古今の優れた作品から、構図やポーズなどを参考にします。
模写に近い習作などをしますが、どうしても原画のようにならないことが多い。
名作そのものが微妙にデホォルメされている作品ほど、ただ単に写し取っても、ヘンなだけである。
原作者がデッサンをし尽くした末に生まれでた、その作家固有の美学が創り上げたポーズに行き着いているからです。
作家が生み出した、究極の美形に惚れ込んで、写し取っても(その技術が達者だったとしても)肝心の、芸術観の違いが現れてくるのです。
その領域のことまで、こちらがよみとれないと、とんだ失敗をしてしまいます。
結果としていくら忠実に写し取ったとしても、ヘンになってしまうものです。
私の大好きな、ギュスターヴ・モローの人物などは特にそうで、現実にはできそうも無い美しいポーズを、そのまま写し取ってしまったことが、後日、ハッと、どこかおかしいと、気がつくことになるのです。
昨日書い投稿の小生製作の「弥勒来迎図」の失敗が、そのことにもありました。
写真はかの有名な「最後の晩餐」からヒントを得て、人間の諸相をパロディー化した作品
「衆生愛欲曼荼羅」の一部
後日大人の絵本として投稿します。お楽しみに・・・
模写に近い習作などをしますが、どうしても原画のようにならないことが多い。
名作そのものが微妙にデホォルメされている作品ほど、ただ単に写し取っても、ヘンなだけである。
原作者がデッサンをし尽くした末に生まれでた、その作家固有の美学が創り上げたポーズに行き着いているからです。
作家が生み出した、究極の美形に惚れ込んで、写し取っても(その技術が達者だったとしても)肝心の、芸術観の違いが現れてくるのです。
その領域のことまで、こちらがよみとれないと、とんだ失敗をしてしまいます。
結果としていくら忠実に写し取ったとしても、ヘンになってしまうものです。
私の大好きな、ギュスターヴ・モローの人物などは特にそうで、現実にはできそうも無い美しいポーズを、そのまま写し取ってしまったことが、後日、ハッと、どこかおかしいと、気がつくことになるのです。
昨日書い投稿の小生製作の「弥勒来迎図」の失敗が、そのことにもありました。
写真はかの有名な「最後の晩餐」からヒントを得て、人間の諸相をパロディー化した作品
「衆生愛欲曼荼羅」の一部
後日大人の絵本として投稿します。お楽しみに・・・
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