い話でないとわかっている。
「モールの一斉清掃があるんだけど、全然協力してくれなくてね。自分たちが働いてるところなんだから、自分たちでキレイにするのが当たり前でしょ」
 そう言ってユキはグラスのビールを半分ほど飲んだ。コウはそこへビールを注ぎ足す。きっちりと3cmの泡を作った。
「若いコって、皆んなバイトでしょ? 以前みたいに自営やってる人なら、若いヒトも家族と一緒になって協力したでしょうけど、バイトなら時間外に仕事しろって言ってもね」
 コウの言う通りだとショウは肯定した。ユキは納得しない。
「そりゃ、そうだけど、同じモールで働いている皆んなでやるっていうのが大切でしょ。そうやってお金だけじゃなくて、助け合ったり、仲間意識を持つことが、いざという時に自分のためにもなるのよ。掃除という手段を用意して、そういう連帯感を持つチャンスを提供してるんじゃない。だいたいね、、、」
 止めどなくユキは持論を語りだした。コウは微笑みながらその話を聞いている。それが自分の仕事だとわきまえている。
 ショウは不満が表に出ないように抑えつけていた。それがいけないことだとわかっていたも逃れられない。そして母親のことを思い出してしまう。自分の都合ばかりを押し付けて、コチラの言い分を聞こうとしないのだ。
 例え聞いたとしても自分の若い時はこうだった、ああだった、もっと大変だったと、比較できない対象を持ち出してくる。大変なのは人それぞれの基準であって、誰かと比べて競い合うモノではないはずだ。
「、、だいたいね、わたしたちの若い頃は、目上の人に言われれば二つ返事でしたがったものよ。ああだ、こうだ、口ごたえなんかしようもんなら一喝されて、あとからもまわりの人にヤイのヤイのとお小言をいただくことになって大変だったんだから」
「ユキさん、経験済みですか?」ユキはコウの問いかけに、ユキはピンと来ておらず少し間が空いた「イヤだ、違うわよ。知り合いのハナシよ」。問いを理解して直ぐに否定する。コウはただ肯くのみだ。
 あの人も若い頃は、最近の若い者はと言われたクチだ。ショウはそう嘯いた。比較対象ではなく、自分の基準から乖離があるかどうかで、結局は不条理に懐柔されるか、抗うかの差が出る。
 以前は言えない環境に身を置き、泣く泣く従ってきただけで、声を上げられる今では自己主張が認められているし、しなければ流されて都合のいいように使われる。戦う環境を自分で作ったわけではない。そんな思いがアタマを巡る。
 残り少なくなったグラスを手の中で転がす。お代わりをしようか考えあぐねている。今は目立った行動は取りたくなかった。
 あの人のように、ひとの弱みを立てに取ったようなボランティアを押しつけることで、この国がどれだけの経済的損失を被ってきただろうか。
 掃除をするなら清掃会社に依頼して行い、その費用をモール全体で負担すればいい。そうすれば掃除に駆り出される人達は、自分達の行うべき経済活動に従事できる。
 清掃会社は無償の代行者に仕事を奪われることもないし、お金が動くことで地域の経済が活性する。掃除に来た清掃員が食事などでモールにお金を落とすだろうし、今後のリピーターになったり、知り合いに紹介するかもしれない。
 そうすれば清掃会社を選択する基準も自ずと変わってくるだろう。単に価格だけで選ぶより、そこをキッカケにして今後の収益が見込めるかも判断材料に加えれば、多少高くても地元の業者を選ぶとか、最終的な利益を考慮すべきだ。
 そういった人の行き交いが循環がする仕掛けを考えたり、清掃自体をイベントとして組み込むことだって出来るはずだ。
 ユキの話しが途切れたところで、コウがさりげなくチェイサーを持って来てくれた。ショウは空のグラスを持ち上げ、コウの方に寄せて人差し指を立てた。おかわりの意だ。
 コウはうなずいてグラスをさげた。こういったあうんの呼吸で意志が伝わるとこがいい。なんのストレスも感じずに物事が思い通りに進んでいく。
 それが酒代の対価に含まれているのは当然だ。サービスではなく日常で自分で行えないことを代替えしてもらっているのだから、ビジネスにおいて正当な対価のやりとりとして成立し、お互いに報酬を得ている。
 その一方で無償で清掃をさせる行為がまかり通っている。それを人情や、人の弱みに付け込むような奉仕を強要し、不払い労働をボランティアなどと耳障りのいい言葉に挿げ替えるから、この国の経済力は下降するばかりなのだ。
 何のアイデアを捻り出さなくても、これまでそうしてきたからという大義を振りかざして搾取している。ショウにはあの人達の無思考や、労力をかけず仕事を消化しようとする行為が許せなかった。
 いつしかショウの不満の矛先は、母親から母親の相談をしている行政の硬直化した仕事振りに向いていった。


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