私の父は医師であったが、仏教哲学を研究していた。
とりわけ、曼荼羅研究をし、自説の説明に仏画も描いていた。
幼少のころから仏画や書籍の中に育ったが、確か中学校のころか、濃厚な油彩画を観て「ボクもこんな絵の具がほしい」とおもった。
油彩画の勉強を始めた本来の目的は、仏教世界(仏画)をキリスト教絵画のように、写実的に表現したいだった。
目にしてきた仏画の、平面的かつ塗り絵的な、日本伝統的表現から脱却した、新仏教画を描がかんと・・・。
その思いは今も変わっていないのだが、仏画の解釈はだいぶ変わってきている。
そのことは次項として、80年代に描いた仏画がでてきた。
当時、ギュスターヴ・モローの作品に、私が目指している仏画の表現世界を見い出し多くの習作をした。
出てきた作品は「ジュノーに訴える孔雀」の素描に触発され、描いた「弥勒来迎図」だ。
久しぶりに展示をしたが、フッとデッサンが狂っていることによ気ずいた。
20年以前の作を、あえて描き直すこともあるまいと思いつつ、どうも落ち着かない。
モデルを見てのものではなく、模写をベースにしたためだ。
これを後世に残すわけには行かない、と思うと、最小限の修正をはじめた。
絵というものは(創作物全てですが)一箇所変えるだけで、全体にかかわってくる。
完成している状態とは、そおいうもので、狂ったデッサンはそれなりに画面の中で定まっているものである。
当たり前のことだったが、ついつい筆をとってしまい、20年前の作に切り込んでしまった。
とりわけ、曼荼羅研究をし、自説の説明に仏画も描いていた。
幼少のころから仏画や書籍の中に育ったが、確か中学校のころか、濃厚な油彩画を観て「ボクもこんな絵の具がほしい」とおもった。
油彩画の勉強を始めた本来の目的は、仏教世界(仏画)をキリスト教絵画のように、写実的に表現したいだった。
目にしてきた仏画の、平面的かつ塗り絵的な、日本伝統的表現から脱却した、新仏教画を描がかんと・・・。
その思いは今も変わっていないのだが、仏画の解釈はだいぶ変わってきている。
そのことは次項として、80年代に描いた仏画がでてきた。
当時、ギュスターヴ・モローの作品に、私が目指している仏画の表現世界を見い出し多くの習作をした。
出てきた作品は「ジュノーに訴える孔雀」の素描に触発され、描いた「弥勒来迎図」だ。
久しぶりに展示をしたが、フッとデッサンが狂っていることによ気ずいた。
20年以前の作を、あえて描き直すこともあるまいと思いつつ、どうも落ち着かない。
モデルを見てのものではなく、模写をベースにしたためだ。
これを後世に残すわけには行かない、と思うと、最小限の修正をはじめた。
絵というものは(創作物全てですが)一箇所変えるだけで、全体にかかわってくる。
完成している状態とは、そおいうもので、狂ったデッサンはそれなりに画面の中で定まっているものである。
当たり前のことだったが、ついつい筆をとってしまい、20年前の作に切り込んでしまった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます