朝から、あちこちの番組に、昨日釈放されたばかりの菅谷さんがTVに出ています。
45才で逮捕されて、現在62才とのこと。
45才という年齢で突然、犯人にされたらどうしますか?
ちょうど今のJudyと同じくらいの年齢のときに、いきなり塀の中・・・
想像を絶しますね。
家族も、両親も苦しめ、社会から抹殺され、人生を生き地獄に変えてしまう。
「間違ったでは済まないんです。」
と、とても厳しく重たい言葉だった。
菅谷さんの、17年間、犯罪者にされた怒りと哀しみが、この一言に集約されていたように思います。
実は、Judyにも、この言葉と同様、この半年間、時々、怒りと悔しさが突然吹き出して、そこから息を殺して考えて込んでしまうことがある。
去年の春、ある病院で、乳癌の検診を受けていたのに、発見してもらえず、その上、誤診されたことだ。
ガン研での検査後、主治医の先生に、
「検診受けていなかったんですか?これだけびっしりで、ここの腫瘍の大きさなら、検診受けていれば、もっと早く発見できていましたよ。」
と、言われた。
えぇーーーー!!!
一昨年も、去年も受けてましたけどぉーーーーー!!!
と、ホントにびっくりしました。
そんなこと、あるんだ・・・と。
検診した病院では、一昨年の検診では、乳腺症。
昨年は、乳腺嚢胞がたくさんあると、言われた。
それも治療の必要が無いと・・・
それ以上調べることもなく・・・
あのとき、「これが乳癌になることはないですか?」と心配でたずねたら、
「滅多にありません」と、言われたのです。
違う病院に行ってもう一度検査してみようかな、とふと思ったけれど、忙しくて行かずじまいだった。
あのとき、そのまま違う病院へ行くべきだった、と、行動しなかった自分をいつも責めてしまう。
その上、時々、カルテを全部見せてもらって、訴えてやりたい!!、と怒りに震えることもあります・・
乳癌の可能性もあるから、と、もっと調べてくれたら、全摘も、リンパ転移も、免れたかもしれない、と思うと・・。
「間違ったでは済みませんよっ!」と、あの医者に、啖呵を切ってやりたい衝動に駆られるのだ。
もしも、昨年の10月に痛みという症状がなければ、そのまま忙しくて検診にも行けないまま過ごしていたら、気付いたときには、すでに手遅れになっていたかもしれないと思うとゾッとする。
あーーー、いけない、いけない
言ったところで、何も現実は変わらないのだ。
ただ、Judyのような誤診が無いように、これ以上犠牲者を出さないで欲しい、と思うだけ。
人生や人の命が関わる場所では、間違ったでは済まないのだ!!
いつも色々な人に言っているのは、検診に行ったら、どこも痛くなくても、ウソも方便で、痛い、とか、具合が悪い、と言って検査を受けた方がいいよ~、と、自分の例を出して説明している。
先生に、“何かあるかもしれないから、よ~く見てよ~!!”と、プッシュしておくのだ。
検診して、何も無ければ、安心して、数年、検診に行かない人だっているでしょう。
Judyなんか、そのタイプ。
しかし、見落とされれば、安心している期間、ガン細胞は、ジワリジワリと悪さを重ねていくのだ。
あーーこわい。
どんなに毎年、検診を受けていても、どこかおかしいカモ?、とちょっとでも思ったら、すぐ病院へ行きましょう。
結局は、自分の命は、自分で守るものなのです。
それにしても、間違ったでは済まないわよねぇ~、ほんとに
菅谷さんの件でも、Judyの件でも、
警察や検察官や、または、医師が、
事件だけを見る、病気だけを見る、というのではなく、もっと包括的に人間を見る『ゆとり』の心があれば、少なくとも間違う確率が減少したのではないかと思うのですが・・・。
45才で逮捕されて、現在62才とのこと。
45才という年齢で突然、犯人にされたらどうしますか?
