■■■■■
帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。
古今和歌集 巻第九 羇旅歌
題しらず よみ人しらず
宮こ出でて今日みかの原いづみ河 かはかぜさむし衣かせ山
(題しらず) (よみ人しらず・匿名で詠んだ女の歌として聞く)
(都を出でて、今日みかの原、出づ身かは?・泉川、川風寒い、衣、貸せ山・鹿背山……絶頂を出て、京見たのか、平の原、出づ身、貴身かは?、おんなの心風寒い、心と身に、山ば貸しておくれ)。
「宮こ…都…京…極まり至ったところ…山ばの頂上」「今日…けふ…京…絶頂」「みかの原…原の名…名は戯れる。見たか平原、見たのは平原か」「いづみ河…川の名…名は戯れる。泉川、おんな川、出づ身かは?、我が身か、貴身の身か?」「川風…川に吹く風…女心に吹く風…おんなに吹く風」「川…言の心は女…おんな」「ころも…衣…心身を被うもの、心と身の換喩」「かせ山…山の名…名は戯れる。鹿背山、貸せ山ば」。
都を出でて、今日みかの原、泉川、川風寒い、衣、鹿背山――歌の清げな姿。
行き先も事情も、わからないけれども、原、川、山の名の羅列で、女の寒々とした旅情を表現した。
絶頂を出て、京見たのか、平の原、貴身、出づ身かは?、おんなの心風寒い、心と身に、山ば貸しておくれ――心におかしきところ。
性愛における、おんなの喪失感。それらは、清げな歌言葉の、戯れに顕れる。
流人の歌の隣に、ただ並べられてあるが、もしや、流人の妻の歌かも。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)