Jacket -You\'re so beautiful
昨日のBlog、貴重なコメントをたくさんいただきました。
どうもありがとうございました(^_-)-☆
私は、このBlogを2005年3月3日からスタートしました。
あれから、なんと4年以上、ダラダラと書き続けているわけですが、
誰かに読んでもらいたい、というよりも、
自分と向き合うためだったり、
自分を客観的に観察する手段だったり、
自分による自分のための自分の記録だったのです。
気がついたら、たくさんの方が読んで下さるようになって、
そうなると、もうひとつ、目的が生まれ、
自分の文章を読んでくれた人が、
可笑しかったり、
楽しくなったりして、
笑顔になってくれたらいいなあ~と思うようになりました
そんなある日突然、
癌になってしまったわけですが
それ以来、このBlogと向き合うときは、
ある意味、もう一人の自分とお話しする貴重な時間になりました。
もともと、文章を書くのが好きなので、誰かが読んでくれていると思うと、
独り言をわかりやすくまとめていくことが楽しくなり、
ひとつの作品ができあがるかのように、
断片的に考えていたことが、私の中で明確になってひとつにまとまっていきます。
しかしながら、癌と言われれば、
正体不明な恐怖を背負ってしまったような、漠然とした気持ちに襲われます。
それをBlogによって、丁寧にひもとき、整理させてもらうことができ、私にとっては、大変ありがたい手段として今や無くてはならないものになりました。
そして、癌になってから、同じ癌で悩んでいる人達からコメントを頂くようになり、
ネット上で、お顔も知らないような不思議な世界だけれども、
顔を見なくても、文字だけで気持ちって伝わるんだなあ~とか、
同じ悩みを共有することができるのだなあ~とか、
自分には気づかなかった問題提議を与えてもらえるんだなあ~などと、
コメントから、
勇気や、元気や、励みや、ヤル気をもらったり、
あるいはコメントを下さる方の立場になって考えてみたり、
たくさんのことに気づかされて、与えられて、感謝し、
今は、以前とは違うBlogのやりがいを感じています
それが、癌でもがんばろう!という前向きな力の源にもなっているんじゃないかしら~
癌になって、悩まない人なんて、一人もいないでしょう。
癌じゃなくても、この不況の中、どうしたらいいのか途方に暮れて悩んでいる人も、たくさんいることでしょう。
子供を虐待して殺してしまったり、老々介護で心中した、と言うニュースを見る度に、心がとても悲しくなります。
毎日、電車が止まったと聞く度に、飛び込もうとする人の気持ちを思うと、心がとても苦しくなります。
一方で、癌研に行くと、何列にも並んだチェアに座って抗ガン剤の点滴を受けているたくさんの癌患者がいます。
私もその一人なのだけれども・・
そこで、周りの人達を眺めながら、いつも思うこと。
『一人一人がかけがえのない大切な人たち。』
生きたいと願い、辛い治療も頑張って受けている。
一人一人に大事な人生があり、その人を取り巻く大事な人達がいる。
そして、一人一人が、人生の愛しい主役である。
いつも、そう思い、涙が出そうになる。
だから、自殺は、悲しい。
死ぬな!と叫びたい。
闇に落ちる前に、声に出せなければ、せめて、助けて!という顔をして誰かに見せて欲しい。
悲しい顔は、神様が命を守るために作ってくれたのだから。
自殺しないまでも、苦しんだときは、一人で悩んじゃダメだよ!
誰かに話すことは、とても大切なことなの。
この社会に心配なことがあります。
気軽に声を掛け合えないこと。
助けてもらうことに慣れていない人が多くなっていること。
どうせ助けてくれるはずない、と思っている人が多いこと。
人間の喜びの一つに、人を助ける、という本能がある。
私は、息子に本当に困ったときは、誰かに助けて!と言いなさい、と教えています。
これも自分を守っていく大事な手段のひとつだから。
自分も助けてと言うことができるなら、
知らない人に対しても、もっと気軽に「だいじょうぶ?」って声をかけることができますよね♪
『May I help you?』という言葉大好きです。
このフレーズが、もっとあふれる社会になって欲しいです。
この前、途方に暮れて地面を見つめているホームレスのおじさんに、
おはよう!って声をかけたら、通り過ぎた後、ありがとうって言われました。
シンプルに嬉しかった
人と人って、こんな風に関わり合っていきたいと思うのです。
生きようと必死でもがいている人の苦しみと、
一方で、ホームから飛び込もうとする人の苦しみは、
同じ苦しみでも違うよね。
余命を告げられたら、絶望するかもしれないけれども、
それでも、自殺する人のそれとは、違う。
病気でも、生きたいと願う人の苦しみには、心に光が射す場所が確実にある。
でも死にたいと願う人の苦しみには、光を見ようともしないのだから、闇しかないのだ。
光を喪失すれば、足下さえも見えなくなって、闇に落ちる。
けれども、光を探したいんだ!と、前を見てさえ歩いていけば、
必ずや太陽がサンサンとふりそそぐ幸せな場所にたどりつく、私は、そう信じている。
いつも自分に問うこと。
どのように生きたいの?
今、どうしたいの?
実際に、今、何をしているの?
小さな笑顔でもいいから、笑顔になること、やってみない?
あとがき:
今日は、思わず熱く語ってしまいました~
いつも、息子に、「おかあさまって、よく語るよね・・」と言われているくらい、
実際にもよく語ってしまう性質があります。
お酒を飲んでしまうと、さらにしつこく語ります。
どんなコメントも(中傷誹謗はお断りだけど)、Judyの語りのお題になるので、Welcomeです
最後のGWの貴重な時間に、ここまで読んで下さった方、どうもありがとうございました
また、明日からガンバろう~!ファイトだ!!
昨日のBlog、貴重なコメントをたくさんいただきました。
どうもありがとうございました(^_-)-☆
私は、このBlogを2005年3月3日からスタートしました。
あれから、なんと4年以上、ダラダラと書き続けているわけですが、
誰かに読んでもらいたい、というよりも、
自分と向き合うためだったり、
自分を客観的に観察する手段だったり、
自分による自分のための自分の記録だったのです。
気がついたら、たくさんの方が読んで下さるようになって、
そうなると、もうひとつ、目的が生まれ、
自分の文章を読んでくれた人が、
可笑しかったり、
楽しくなったりして、
笑顔になってくれたらいいなあ~と思うようになりました
そんなある日突然、
癌になってしまったわけですが
それ以来、このBlogと向き合うときは、
ある意味、もう一人の自分とお話しする貴重な時間になりました。
もともと、文章を書くのが好きなので、誰かが読んでくれていると思うと、
独り言をわかりやすくまとめていくことが楽しくなり、
ひとつの作品ができあがるかのように、
断片的に考えていたことが、私の中で明確になってひとつにまとまっていきます。
しかしながら、癌と言われれば、
正体不明な恐怖を背負ってしまったような、漠然とした気持ちに襲われます。
それをBlogによって、丁寧にひもとき、整理させてもらうことができ、私にとっては、大変ありがたい手段として今や無くてはならないものになりました。
そして、癌になってから、同じ癌で悩んでいる人達からコメントを頂くようになり、
ネット上で、お顔も知らないような不思議な世界だけれども、
顔を見なくても、文字だけで気持ちって伝わるんだなあ~とか、
同じ悩みを共有することができるのだなあ~とか、
自分には気づかなかった問題提議を与えてもらえるんだなあ~などと、
コメントから、
勇気や、元気や、励みや、ヤル気をもらったり、