ちょうど今のJudyと同じくらいの年齢のときに、いきなり塀の中・・・
想像を絶しますね。
家族も、両親も苦しめ、社会から抹殺され、人生を生き地獄に変えてしまう。
「間違ったでは済まないんです。」
と、とても厳しく重たい言葉だった。
菅谷さんの、17年間、犯罪者にされた怒りと哀しみが、この一言に集約されていたように思います。
実は、Judyにも、この言葉と同様、この半年間、時々、怒りと悔しさが突然吹き出して、そこから息を殺して考えて込んでしまうことがある。
去年の春、ある病院で、乳癌の検診を受けていたのに、発見してもらえず、その上、誤診されたことだ。
ガン研での検査後、主治医の先生に、
「検診受けていなかったんですか?これだけびっしりで、ここの腫瘍の大きさなら、検診受けていれば、もっと早く発見できていましたよ。」
と、言われた。
えぇーーーー!!!
一昨年も、去年も受けてましたけどぉーーーーー!!!
と、ホントにびっくりしました。
そんなこと、あるんだ・・・と。
検診した病院では、一昨年の検診では、乳腺症。
昨年は、乳腺嚢胞がたくさんあると、言われた。
それも治療の必要が無いと・・・
それ以上調べることもなく・・・
あのとき、「これが乳癌になることはないですか?」と心配でたずねたら、
「滅多にありません」と、言われたのです。
違う病院に行ってもう一度検査してみようかな、とふと思ったけれど、忙しくて行かずじまいだった。
あのとき、そのまま違う病院へ行くべきだった、と、行動しなかった自分をいつも責めてしまう。
その上、時々、カルテを全部見せてもらって、訴えてやりたい!!、と怒りに震えることもあります・・
乳癌の可能性もあるから、と、もっと調べてくれたら、全摘も、リンパ転移も、免れたかもしれない、と思うと・・。
「間違ったでは済みませんよっ!」と、あの医者に、啖呵を切ってやりたい衝動に駆られるのだ。
もしも、昨年の10月に痛みという症状がなければ、そのまま忙しくて検診にも行けないまま過ごしていたら、気付いたときには、すでに手遅れになっていたかもしれないと思うとゾッとする。
あーーー、いけない、いけない
言ったところで、何も現実は変わらないのだ。
ただ、Judyのような誤診が無いように、これ以上犠牲者を出さないで欲しい、と思うだけ。
人生や人の命が関わる場所では、間違ったでは済まないのだ!!
いつも色々な人に言っているのは、検診に行ったら、どこも痛くなくても、ウソも方便で、痛い、とか、具合が悪い、と言って検査を受けた方がいいよ~、と、自分の例を出して説明している。
先生に、“何かあるかもしれないから、よ~く見てよ~!!”と、プッシュしておくのだ。
検診して、何も無ければ、安心して、数年、検診に行かない人だっているでしょう。
Judyなんか、そのタイプ。
しかし、見落とされれば、安心している期間、ガン細胞は、ジワリジワリと悪さを重ねていくのだ。
あーーこわい。
どんなに毎年、検診を受けていても、どこかおかしいカモ?、とちょっとでも思ったら、すぐ病院へ行きましょう。
結局は、自分の命は、自分で守るものなのです。
それにしても、間違ったでは済まないわよねぇ~、ほんとに
菅谷さんの件でも、Judyの件でも、
警察や検察官や、または、医師が、
事件だけを見る、病気だけを見る、というのではなく、もっと包括的に人間を見る『ゆとり』の心があれば、少なくとも間違う確率が減少したのではないかと思うのですが・・・。
自分のために行くのですよね。
私は健康診断で再検査と指摘された営業マンに、再検査を受けない限り精算はしない!と言って必ず早期に行かせています。
上司だろうが誰だろうがね。
仕事と健康を同じ天秤にのせるなっつーのよ。
私が検診を受けた病院では、最初は、外科で診察&検査で、問題があると、そこから乳腺科に行くという流れの病院でした。
今は、そんなのおかしいんじゃない?・・と意見できるけれど、あのときは、不思議にも思いませんでした。
どんな検診も、その部分の専門病院に行った方がいいですね。