帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (406)あまの原ふりさけ見れば春日なる

2018-02-01 19:15:56 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

 

唐土にて月を見て、よみける    安倍仲麿

あまの原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも

(もろこしにて、月を見て、詠んだ・歌……遠い外国にて、月人壮士を見て、詠んだ・歌)(あべのなかまろ)

(天の原、ふり離れて見れば、あれは、春日の三笠の山に出た月ではないか……吾女の腹ふり避けて、見れば、わがものは、かすかである、三重なる山ばに出た月人をとこ、あゝ)。

この歌は、昔、仲麿を、唐土に物習はしに遣はしたりけるに、多数の年を経て、え帰りまうで来ざりけるを、この国より又使まかり至りけるにたぐひて、まうで来なむとて出で立ちけるに、明州と言ふ所の海辺にて、かの国の人、餞別しけり。夜になりて、月のいと面白くさし出でたりけるを見て、よめるとなむ語り伝ふる。

 

 

「あま…天…吾女…わがおんな」「原…腹」「かすがなる…春日なる…微かなる」「三笠の山…山の名…名は戯れる。三重なる山ば」「月…月人壮士(万葉集の歌言葉)…(万葉集以前の別名は)ささらえをとこ」「かも…詠嘆を含んだ疑問の意を表す…詠嘆の意を表す」。

 

大海原をふり離れて見れば、あれは昔、春日の三笠の山に出た月ではないか――歌の清げな姿。

抑えがたき望郷の念。

 

吾をうな腹、ふり避けて、見れば、微かである、三重なる山ばに出た、ささらえをとこ、あゝ――心におかしきところ。

難破し漂着した南方の明州から、唐の都へ帰る折の、男の心と身の端が、最も憔悴した情況。

 

この歌は、土佐日記に、解りやすく、現代文にすれば、ほぼ次のように紹介されてある。

 

廿日。昨日のようなので、船を出さない。みな人々、うれへなげく(憂れい、嘆く)。苦しく心細いので、ただ日の経った数を、今日で幾日、二十日、三十日と数えていると、お指も傷めてしまいそう。とっても詫びしい、夜は眠れず。はつかの(二十日の…かすかな)夜の月がでた。山の端もなくて、海の中より出て来る。このようなのを見てか、むかし、阿倍の仲麻呂といった人は、唐に渡って、帰り来るときに、船に乗るべき所にて、彼の国の人、はなむけし(餞別の宴をし)、別れ惜しんで、彼の国の漢詩を作ったりしたのだった。飽きもしなかったのだろうか、二十日の夜の月が出るまで、そうしていたという。その月は海より出たのだった。これを見て、仲麻呂の主、わが国では、このような歌をですね、神世より神もお詠みになられ、今は、上中下の人も、このように、別れを惜しむときや、喜びも悲しみもあるときには詠むのです」といって詠んだ歌。

「彼の国の人、聞いてもわからないだろうと思ったけれども、ことの心(言の心)を、おとこもじ(漢字)にして、さま(様…歌の意味)を書き出し、わが国の言葉を伝え知った人に言い知らせると、こゝろ(歌の心・心におかしきところ)を聞き得たのでしょう。思う以上に愛でたのだった。唐とわが国とは、言葉は異なるけれども、つきのかげ(月の光…月の陰の意味)は同じでしょうから、人の心も同じことなのでしょうか」。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)