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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古典和歌を紐解き直している。仮名序の結びにある貫之の歌論は、数百首の歌を解いてきた今、次のように読むことができる「歌は多重の意味を表現する様式であると知り、言の心(当時の歌の文脈で通用していた意味)を心得る人は、大空の月(つき人をとこではない)を見るが如く、いにしえの歌を仰ぎて、今の歌を、恋しがらないだろうか、きっと恋しがるだろう」。
原文は「うたのさまをしり、ことの心をえたらむ人は、おほそらの月を見るがごとくに、いにしへをあふぎて、いまをこひざらめかも」とある。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (269)
寛平の御時、菊の花をよませ給うける 敏行朝臣
久方の雲のうへにて見る菊は 天つ星とぞあやまたれける
この歌は、いまだ殿上許されざりける時に、めしあげられてつかうまつれるとなむ。
(寛平の御時、菊の花を詠ませられた・歌) 藤原敏行
(久方の、雲の上・宮中にて、見る菊は、天の星かと見誤ったことよ・雲を背景に見る菊花はきら星の如し……久堅の、ものの思いの上にて見る、長寿のおんな花は、あま津、欲しとぞ、吾や待たれていることよ)
(この歌は、敏行がいまだ殿上許されていなかった時に、召しあげられて、献上したという)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「ひさかた…久方…枕詞…久堅(万葉集の表記)…長寿のおとこ」「雲のうへ…雲の上…宮中…色欲のうえ…煩悩のうえ」「雲…煩わしくも心に湧き立つ思い…色情…煩悩」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」。
「菊…長寿の草花(女花)…花の名…名は戯れる。奇具・貴具・おんな・おとこ…菊の露で身を拭えば若がえりにきくとか(俗信あり)」(しばらく菊の歌が続くが全ての歌に共通する言の心である)。
「天つ…天の…あま津…あ間津…おんなの」「星…殿上人をきら星にたとえた…立派な人々が大勢いるさま…ほし…欲し…欲求」「あやまたれける…見誤ったことよ…吾や待たれていることよ」。
久方の雲の上にて見る菊の花は・雲の上にて見る人々は、天の綺羅星かと見誤ったことよ。――歌の清げな姿。
久堅の、ものの思いの上にて見る、長寿のおんな花は、あま津、欲しとぞ、吾や待たれていることよ。――心におかしきところ。
業平に女と歌の手ほどきを受けた敏行、さすがに、ぬかりなく、「清げな姿」のお世辞と、エロスに関わる「心におかしきところ」のある歌を詠んだのである。漢詩の知識「菊…星」をも披露して、この場では、これ以上は無い歌だろう。
帝が人を召して歌を奉るよう仰せになられるのは、その人物の人となり(賢し、愚かし)を御覧になられるためという(仮名序)。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)