あるいはコメントを下さる方の立場になって考えてみたり、
たくさんのことに気づかされて、与えられて、感謝し、
今は、以前とは違うBlogのやりがいを感じています
それが、癌でもがんばろう!という前向きな力の源にもなっているんじゃないかしら~
癌になって、悩まない人なんて、一人もいないでしょう。
癌じゃなくても、この不況の中、どうしたらいいのか途方に暮れて悩んでいる人も、たくさんいることでしょう。
子供を虐待して殺してしまったり、老々介護で心中した、と言うニュースを見る度に、心がとても悲しくなります。
毎日、電車が止まったと聞く度に、飛び込もうとする人の気持ちを思うと、心がとても苦しくなります。
一方で、癌研に行くと、何列にも並んだチェアに座って抗ガン剤の点滴を受けているたくさんの癌患者がいます。
私もその一人なのだけれども・・
そこで、周りの人達を眺めながら、いつも思うこと。
『一人一人がかけがえのない大切な人たち。』
生きたいと願い、辛い治療も頑張って受けている。
一人一人に大事な人生があり、その人を取り巻く大事な人達がいる。
そして、一人一人が、人生の愛しい主役である。
いつも、そう思い、涙が出そうになる。
だから、自殺は、悲しい。
死ぬな!と叫びたい。
闇に落ちる前に、声に出せなければ、せめて、助けて!という顔をして誰かに見せて欲しい。
悲しい顔は、神様が命を守るために作ってくれたのだから。
自殺しないまでも、苦しんだときは、一人で悩んじゃダメだよ!
誰かに話すことは、とても大切なことなの。
この社会に心配なことがあります。
気軽に声を掛け合えないこと。
助けてもらうことに慣れていない人が多くなっていること。
どうせ助けてくれるはずない、と思っている人が多いこと。
人間の喜びの一つに、人を助ける、という本能がある。
私は、息子に本当に困ったときは、誰かに助けて!と言いなさい、と教えています。
これも自分を守っていく大事な手段のひとつだから。
自分も助けてと言うことができるなら、
知らない人に対しても、もっと気軽に「だいじょうぶ?」って声をかけることができますよね♪
『May I help you?』という言葉大好きです。
このフレーズが、もっとあふれる社会になって欲しいです。
この前、途方に暮れて地面を見つめているホームレスのおじさんに、
おはよう!って声をかけたら、通り過ぎた後、ありがとうって言われました。
シンプルに嬉しかった
人と人って、こんな風に関わり合っていきたいと思うのです。
生きようと必死でもがいている人の苦しみと、
一方で、ホームから飛び込もうとする人の苦しみは、
同じ苦しみでも違うよね。
余命を告げられたら、絶望するかもしれないけれども、
それでも、自殺する人のそれとは、違う。
病気でも、生きたいと願う人の苦しみには、心に光が射す場所が確実にある。
でも死にたいと願う人の苦しみには、光を見ようともしないのだから、闇しかないのだ。
光を喪失すれば、足下さえも見えなくなって、闇に落ちる。
けれども、光を探したいんだ!と、前を見てさえ歩いていけば、
必ずや太陽がサンサンとふりそそぐ幸せな場所にたどりつく、私は、そう信じている。
いつも自分に問うこと。
どのように生きたいの?
今、どうしたいの?
実際に、今、何をしているの?
小さな笑顔でもいいから、笑顔になること、やってみない?
あとがき:
今日は、思わず熱く語ってしまいました~
いつも、息子に、「おかあさまって、よく語るよね・・」と言われているくらい、
実際にもよく語ってしまう性質があります。
お酒を飲んでしまうと、さらにしつこく語ります。
どんなコメントも(中傷誹謗はお断りだけど)、Judyの語りのお題になるので、Welcomeです
最後のGWの貴重な時間に、ここまで読んで下さった方、どうもありがとうございました
また、明日からガンバろう~!ファイトだ!!
いつも、Judyさんのブログを読んでいると、心がほっとします。
私は癌ではありませんが、健康な人にとっても、大切な気付きを与えてもらえる素敵なコトを文章にされて、素晴らしい能力だと思います!!これからも楽しみにしてますので。でも具合悪いときは、お休みしてくださいね。応援してます。いつもありがとう!
これからも楽しくハッピーにBlog(自分)と向き合っていきたいと思います