入梅宣言も無いのですがジメーーとしたうっとおしい日々でした。
梅雨の晴れ間と言うのも妙ですが、スカッ!!とした空 蝉の声が柔らかな緑風にのって聞こえてきます。
カッコウはとおに鳴いているようですが、残念ながら聞いていません。
花の谷は濃い緑に染まり、木陰などはナニモノカが潜んでいるような雰囲気があります。
木々の茂みを見ていますと、いろいろな動物の顔が現れ面白いのですが、薄気味わるくなるほど。子供たちはもっともっと色々なモノが観えているのでしょうか。
フット風景画は写取るのではなく、感じた得体の知れないモノや動きを、そのままに筆をはしらせたらいいのではないだろうか・・・。風景の姿ではなく、光や形などが発するエネルギーが別なものに観えてくる。其れを描く。(だまし絵や擬態の絵を意味しているのではない。)そおすればニガテな風景画を、風景画として私の世界にしえるのではないか。
もしかしたら、モネの作品などの筆の動きの秘密は、光の踊りが、空気の動きが別なナニカに観え、それを現わしているのではないだろうか、とおもった。
梅雨の晴れ間と言うのも妙ですが、スカッ!!とした空 蝉の声が柔らかな緑風にのって聞こえてきます。
カッコウはとおに鳴いているようですが、残念ながら聞いていません。
花の谷は濃い緑に染まり、木陰などはナニモノカが潜んでいるような雰囲気があります。
木々の茂みを見ていますと、いろいろな動物の顔が現れ面白いのですが、薄気味わるくなるほど。子供たちはもっともっと色々なモノが観えているのでしょうか。
フット風景画は写取るのではなく、感じた得体の知れないモノや動きを、そのままに筆をはしらせたらいいのではないだろうか・・・。風景の姿ではなく、光や形などが発するエネルギーが別なものに観えてくる。其れを描く。(だまし絵や擬態の絵を意味しているのではない。)そおすればニガテな風景画を、風景画として私の世界にしえるのではないか。
もしかしたら、モネの作品などの筆の動きの秘密は、光の踊りが、空気の動きが別なナニカに観え、それを現わしているのではないだろうか、とおもった。